※亡くなった愛犬の思い出が出てきます。ペットロスの方はお気を付けください。
愛犬を亡くした時
犬好きなもので、わんちゃんの動画とか、SNSとかついつい見ちゃいます。
昨年うちの老犬をお空に送り出したばかりなので、シニア犬はどうしても応援してしまいますね(*´ω`)
そうしてたくさんのわんちゃんを応援していますとね、やっぱりその日が来るんです。
そう、お別れの日です。
会ったこともないわんちゃんですが、いつも応援していた子が旅立ってしまうのは本当に悲しくて、スマホのこちら側でしょんぼりとしてしまいます。
飼い主さんも、わんちゃんを想って何日も涙が止まらなかったり、寂しくてご飯も食べられなかったりして、その悲痛さが伝わってきます。
ですが、
私は、あまり泣きませんでした。
全く泣かなかったわけではありませんが、一日中涙が止まらないとか、何も手につかなかったとか、そんなことはありませんでした。
私は愛犬のために仕事を辞め、24時間ほぼつきっきりで約二年間必死で介護をしていたので、「犬が亡くなったらママはどうなってしまうのか」と家族は心配していたようです。
とにかく愛犬ファーストだった私が、なぜ、泣き暮らさなかったのか?
理由はふたつありました。
ひとつは、恐怖からの解放です。
介護中、私が恐れていたことが二つありました。
①愛犬が苦しんでその時を迎えること
②私がその瞬間に立ち会えないこと
うちの犬は20歳だったので超高齢でしたが、最期は老衰ではなく癌で亡くなりました。
最後の瞬間まで、できるだけ穏やかに過ごしてほしい。
苦しみながら延命するよりは、短くてもいいから穏やかに旅立ってほしい。
それだけを願いながら日々介護をしていました。
そして「私は絶対にこの子を看取る」と決めていたので、私が少し離れた時、トイレとかお風呂とか、買い物に行っている間とかに、ふいにその瞬間が来てしまうことを、本当に恐れていました。
いざ、その時を迎える
それは平日の朝で、夜中から見守っていた私には、この子にもう時間は残されていない、とわかりました。
夫と次女はそれぞれ犬にお別れを言って涙ぐみながら会社と学校に行き、その後、長女と私と私の母で看取りました。(長女は学校が近いので、その後登校しました)
穏やかな最期でした。
もう恐れることはなくなりました。
悲しみとホッとした気持ちが同居した、不思議な感じでした。
もうひとつの理由は、うまく言えないのですが、表れかたの違いでしょうか。
犬がいなくなってとても寂しい。
でも、涙と共にあふれ出る悲しみではなくて、心のどこかがしんとする、そんな気持ちで今も生きています。
「精一杯の愛情を持って介護したので悔いはない」という部分もありますね。
あんまり涙を流さない私って薄情なのかな?
と思った日もありますが…
あの子が虹の橋のたもとで待っていてくれると思うと、どんな時も勇気が出るのです。
悲しみの表現は人それぞれ
もし目の前に、号泣している人と涙ぐんでいる人がいたとして。
号泣している人の方が悲しみが大きいとは限りません。
もし目の前に、大声で怒鳴っている人と真顔で口を結んでいる人がいたとして。
怒鳴っている人の方が怒りが大きいとは限りません。
穏やかに笑っていても、心は傷ついているかもしれません。
「思いやり」の語源は「思い」を「遣る」です。
自分の思いを相手の心に向けて、行かせる(遣る)。
寄り添う。慮る。
人の心の中はわからないからこそ、思いやりを持って行動したいですね。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。
外に出せない思いはありませんか?
いつでもお話聴かせてくださいね。