たまには夫婦喧嘩も

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今日は妻と喧嘩をしました。
でも五分くらいで
ぼくが「ごめん」と謝りに行きました。
それでいいのです。

『新しい人に包まれて』第二回
「だとすると、この金は、ここに名前のある佐山久美子という人が置いていった金に違いない。だがな、お前が意識を失って倒れているのを発見した人たちは、誰もこの女の人の姿を見ていない。何かの事情があって、このメモとお金を残して急いで立ち去って行ったのだろうが、お前に心当たりはないか?」
「ないよ」と答えながら、聖太郎は今の父との会話と全く関係のないことを考えていた。というより、感じていた。目の前の空気の色が前とは違って見えたのである。それは意識が戻った瞬間からどこか変だと思いながら感じていた現象ではあったが、いつか元に戻るだろう、ただの気のせいだと打ち消していたものだった。
 ところがその空気の色がいつまでたっても同じなのである。
「どうしたの?」と、キョトンとして周囲を見渡す聖太郎の姿を見て少し心配になったのか、母がおそるおそる訊ねる。
「いや、別に」と言って軽く流しながら、父と母、そして妹の姿を順番に眺める。そして殺風景なはずの病室の壁などを見渡し、やはり変だと思う。
 世界が全て自分に好意的で、風景がとてつもなく美しくキラキラ輝いて見えるのである。
 『新しい光に包まれて』というメモ書きの言葉が、非常に意味ありげに感じられた。まさにそのとおり、聖太郎は生まれて以来かつてない美しく新しい光に包まれていたのである。
 聖太郎の意識が戻ってから、医師や看護婦が現われ、脳波などの色々な検査が行われた。その結果脳には何の異常も認められないことが分かった。しかし聖太郎自身に感じられる変化は、いつまでも続いた。そしてそれは次第に定着してゆくような印象を彼は抱いた。
 何故こんなに世界がキラキラ輝いて見えるのだろう。脳に異常がないとすれば、この変化は一体何なのだろう。そう疑問を感じながらも、彼の胸はワクワクときめいていた。こんな幸せな気分になったことは、未だかつてない。
 それまでの聖太郎は、何をしていても、どんな時にも、最高の幸せという感情を抱くことが出来なかった。どこか、これはうわべだけの楽しさだろう、あるいは、自分自身をだます嘘の楽しさを演技しているのではないかという疑いを抱いていたものである。そういう冷めた不幸せな目は、物心をつき始めた時から彼には既に備わっていた。
 それだけに、今感じている至福の思いは、掛け値なしの本当のものだと、彼には分かったのである。
 彼は佐山久美子の面影が忘れられないでいる。消灯時間が過ぎて、一人病室のベッドに横たわっていても、早くもう一度彼女の顔を見たいという思いがつのって仕方がなかった。聖太郎は元々空想好きの青年だったが、事故のあと世界がキラキラと光って見えるようになってからというもの、次から次へと新しい物語が湧いては消え、湧いては消えした。
 それは今までの空想とは違って、より臨場感のあるものばかりだった。彼の目の前に一つの奥行きの深い舞台があり、そこに色とりどりの照明が当てられ、登場人物はきらびやかな衣装を身にまとい、思いがけなく楽しいせりふを次々と発してゆく。
 その舞台の全てが、佐山久美子というあの女の面影を中心に回っていた。恋という言葉では軽過ぎる、何か彼の運命に重大な影響を及ぼす宇宙規模の宿命のようだと彼は直感した。きっとこれから何か大きなことが起こると、彼は思ったのである。

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