神はなぜ人を作ったか

神はなぜ人を作ったか

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コラム
人間の行動原理の基本は、すべて足りないから、その不足している分を補充していくというものだ。のどが渇いているから、水を飲む。腹が減っているから、食べる。暑いから涼む。寒いからあったまる。疲れているから休む。
結局これらすべて、足りなくなったものを補うという行動である。
だが、完璧な存在である神や天使は、足りなくなるということが無いので、足りないとはどういうことか、それが分からない。
そもそも不足してないので、それを補うという行動がそもそも発生しえない。
恐怖や不安という感情も、人間にしか発生しえない、なぜならすべてを知っている神は、恐怖も不安も発生しえないからだ。
人間は長い歴史の中で、物質的な不足が、ほぼ解決されてしまった。だいたい「常に腹が減って死にそうだ!」という人はほぼいないし、だいたいの人は、常に雨風をしのげて寝る空間も確保できているし、冷暖房などの空調設備もあるだろうし、水道や電気などのインフラも整ってるだろうし、睡眠時間も確保できているだろう。つまり古代から、現代にいたるまでの人類の不断の努力により我々は、これらの物質的不足をあまり経験しなくなった、そして新たな問題が発生した、「退屈」である。この問題に対処するために人間は、エンターテイメントというものを開発してきた。まあ、エンタメといっても、いろいろあるのだが、実際に自分が体を動かして楽しむアウトドア的なエンタメは古代からある程度はあっただろう、しかし「デジタル空間、仮想空間」を楽しむという新たなエンタメは、ここ最近できたものである。
たとえば、漫画なんてのも、せいぜい歴史は100年程度である、そこから、映画やアニメなんかの進化系もでてきた。これらを楽しめるのは物質的に豊かな文明人が、さらにそこから発生してしまった退屈をどうにかするため、自分の脳を楽しませるために作りだした、「ニセモノの世界」である。
この「ニセモノの世界」というのは、【パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 】という本の中で、出てくる言葉である(ちなみに、パパラギというのは文明人のことを指す)
原始的な生活を送っている彼らにとっては、映画やドラマを見ても、意味が分からない、というか滑稽にすら見えてくるようだ、だって、彼らはリアルを生きているんだもの。なんでこいつらはどうでもいい演技をして取り繕っているのか、理解不能だろう。彼らはまだデジタルな空間で脳を楽しませるという領域に達してないので、この感覚が分からないのだ。たとえば、私なんかも麻雀のルールが分からないので麻雀の楽しさがわからないのだが、わかる人にとってはすごく楽しいものだろう。
さて、話が脱線してしまったが、神がなぜ、人を作ったのか、私は考えてみたのだが、不足するとはどういうことか、完璧じゃないというのはどういう状態なのか、そのときどういう感情が発生するのか、というのを知りたかったから、神は人を作ったのではないだろうか。完璧で、すべて足りてないものがないから、あえて、完璧ではない、足りてない存在を作り、そこに自分の霊の一部を吹き込んだ。つまり我々は神の分割された意識体なのだ。そして制限された世界で、どのように彼らが成長していくのか、それを見て、楽しんでいる。親なら当然、子の成長を見て楽しむものであろう。

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