本文が書けないのではなく、目次が決まらないから始まらない

本文が書けないのではなく、目次が決まらないから始まらない

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本文より先に、目次で止まる。

📝 原稿を書こうとして最初に開くのは、白い本文のファイルじゃない。たいていは目次のほうだ。
第1章に何を置くか。そのあとに何が続くか。全部でいくつの章にするか。
ここが決まらないと本文の1行目が書けない。だからまず章立てを考える。
ところが考え始めると、どの並びにも言い分があるように見えてくる。決め手が出てこない。
紙に書き出してみる。翌日読み返すと、別の順番のほうがよく見える。

🌀 そのうち、章立てを決めるという作業そのものが目的になっていく。
ノートには案が3つも4つも並んでいる。どれも採用していない。本文はまだ1文字も書いていない。
書く気がないわけじゃない。書き始める入口が決まらないだけだ。
そうしているうちに数週間が過ぎ、最初にあった勢いが薄れていく。
人に話すと、まず書いてみればいいと言われる。それができないから止まっている。なぜできないのかを自分でもうまく説明できない。

🔁 目次が決まらないのは、構成力が足りないからとはかぎらない。
順番を決める作業には、正しさを確かめる方法がないからだ。
その並びが読みやすいかどうかは、書いてみないと分からない。しかし書くには順番が要る。
この循環の中にいると、判断の材料が永久にそろわない。
先に順番が要るのに、順番の良し悪しは後からしか分からない。決まらないのは当たり前だ。材料が出てくる順序のほうがそうなっている。

📌 もうひとつ、目次は一度決めたら戻れないものだと思い込みやすい。
実際には本文を書きながら入れ替えればいい。でも最初の1冊ではその感覚がない。
だから慎重になる。慎重になるほど決まらなくなる。
工程が分かれていることも効いてくる。目次を考える時間と本文を書く時間が別々に置かれていると、行き来しながら少しずつ直すという進め方ができない。
人に相談しても、たいてい解決しない。他人には自分の材料の中身が見えていないので、返ってくるのは一般論になる。
判断できるのは自分だけなのに、その判断の基準を持っていない。

⏳ 結果として、本を出すまでの工程のうち、かなり手前で止まることになる。
本の題材を決め、原稿の材料を集めるところまでは進んだ。そこから先へ行けない。
書けないんじゃない。書き始める許可が自分から出ない状態になっている。
工程の名前だけは分かっているのに、そこから先へ進む方法が分からない。時間がないわけでもない。
手元に残るのは、決まらない章立ての案だけだ。

🪤 ここで多くの人が、もうひとつの罠にはまる。
完成した形を先に思い描いてしまうことだ。
いきなり1冊分の完成形を目指すと、手持ちの材料がどれも足りなく見えて、着手そのものができなくなる。
最初から「完成させよう」とすると詰む、という指摘は、実際に出版まで進んだ書き手のあいだから出ている。
単位を小さく取り直すほうが先に進む、という話でもある。

📏 単位を取り違えると、量の判断も狂う。
1冊分を書けるかと問われれば無理だと感じる。この話題について2ページ書けるかと問われれば書ける。
同じ人が、単位の大きさだけで別の答えを出す。
実際の本は、章と節に割れている。ひとつの節はもっと短い。手元の断片は、節としてなら十分に成立していることが多い。

📐 章立てに型があること自体は、実は公開されている。
共通のテーマで記事や材料を3〜5本選び、序章、本論3章、結論という5部構成に割り当てる。そういう手順を書いている人がいる。
つまり、知らなかったから決まらなかったのではない。
型は手に入るのに、自分の原稿に当てはめる作業が重い。そこが本当の障壁になっている。

🎯 決め手がないという感覚も、正体を分けて見たほうがいい。
案がゼロの状態と、案がひとつある状態は、別物だ。
比べる対象があれば、どこが気に入らないのかを言葉にできる。悪い点を挙げれば、それがそのまま直す指示になる。
ゼロのときだけ、好みの問題にすら降りてこない。だから止まる。
判断する作業は、考え出す作業より軽い。重いのは、最初のひとつを白紙から出すところだ。
一度でも通しで並べた経験があれば、次からは軽くなる。並べ替えられるものだと体で分かるからだ。最初の1冊だけが、その前提を持たずに始まる。

✅ 今日できることもひとつ。
書きかけの原稿を開いて、章の候補をいくつ書き出せるかを数えてみる。
3つ書き出せるなら、章立ての材料はもう手元にある。あとは並べる工程が残っているだけだ。
書き出せなければ、足りないのは並べ方ではなく材料のほうだと分かる。そこが書き足す先になる。
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