いじめられても「ここに居たい」と言った娘に、私が伝えたいこと

いじめられても「ここに居たい」と言った娘に、私が伝えたいこと

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「ここに居たいから、私は何をされても大丈夫」
娘がそう言ったとき、私はその気持ちを尊重しようと思いました。
でも、今振り返ると、あのとき娘は本当に大丈夫だったのでしょうか。

※この記事は、娘本人の了承を得たうえで、プライバシーに配慮して書いています。

娘がいじめられていると知った日

ある日、娘がいじめられていることを打ち明けてくれました。
学校ではなく、娘が通っていた、あるコミュニティでの出来事です。

一人の子を中心に、周りの子どもたちも同調するようになり、娘は集団で無視されるようになっていました。

私は娘に聞きました。
「どうしたい? 大人に相談する?」

娘の答えは、「嫌だ」でした。

娘は、その場所が好きだったのです。
そこに居続けたいから、大人には何も言わないでほしい。

「何をされても大丈夫」

そう言う娘の気持ちを、私はできる限り尊重したいと思いました。だから、そのときは見守ることにしました。

ただ、一つだけ約束しました。
「わかった。でも、何かあったら、また今日みたいに教えてね」

「大丈夫」と言う娘は、本当に大丈夫なのだろうか

それからも、娘はその日の出来事を話してくれました。

「今日も誰とも話さなかった」

そんな日が続きました。
そして、いじめは次第にエスカレートしていきました。

ついには、娘を「ばい菌」に見立てて避けるような遊びの対象にまでなってしまったのです。

娘は、それでもその場所に居たいと言いました。
私は悩みました。
娘の意思を尊重したい。
でも、親として、このまま見守っていていいのだろうか。

本人が嫌がることはわかっていました。

それでも、もう限界だと思いました。
指導者に相談しよう。
そう決めた、まさにその直後のことでした。

「本人は大丈夫?」

ある保護者から、話があると呼び出されました。
「最近、何か変わったことない?」

そう聞かれた私は、
「いじめのことですか?」
と聞き返しました。

その保護者は、すでにいじめのことを知っていました。

そして、こう聞かれたのです。
「このことを周りに言っても大丈夫? 本人は大丈夫?」

私は答えました。
「大丈夫じゃなくなるかもしれません。でも、私に言ってきている時点で、もう大丈夫ではないので、言ってください」

娘は、ずっと「大丈夫」と言っていました。
でも、本当に大丈夫なら、毎日のように私に苦しかった出来事を話す必要はなかったのかもしれません。

もちろん、話してくれたことだけで娘の気持ちのすべてがわかるわけではありません。

それでも私は、娘の「大丈夫」という言葉だけを頼りに、見守り続けることはできないと思ったのです。

いじめは収まった。でも、終わらなかった

その後、いじめに関わっていた子どもたちと保護者から謝罪がありました。
集団でのいじめは収まりました。

これで、娘も安心して通えるようになる。
そう思いたかったのですが、現実は違いました。

中心となっていた子とその母親からの、個人的な嫌がらせは続いたのです。
結局、娘はそのコミュニティを離れることになりました。

あれほど「ここに居たい」と言っていた場所でした。
何をされても大丈夫だと言うほど、大切にしていた場所でした。

そこを離れることになった娘の気持ちを思うと、今でも複雑です。

いじめが収まったからといって、安心して過ごせる場所に戻るとは限らない。
そのことを、私はこの経験で知りました。

環境を変えれば、すべてが変わるわけではない

その後、娘は別のコミュニティに出会いました。
そこでは良い仲間に恵まれました。

ただ、娘の性格が大きく変わったわけではありません。
人との距離を縮めるのは、相変わらず得意ではないようです。
新しい環境でも、なじむまでには時間がかかります。

一方で、学校では良い友人に恵まれたようです。
そんな娘を見ながら、私は考えることがあります。

環境を変えることは、とても大切です。
自分を傷つける場所に、無理をして居続ける必要はありません。
でも、環境を変えるだけで、すべてが解決するわけでもない。

人との関わり方、自分の気持ちの伝え方、相手との距離の取り方。
自分自身で少しずつ学び、変えていけることもあると思うのです。

もちろん、いじめられたのは娘の性格のせいではありません。

変わるべきだったのは、いじめをしていた側です。

それとは別に、娘には、これから先の人生で、自分を守りながら人と関わる力を身につけてほしいと思っています。

娘を見ていると、昔の自分を思い出す

娘は、いつもどこかで自分を抑えているように見えます。

「私がこれをやってもいいのかな」
「目立ちたくない」

そんな気持ちが、娘の行動にブレーキをかけているように感じることがあります。

実は、昔の私もそうでした。

子どもの頃から、人の目を気にして、できるだけ目立たないようにしてきました。
本当の自分を出すことに、どこか怖さがあったのです。

そんな私が変わるきっかけになったのが、算命学でした。

算命学を知って、自分の命式について学ぶうちに、長い間、自分の中で否定してきた部分を、少しずつ受け入れられるようになりました。

「こんな私でもいいんだ」
初めて、そう思えた気がしたのです。

実は、娘と私には、算命学の命式で一部共通するものがあります。
だからといって、娘が私と同じ性格で、同じ人生を歩むということではありません。
でも、娘が自分を抑えようとする姿を見ると、かつての自分と重なってしまうのです。

そして、思うのです。
私と同じように、自分を認められるまで、長い時間をかけてほしくない。

自分を変えることは、自分らしさを捨てることではない

私は娘に、もっと明るくなってほしいわけではありません。
誰とでも仲良くできる子になってほしいわけでもありません。
静かな性格も、慎重なところも、娘の大切な個性です。

ただ、自分が本当にやりたいと思ったことまで、周りの目を気にして諦めないでほしい。
誰かに嫌われないために、自分の気持ちを押し殺さないでほしい。

自分を変えるというのは、誰かに合わせて別人になることではないと思います。

自分の気持ちを言葉にしてみる。
嫌なことには嫌だと言ってみる。
困ったときには助けを求める。
やってみたいことがあれば、小さくても一歩踏み出してみる。

そんな変化を、少しずつ重ねていってほしいのです。
そして、自分を傷つける環境に執着する必要もありません。
そこから離れることは、負けではない。

でも、どこに行っても自分を抑え込んでしまうのなら、いつかはその殻からも出てきてほしい。
そう願っています。

娘には、娘の人生を生きてほしい

今回のいじめの経験が、娘のこれからの人生にどんな影響を与えるのか。
今はまだ、わかりません。

人を信じることが怖くなるかもしれない。
人間関係で、また同じような苦労をするかもしれない。

親として、そんな心配がないと言えば嘘になります。

でも、これから出会う人たちの中には、娘のことを大切にしてくれる人も、きっといるはずです。
実際に、学校では良い友人にも出会えているようです。

私は算命学に出会って、ようやく自分を認められるようになりました。

娘が自分を認めるきっかけは、算命学ではないかもしれません。
友達との出会いかもしれないし、何かに夢中になる経験かもしれません。

どんなきっかけでもいいのです。

いつか娘が、

「私はこれが好き」
「私はこうしたい」

と、周りの目を気にしすぎずに言えるようになってほしい。

自分を大切にしてくれない場所からは離れていい。
でも、自分自身のことまで諦めないでほしい。

私は娘に、私と同じ人生を歩んでほしいわけではありません。

娘には、娘の人生を生きてほしい。

そのために、娘の個性を理解しながら、必要なときには守り、必要なときには背中を押せる母親でありたいと思っています。

そして、娘がいつか、自分自身を心から認められる日が来ることを願っています。


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