もう14年かぁ~😭

もう14年かぁ~😭

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コラム
母が亡くなって14年目の命日。
当時は、姫が未だ小さくて・・病院へお見舞いに行っても、部屋にじっとしてくれず・・追いかけ回して、父は父で、高いところに行くと目が回るとかで、5階の病室にいるのが嫌だと早々に帰りたがり・・母との時間をゆっくり過ごしてあげることがなかった。

以前から、パーキンソン病の傾向があって、治療薬を飲んでいた母。健康診断で引っかかり、調べたら、がんと判明。しかも、手術するには、出来ない場所・・年齢的にも、厳しかったんだろうな😭
病院の先生に呼び出され、余命半年ですと・・
驚きで、母には余命は内緒だねとみんなで話した。
でも、抗がん治療が始まれば、、自分ががんだとは解るわけで・・なんとなく気付いていたんだろうな・・

ろくにお見舞いにも行けず・・と言うより、いこうと思えば行けたはずなのに・・ちょっと遠方という言い訳で行かなかった。
見舞いに行っても姫は落ち着かず・・預けていけば、お金かかるからなど身勝手な言い訳だな。病人の母にしたら、誰でも良いから、ちょっとでも来てほしいと思っていたはず。
なのに、見舞いのたびに、そういう所は、全く見せずだった。

母の妹の叔母が行ったときに、誰も、来てくれない、私はがんだからって泣いていたらしい・・
体調落ち着いて、一時退院。家族で誕生日のお祝いをする。この頃は、パーキンソンもかなり進行していたのか?動くのがつらそうだった。
この日が家族との最後の写真と、動く母の映像。翌日は、病院に帰る前にみんなで水族館へ・幼い姫が車椅子押すんだ!って張り切って押していたのを、今でも思いだす。
数日後、完全帰宅が降りて、家で喜ぶ母。仏壇前で、あいさつして立ち上がったとき、よろめいて、後ろに倒れて、背骨の圧迫骨折。
折角帰宅できたのに、ベット上での生活。みんなのいるリビングにベット移そうか?と聞いたが、恥ずかしいからと1人奥の部屋で寝る。
薬のせいなのか?男の人がいる!等と怖がる。ヘルパー頼んだりして、数日やり過ごす。どこかにヘルパーさんと行くはずだった日。動けない母を見かねて、病院に搬送することとなり、母は めちゃめちゃ嫌がったらしい。
私は、病院に緊急呼び出され、母を説得するも、この病院は嫌だ!と泣いてあばれて拒絶。しかし、急には転院は出来ないので、なんとか移れるように頼むから、今日はここに泊まってと入院となった。もちろん一晩のはずはないので、しばらくとどまることに。
それからは母、治療を拒否したらしい。
そのことは知らなかったが、叔母から亡くなった後に聞かされた。
ようやく転院の許可が下りて、移動の日。
私は、用事があって、義理姉につきそい頼んだ。
体調が悪くなって、移るのは難しいと言われたが、強引に転院させて貰った。
私は、転院先の病院に走り、先生の話を聞く。
もって数日でしょうとの言葉。。
こんなことなら、もっと早く転院させておけば・・と後悔先に立たず・・
遠方の妹も帰ってきて病院につきっきり。
私は姫がいるから、家と病院の往復。
明け方4時頃だったかな?着信音が鳴り響き、ちょっと厳しいです・・と
家に待機していた兄妹家族そろって、車で病院へ・・・
近くの叔父叔母達がそろってきていた。
生きている母のそばで、葬儀社は手配しているのか?等、
無神経は言葉を吐く叔父、殴ってやりたかった😭
耳は聞えるから、聞いていて悲しかっただろうな・・
実の弟にそんなこと言われて・・😢
そんな中、母は、ゆっくりと息を引き取った・・
今も、ブログに書いたことを思いだすたび、後悔する。
もっと母と話しておけばよかった。病院に通ってあげたらよかった。
優しくしてあげたらよかった等など・・言い様もない感情は、
14回目の命日になっても変わらない。

生んでくれてありがとう。優しくしてあげなくてごめんね。
具合が悪くても、何も言わず頑張っていたお母さん。
寝る時間も少なかったのに、家族のために仕事を掛け持ちして
頑張っていたお母さん。あなたの偉大さを今しみじみ感じています。

本当にありがとう。何度言っても、良い足りないくらい・・
ありがとう・・ありがとう・・
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