パウロが言う「第3の天」とは?天界の三層構造について

パウロが言う「第3の天」とは?天界の三層構造について

記事
コラム
パウロの書簡の中で、第3の天にまで引き上げられた男の話が出てきますが、この第3の天について話していこうと思います。(以下、引用)
わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。 わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです
ちなみに、わかると思いますが、ここで言っている第3の天に引き上げられた人というのは、パウロご自身です。現代人でも、自分の事なのに、他人の事のように言うこと、ありますよね。ああいう感じです。
聖書の中で、生きたまま天に引き上げられた義人というのは、多くはありませんが何人か存在します。それはエノクであったり、エリヤであったり、ヨハネであったり、そしてこのパウロであったりです。意外にも、モーセは天に引き上げられないばかりか、約束の地にさえ立ち入ることが許されませんでしたから、神はまあまあ厳しい方だと思われます。神のために民を率いて大偉業を達成した、あのモーセでさえ、約束の地に入ることさえ許されなかったのだから、この終末の時代の罪が極まった時代の闇の時代の現代人が何をどんなに頑張ろうと天にあげられることは、まずないと思うんですが、ユーチューバーの牧師や信者の中には、大患難の前に、携挙で助かる!と確信している人も結構います。携挙っていうのは、天に引き上げられることを言うそうです。まあ聖書にも、書いてある事象です。この人たちは自分の命が惜しいんでしょう。苦しいの嫌だから、携挙でささっと助けてくれというわけですが、たぶん無理ですね。これで助かるのを期待している人は逆に助からないと思います、聖書でイエスはこう言ってます、自分の命を得ようとするものはかえってそれを失い、捨てようとするものは命を得る。なので、携挙は期待しないほうがいい。
さて、話を戻します、第3の天についての話でしたね。まず、第1の天については、我々の見ている天ですね。で、悪魔の嘘に騙されている人は、この天の上には広大な真空の謎の漆黒「うちゅうくうかん」が広がっていることになってます、彼らの頭の中では。上も下もなく、中心がどこかもわからない、我らの立つ大地はボール状で弾丸のような速度で高速回転している、という設定になってます。この上も下もなくて、大地に中心もなく、絶えず動いてる、そんな世界観は、そのまま彼らの心の中を表している、善悪の概念も無ければ、時代や場所や人によって価値観もばらばら、色んなものに影響されて、すぐ心を変えてしまう、自分の立っている立ち位置さえ、ころころ変わる、動く、だってそういう大地に立ってる設定だもんね、頭の中では。
第2の天については、天使と悪魔の住まう空間となってます。ここで絶えず、戦いが起きてます。天地創造の前から、ここに善悪の概念の戦いがあるのです。我々の心の中に、影響を与える空間です。悪い思いにとらわれ、悪いことをするとき、悪魔に加勢していることになりますので、やめましょう。天使を疲弊させることになりますから。
第3の天は、神と、義人たちの霊、魂が安らかに休息している場所です。人はここを目指すべきです。地上は悪魔が支配してますから、神の民は居心地が悪くて当然なのです。地上を離脱して、この第3の天に安らげる者として神に迎え入れられたなら、つらい人生の旅も終えるのです。死ぬのは別に怖くない。むしろ、死んで地獄に落ちて永遠の火で焼かれる続けるのが怖いのです。
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