闇の光に導かれ・・

闇の光に導かれ・・

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コラム
我々が科学の法則を信じ込まされ、自らが賢くなったと勘違いし、さらに神から遠ざかる・・これはルシファーの放つ「闇の光」による作用である。
もちろん、科学技術の全てを否定するわけではない、もし科学技術が発展しなければ、このように単なる一般人である私の一意見を不特定多数の人間に届けるということも決してできなかったのだから、科学の恩恵には私もあずかっていることは否定できない。だが、根底にあるのは神への敬意と、人間にとって最も大事な誠意、であることは忘れてはならないのだ。
闇の光という表現はカバラ(ユダヤ神秘思想)の本に出てくる、カバラの世界においては、このような一見矛盾するような中二病のような表現がよく出てくるのだ。ただ、なんとなくニュアンスは理解できると思う。
ルシファーもイルミナティも、本来はどちらも「光もたらすもの」という意味である、だがその裏にあるのは、禍々しい闇なのだ。
フリーメーソン、イルミナティのよく使う白と黒の市松模様は、その2面性をよく表しているものと言える。我々、神の民は、表と裏があってはならない、いつ、どこで、誰といても、何をしていても、変わらず一貫性をもって行動しなければならない、神は我々の言動はおろか心の中まで全てを見ておられるからである。
18世紀半ばごろから顕微鏡の発明により、土中や水中の微生物などが肉眼で目にすることができるようになったが、それまでは人間は微生物の存在など知る由もなかった。なので、密閉した瓶にフタをして、しばらく放置するとコバエが発生するので、ハエは何もない空間から生まれるのだと間違った解釈をしていたほどだ、ハエの卵程度でも視認できないのだから微生物などは視認できるはずもない、しかし微生物自体は、顕微鏡が発明されてから出現したわけではなく、太古の昔から存在していた、ただそれが「人間にとって見える」ようになったのが18世紀になってからというだけのことだ。
そして微生物だけでなく電磁波や放射線といった目に見えないものが、実際に存在するということが近代になって徐々に明らかになっていく、このようにして人間は科学の進歩によって目に見えないものを知るようになっていくのだ。
しかし、目に見えないものを知ることにより、逆に同じように、目に見えないが存在する神や天使や聖霊の存在を信じないようになっていく、皮肉なものではないか、同じように目に見えないのに、神を存在することを否定するのだからな、これこそまさにルシファーの放つ闇の光の作用かもしれない、科学の発展によって知識が増え、目が見開かれたのだと思いあがるようになる、そして神への敬意や誠意などがはないがしろにされ、システマチックで冷徹なディストピアが形成されていく、終末の世界では人間性が地に落ちたようになる。
一般人は宇宙があると、この大地が球体であると「知っている」と言うのだ、「信じている」ではなく、「知っている」と。つまり、1ミリの疑いもなくそう信じているというわけだ。一切の疑念なく100%騙されている場合、信じているを通り越して知っていると言ってしまう。
そう、知っているのであれば信じる必要などないのだからね、だが神の民は、神が存在すると信じている、私の場合はすでに「知っている」というレベルに達しているほどその信念は不動のものであるが、そこには前提として信じるということが必要になる、「信じている」からこそ、いずれ「知る」ようになる、最初から知っているのであれば、信じる必要などないではないか!
神を信じよ、そうすれば私のように、いずれ神を知るようになる。

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