2023年2月28日
学習塾リバティ 木村友彦
<自由>の形成と啓蒙。これが私の人生。
<自由>とは私の言葉である。もちろん多くの哲学者や思想家が自由について論を立ててきた。学者でなくても、普通の人でも自由について考えたことのない人はいない。そう。《あなたの自由》でいい。どの人も《自分の自由》を追いかけてほしいと思う。
(1)東洋思想には、仏教にも儒教にも「体用の論理」が底流している。
私が教室でしていることはもちろん学習指導。でも、「かくれんぼ」したい子と遊ぶ。「机」の上を歩き「紙ヒコーキ」を飛ばす子と遊ぶ。授業中「女の子とLINE」で連絡取り合う子をしからない。「USJ」で軟派された女の子には話をたくさん聞いてあげる。これもリバティの授業である。「かくれんぼ」「机」「紙ヒコーキ」「女の子とLINE」「USJ」。どれも、みんな自分の人生を活き活きと生きている。その積極性、能動性を潰さずに育てる。そうすると受験勉強に自分から向き合うことのできる子どもが育つ。さらに言うと、受験勉強を遊び化することで《自分の自由》が育つ。「受験は楽しかった」と卒業生の多くが言う。
黒澤明は最後の監督作品『まあだだよ』の中でひゃっけん先生(内田百閒)に「自分が本当に好きなものを見つけて下さい。見つかったら、その大切なもののために、努力しなさい。君たちは、努力したい何かを持っているはずだ。きっとそれは、君たちの心のこもった、立派な仕事になるでしょう。」と言わせている。
お釈迦様は、人々を娑婆の苦しみから救う教えを説いたという。東洋の「自然/じねん」の世界は、「自然/しぜん」を「自我」の対象物とする西洋の二元論の世界とは異なる。しかし、震災があっても何も語らない龍安寺の石庭はちょっとものたらない。人間なんだから嬉しいときは笑い、悲しいときは泣けば良い。さらさら流れる禅の流儀は「私」にはものたらない。私の言葉で言わせてもらうならば「娑婆は楽しむべきところ」「人生は楽しむためにある」。
(2)<新しい個人主義>
西欧に起源をもつ個人主義は、キリスト教とセットになって発展してきたという経緯がある。神の前の人間として倫理の裏打ちをもっていた。何につけても絶対の神の前では、人間は死後に神の審判を受けるところまで支配されていたという。ところがルネサンスを経て人間の方が力をもつようになり、やがて「神は死んだ(ニーチェ)」のである。欧米の現代の混乱はそのことに尾を引いているというのが一般的な見方であると考えてよいようだ。
一方、日本では、近代になって宗教性のないままに、日本民族の習性のままに個人主義だけが輸入されたと河合隼雄は言う。現代の核家族にあるような日本の個人主義には、このような背景があると「私」は認識している。
私が考えている<個人主義>では<自由>のうちに倫理がある。自分が自由であるためには、他者を尊重しなければならない。他者から認められずして自分の自由はない。これは仏教と同じで、私は自分のために自らに「修行」を課す。自由と寛容が<私の個人主義>の骨格である。こんなことはだれかがもう言ったことだと思うが、私にとっては「私」が到達したこととして意味を持つ。ちゃんと<個人主義>すると倫理性とか宗教性のある世界へ至ることができると考える。
(3)<自由>と《自由》
自由と聞いて、みなさん自分の頭の中に何か意味が思い浮かぶと思う。塾生たちはいつも私のそばにいるので、肌で感じていると思う。
「言葉は存在の家」と言ったのは哲学者ハイデガーである。「馬」という言葉で私たちは馬を了解している。もう大昔、競馬で人気のあった
ハイセーコーもトーショーボーイも、さらにサラブレッドではなく道産
子も「馬」である。生まれて初めて馬を見たときは「馬」という言葉を知らないので、その存在を「!」と経験する。そして経験を積み重ねて「!」を言葉で表すと「馬」となることを学ぶ。「言葉は存在の家」とは、このように存在が言葉で守られていることを意味する。
私には<自由>という言葉で守っている私自身の意味がある。《自由》という言葉でみなさんが了解している意味も、みなさんには《!》ではなくすでに何かあるはず。けれど私は、みなさんの意味をみなさんそれぞれでさらに独自に創造し続けていってほしいと思っている。これが<自由>という言葉で守っている<私の意味>である。<自由>は、ただのお手本。《自分の自由》を創造し続けてほしい。
(4)りんご
みんな。りんごを見て何を思い浮かべるだろうか。「赤い」と思う人。「アップルパイのレシピ」を思い出す人。「万有引力」を思いつく人。人それぞれでどれも正解だ。《自分の絵》を描くことから始めれば良い。何かスゴいことをしなければならないと思いがちだ。しかし、楽しんでいるうちにスゴい仕事になるでしょう。きっといつか《立派な仕事》になるのでしょう。
(5)ウクライナ
自由と寛容が切に尊重されなければならない。私は心の底から人類に《新しい世界観》《新しい文化》を期待する。<私の自由>は小さいが、世界平和への一歩のつもりでいる。