最近は、暇なくせに創作活動するでもなく、YouTubeをひたすら見てたんですが、だんだん飽きてきて、久しぶりにアニメでも見ようかなと、Amazonプライムビデオで、「魔法少女まどか☆マギカ」を今さらながら初視聴してみたのですが、この作品は、一見すると普通の「魔法少女モノ」に見えるんですが、実際には、少女向けでも子供向けでもない作品だとわかりました。
基本的にメジャーな人気作品って、見ないことが多いんですが、これは見てよかったなと感じました。ただ、やはり人気作品は、随所にフリーメーソン的な思想も入ってますね・・たとえば、主人公である、「鹿目まどか」の両親が、
父が専業主夫で、母がバリバリのキャリアウーマンであるとか、随所に登場する白黒(市松模様)の床が、フリーメーソンのロッジの床と同じ柄であったりとか、まどかと、もう一人の裏の主人公とでもいうべき「暁美ほむら」が、深い友情というレベルを越えた「愛情」になってしまっている、レズもの?なんじゃないかとか、力はバランスをとらなければいけないという、「謎のバランス理論」もまた、フリーメーソンの思想ですね。
ただ、一方でキリスト教的価値観も垣間見えます。また、神と悪魔は表裏一体であるという、魔術師エリファス・レヴィの思想も入っているのではないかと思われます。ドイツの古典文学、ゲーテの「ファウスト」の現代版アレンジでもあるという意見もありました。そういう意味で、ただの魔法少女ものでも、タイムリープものでもない異質な作品かなと思いました。
まあ、このアニメが、タイムリープものであると気づくのは物語の終盤になってからなんですがね・・普通のタイムリープものは、序盤で視聴者に、これはタイムリープものですよって主旨が明らかにされて進むことが多いです。
アニメ全編と映画版「叛逆の物語」も見たんですが、「叛逆の物語」は、神に反逆する堕天使ルシファーになぞらえているんでしょうか、物語のラストで、もう一人の主人公である、ほむらが悪魔化するんですが、この悪魔化するのさえも、まどかのため、なわけですよ。深すぎる友情、というか友情越えて愛情ですよね・・救済システムと化してしまった、概念化した「円環の理」となったまどかを、また普通の人間としての生涯を全うさせてやりたい、という、ほむらの愛情が、彼女を悪魔化させたわけです。誰かの犠牲のうえに成り立つ皆が幸福な世界なんてのは、おかしいよねという問題提起でもあるわけです。
まどかが救済システム化した世界では、まどかは普通の人間としての生き方は楽しめないし、だから、ほむらは、そんな世界は嫌だってことで、自分の結界の中で理想の生活をしている偽りの世界を作り出し、さらに自らの記憶の一部をも封印して、自らの世界にダイブした・・というわけです。
イエスキリストも、神が自ら作った世界に、自らの記憶と能力を一部、封印して、この世界にダイブしてきましたから、ほむらと同じことやってますね。