あなたと私が見ている「それぞれの虹」
先日、あるラボで「虹がなぜ見えるのか」を聴く機会があった。
雨粒に、7色の光を持つ太陽の光が反射することで虹は見えるのだけれど、実は、人間の目から見て「約40~42度」の角度のときにだけ、その光が私たちの目に届くのだそう。
つまり。
私から見て「わあ、綺麗だな」と感じている虹と、隣にいるあなたから見えている虹は、厳密に言うと同じものではない。身長の差や立ち位置が少し違うだけで、反射して目に入ってくる雨粒は、別のものだから。
「あの虹、綺麗だね」
そう言って一緒に眺めている景色でさえ、実は一人ひとり違うものを見ている。
この事実に、私は一種の衝撃を受けたんだ。
これってすべてのことに通じるんじゃ?と思ったから。
私が意図して発した言葉と、あなたがその言葉を受け取る意味って、実はぜんぜん違っている、なんて事もある。
例えば、私が「今日、ちょっと雰囲気違うね!」と、ただ純粋に褒めたつもり(意図)で言ったとしても。
受け取った相手は「えっ、今日の○○(髪型、服装)、変かな……」と、全く違う意味(解釈)で受け取ってしまうことがあるように。
それって少し「怖いな」とも感じるし、だからこそ丁寧に言葉を伝えよう、気をつけようとも思える。
そして何より、「自分を大切にしよう」ってなんとなく思った。
よく「起きた出来事にどんな解釈を加えているかは、自分次第」っていうよね。
言葉の受け取り方も、起きた出来事も、自分の解釈を変えることができたら、心の奥にある観念やブロック、悲しみや怒りはすっと消えていくのかなと思う。
だけど……人は、それは難しい、手放せない、無理だというブロックがある。
「どうせ私は○○、あいつは○○」という憎しみや、罪悪感や自責の念をぎゅっと握りしめたまま、
考えれば考えるほど思考の迷宮入りをして、結局「動くこと」から逃げてしまっているとも思う。
でも、雨が上がって、虹も消えたら。
余計なことを考えずに、まずは「動いてみる」ことが大切なのかもな。
小さな一歩でいいからさ。
「失敗なんて、成功のもとなんだ」っていう解釈だって、世界には用意されているんだから。
そんな風に頭でグルグルと考えちゃう自分に、若干の疲れを感じつつ、今日も一日が始まる。
7月よ、行ってきます。
1年の後半戦も、どうぞよろしくお願いします。