書くことがないのではなく、手持ちの並べ方が決まっていない

書くことがないのではなく、手持ちの並べ方が決まっていない

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ビジネス・マーケティング
書くことがない、の中身は、たいてい並べ方が分からない、だ。

🤔 本を出したいと思ったとき、最初に浮かぶのはこれだ。
「自分に書けることなんてあるだろうか」
専門家ではない。目立った実績もない。同じテーマの本はすでに何冊も出ている。
そう考えて、企画の段階で終わる。書き始める前に、書く資格がないという結論が出てしまう。
この結論は、たいてい他人と比べた結果として出てくる。
同じテーマで本を出している人の経歴を見て、自分にはそこまでのものがないと判断する。
ただ、読者が求めているのは著者の経歴ではない。自分の困りごとに合う説明のほうであることが多い。
比べる相手を間違えると、手持ちの価値が見えなくなる。

📂 けれども、その人の手元にはたいてい何かある。
仕事で作った手順書。後輩に何度も説明してきた内容。趣味の記録。失敗して調べ直したときのメモ。
断片としては存在していて、話せと言われれば話せる。
書けないのではない。それが1冊の形にどう並ぶのかが見えていない。

🗣 話せるのに書けない、というのも同じところから来ている。
話すときは相手の質問が順番を作ってくれる。書くときはその順番を自分で作らなければならない。
順番さえあれば書ける人が、順番がないせいで書けない人に見えている。
質問が来ない場でどう組み立てるかを、誰にも教わっていない。

📏 本という単位が大きすぎるのも一因だ。
1冊はだいたい数万字ある。そこを一気に埋めるものだと考えると、手持ちの断片はどれも小さく見える。
実際の本は、章と節に割れている。ひとつの節はもっと短い。
手元の断片は、節としてなら十分に成立していることが多い。
単位を取り違えると、量の判断も狂う。
1冊分を書けるかと問われれば無理だと感じる。この話題について2ページ書けるかと問われれば書ける。
同じ人が、単位の大きさだけで別の答えを出す。

🪤 最初から完成形を目指すと、この取り違えが固定される。
いきなり1冊分を書き切る構えでいると、手持ちの断片がどれも足りなく見えて、着手そのものができなくなる。
「完成させよう」とすると詰む、という指摘は、実際に出版まで進んだ書き手のあいだから出ている。
単位を小さく取り直すほうが先に進む、という話でもある。

🌀 もうひとつ、断片が散らばっていること自体が判断を邪魔する。
メモはノートアプリに。手順書は仕事のフォルダに。記録はスマホの写真に。
全体を一覧で見たことがないので、どれだけあるのかを自分で把握していない。
少ないと感じているのは、見えている範囲が狭いからかもしれない。「書くことがない」という感想は、量の判断としてはあてにならない。

📉 この状態で無理に書き始めると、今度は途中で止まる。
並べ方が決まっていないので、書いた文章がどこに入るのかが分からない。書くほど散らかっていく。
着手できないのも、続かないのも、原因は同じところにある。
書いた分だけ管理する対象が増えるので、進むほど全体が見えにくくなる。

📐 章立てには型があることも知られている。
共通のテーマで材料を3〜5本選び、序章、本論3章、結論という5部構成に割り当てる。そういう手順を書いている人がいる。
型そのものは公開されている。重いのは、自分の材料をそこに当てはめる作業のほうだ。

🔍 誰にも判定してもらえない、という点も効いている。
材料が1冊分あるかどうかは、他人には判断できない。中身を知っているのは自分だけだ。
その自分が、全体を一覧で見たことがない。判定できる立場にいる唯一の人間が、判定に必要な材料を持っていない。
だから「書くことがない」は、結論というより未確認のまま置かれた仮説に近い。

💭 資格の話に見えていたものが、作業の話に変わる。
書く資格があるかどうかは、確かめようがない。手元にどれだけ材料があるかは、数えれば分かる。
答えの出ない問いを抱えたまま止まるより、数えられるほうを先に片づけたほうが早い。

📊 だから、確かめるべきは量ではなく並べ方になる。
材料が足りないのか、並べ方が決まらないのか。この2つは、対処がまるで違う。
前者なら書き足す。後者なら、書き足しても状態は変わらない。
切り分けないまま「もう少し書く」を選ぶと、材料だけが増えて同じ場所に留まる。

✅ 今日できることもひとつ。
散らばっているメモや手順書を、ひとつのフォルダに集めてみる。
集めるだけで、量の感覚が変わることがある。
集めた結果、思ったよりあると感じたなら、足りないのは書く量ではない。並べる工程のほうだ。
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