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服を選ぶことが、昔から苦手だった。
生まれた時に「女性」という性を割り当てられた僕は、幼少期から高校卒業までを女性として過ごした。
その過程で選ぶように強制される服は、当然スカートとか可愛らしいブラウスとか、そういう「女性用」とされているもの。
でも僕はそういう服が苦手で、いつも暗い色のTシャツにズボンという出で立ちで街を歩いていた。
当時の記憶はあまりないけれど、母も僕のそんな様子を察してか次第に可愛らしい服を買ってくることはなくなった。
時は経ち、高校を卒業して1年が経とうとした頃。ちょうど、地元にあるネットカフェで「女性」として就労していた時だった。
自分の今のジェンダーに耐え切れなくなった僕は、突然ホルモン治療を専門とするクリニックの予約を取り、テストステロンを打ち始めた。
テストステロンを打ち始めて数ヵ月が経ち、何も言わなければ「シスジェンダーの男性」としていわゆる「パス」ができるようになった時、僕はふと思った。
学生時代に僕が感じていた洋服への嫌悪感の理由は、本当に「そういう服が嫌いだったから」なのだろうか?
今でこそ、まだまだ広まってはいないものの「ジェンダーにかかわらずどんな服を着てもよい」と考える人が少しずつ増えてきた。
僕はその考えに触れて初めて、学生時代に抱いていた洋服への嫌悪感の理由を考える機会を得た。
結論から言えば、僕は「可愛らしい服」そのものが嫌いなわけではなかった。
ただ、「女性」としてそのような服を着ることに嫌悪感を抱いていただけだったのだ。
前述の通り、僕は小学生から高校生までの時期を全て「女性」として過ごしていた。
その時期に社会的・医療的なアプローチを受けられる環境にいたわけでもなければ、僕の受けたいアプローチを支援してくれる身近な大人もいなかったからだ。
どんなに己のことを「ノンバイナリーである」と認識していても、周りから「女性である」と認識されていれば、結果的にどんな行動をしても「はつかちゃんという『女の子』が◯◯をした」と捉えられてしまう。
つまり、あの頃の僕が可愛らしい服を着ても「はつかちゃんがちゃんと『女の子』らしいことをしている」と認識されるだけだったのだ。
おそらく、僕はそれが嫌だったのだろう。
では、今はどうだろうか。
現在の僕は戸籍上の性別は変更していないものの、テストステロン注射により何も言わなければ「シスジェンダーの男性である」と認識される見た目になっている。
社会的にも男性として生きており、実際に男性としてほぼクローズ(=自分のセクシュアリティをカミングアウトしないこと)で就労していた時期もある。
今のこの僕が仮に「可愛らしい服」を着たとしたら、あの頃の僕とはまた違う結果になるのではないだろうか?
……そもそも、僕は本当に「可愛らしい服」が嫌いだったのだろうか?
よくよく考えてみたら、あの頃の僕も「可愛らしい服」を「女性として」着ることは拒絶していたものの、「可愛らしい服」そのものを拒絶してはいなかった。
そして、今の性別移行をしている僕は、そのような服を積極的に着たいとすら考えている。
それなら、学生時代の僕が抱えていた嫌悪感は、結局のところ「何かをする度に女性として認識される」ことが嫌だっただけなのではないだろうか。
そう気づいたのが、テストステロン注射を打ち始めて半年が経った頃だった。
それから更に数ヵ月経って、僕は通販で白いフリルブラウスを購入した。
正真正銘、僕が自分の意思で初めて購入した「可愛らしい服」だ。
届いたそれに袖を通すと、あの頃の僕が抱いていたものからは想像もつかないくらいしっくりくる感覚を覚えた。
1Kの部屋に備え付けられている全身鏡の前に立つと、思っていたよりも白いブラウスがよく似合っている僕が映った。
そうして、かつての僕が抱いていた嫌悪感の正体がようやくわかったのだった。
当然、僕と同じノンバイナリーの方や、テストステロン注射を受けている方の中には、「格好いい服」の方がしっくりくる方もいるだろう。
そもそも「しっくりくる服装」というのは人それぞれで、そこに僕含め誰かが干渉して良い理由などない。
しかし、己のジェンダーに関係なく、もし今自分の服装にしっくり来ないと感じている人がいたら、少し立ち止まって考えてみてほしい。
その服装は、本当にあなたが心の底から着たいと感じているものだろうか。
もちろん、置かれている状況によって自分の好きな服を着ることが許されない方もいると思う。かつての僕もそのような状況に置かれていた。
だが、もしそのような状況に置かれていない方で、「この服装をしなければならない」と自分を縛り付けている方がいたら、ちょっと待ってほしい。
それは、あなたが自然にそう思ったのではなく、「社会」にそう思わされているかもしれないからだ。
残念ながら、今の社会でも「服装」というものにはジェンダーがついて回っている。
そして、個人のジェンダーによって「正しい服装」「間違っている服装」というものがあるのだ、と僕たちに思わせようとしてくる。
しかし、それは違う、と僕は言いたい。
なぜなら、「服装」に「ジェンダー」をくっつけたのは社会の側だからだ。
本来なら、個人による服装の好みはあっても、ジェンダーによる正しい服装や間違っている服装などというものはないはずなのである。
それなのに、社会は僕たちにジェンダーによる固定観念を植え付け、本来の個人が持つ好みすらも制限しようとする。僕は、そういう社会が心底嫌いだ。
個人のジェンダーによって身に付けるべき服装が決まっている環境も、前述したような「社会」が産み出したものだろうと僕は考えている。
本来ならば、「服」に「性別」はくっついていないのだと思う。ただ、社会が勝手にくっつけているだけで。
だから、ある程度服装を自由に選べる僕だけでも、この社会への抵抗を示すために「可愛らしい服」を着ていこうと思う。
どんなジェンダーの人でも、本当に好きな服装ができる社会になることを願って。