「何もできなくても、見ていること」

「何もできなくても、見ていること」

記事
コラム
最近、宮地尚子さんの『傷を愛せるか』という本を読みました。

その中に、「拱手傍観(きょうしゅぼうかん)」という言葉が出てきました。
手をこまねいたまま、そばで見ていること。

手を差し伸べようがないとき。
差し伸べても、相手に手が届かないとき。
届いても、引き上げる力が足りないとき。

相談に乗っていても、そんな状況になることがあります。

目の前で苦しんでいる人に、少しでも楽になってほしい。

そう思っていても、どうにもできないことがあるのです。
傷ついた心を癒す特効薬は見つからないし、周りの環境を変えるには、時間も精神的なエネルギーも必要です。

何とか力になれないだろうか。
そんな思いから、私は心理学やカウンセリング、占いを学んできました。

でも、どれだけ学んでも、どうにもできないことがあります。

これまで相談に来られた方も、
「相談してよかった」
「ああ、スッキリした」
と言ってくださる方ばかりではありませんでした。

悩みが複雑に絡み合って、ご自身でも何に苦しんでいるのかわからなくなっている方。
苦しさの理由が見えてきても、すぐには受け止められない方。

反対に、話しているうちに、ご自身で何かに気づかれる方もいます。
悩みも、その受け止め方も、人それぞれです。

何とかしてあげたい。

でも、私が代わりに答えを出すことはできません。
そんなとき、もっと何かできることはないのだろうかと、もどかしくなることがあります。

でも、この本を読んで、少し気持ちが変わりました。

何もできなくても、見ていなければならないときがある。

それは、決して楽なことではありません。
何もできない苦しさは、やっぱり残ります。

それでも、
「ああ、そうなんだよね。それでいいんだよね」
と、不思議なくらい、すうっと心に落ちてきました。

何とかしてあげたいという思いは、今も変わりません。
でも、どうにもできないときがあってもいい。

そんなときは、
「いつでも、ここで待っているからね」
と、心の中で声をかけます。

いつか、あなたの心が少しでも楽になりますように。
サービス数100万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す