イエスの最期の言葉を知っているか?

イエスの最期の言葉を知っているか?

記事
コラム
イエスが処刑される際に残した最後の言葉を君は知っているだろうか?
実は、この最期の言葉については、マタイとヨハネでは全く違うことを言っているのである、それはなぜだろうか?
マタイ福音書では、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ・・」これは、日本語に訳すと、「わが神よ、わが神よ、なぜ私を見捨てられたのか・・」という意味になるのだが、ヨハネ福音書では「成し遂げられた・・」と書いてあるのだ。
これはどういうことだろうか?おそらくであるが、マタイとヨハネはイエスが最期に何か言ったであろうことはわかっていたが、何を言ったかまではわからなかったのではないだろうか。つまり、彼らなりに、想像で、このようなことを言ったのであろう、と書き記したものと考えられる。
そこで、マタイ側とヨハネ側で解釈の違いが発生してしまったのは、イエスに対する理解度の違いであっただろうと思われる。
おそらく、マタイのほうが、まだ普通の人間レベルでしか物事を考えれていなかった・・そしてヨハネは、かなり深いレベルで考えることができていたと思われるのだ。同じイエスの直弟子であったが、やはりレベルの違いはあったようだ。
マタイは、イエスが神の子であるとわかっていた。しかし、イエスがなぜ処刑されたのかについて、全く分かっていなかったのである。
だからこそ、神がイエスを見捨てたから処刑されたんだと、普通の人間レベルの考えに行きついてしまったのである。もちろんマタイもあとで考えが変わったかもしれないが、少なくともこの時点では理解していなかった。
では、ヨハネはどうかというと、完全に天の父とイエスの意向を理解していたと思われる、「成し遂げられた」とイエスが言ったであろうと想像したのは、イエスの死によって、【イエスを信じる者たちが救われる】ということが成し遂げられた、ということなのである。
我々は多かれ少なかれ必ず罪を犯す。だが、罪を犯した者が皆、地獄へ行くなら誰も救われない、だから、何一つ罪を犯したことがない存在であるイエスが罪を犯してないけど、罪人ということにしてあげよう、ほら、私も罪人なんだよ、だからこのように処刑されたよ、私が悪いということにしなさい、とこういう意味なのである。だから、我々が、「ああ、罪を犯してしまった・・これはもう取り返しがつかない!」なんて自責の念に駆られても、いや、神も罪を犯した(実際には犯してないけど)のだから、人間は罪を犯して当然だ、人間の心は悪に傾きやすく弱いのだから、と言い訳ができる。
イエスが我々の代わりに死んでくれたというわけなのだから、我々も彼の死に報いるために信仰心を持たなくてはいけないであろう。もし、そうでなければ、我々はとんだ薄情者ではないか?そして、そんな薄情者は、地獄へ行っても仕方がないよね、っていう話です。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す