「日韓中三国比較文化論④」

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2、「義人」韓国の深情と適当さ~「教育大国」の底力と進取の気性②

「ワサビと唐辛子は、それぞれ日本と韓国を代表する香辛料である。
 以前にも書いたことがあるが、このふたつの香辛料が人体に及ぼす作用は、実に見事に両国の国民性を物語っていて、感心させられてしまう。
 私は、たまたま日本のテレビ番組を見ていてそのことを知ったのだが、そこでは、ワサビを食べたときと、唐辛子を食べたときの体内の血液循環のあり方を中心に、次のような違いがみられるとb紹介されていた。
 ワサビを食べたときの血液は、とくに心臓のほうへの偏(かたよ)りをみせる。そのため、鎮静作用が働いて、精神に落ち着きをもたらしてくれる。一方、唐辛子を食べたときの血液は、ワサビの場合とは違って、頭部のほうへの偏りをみせる。それが神経に刺激を与え、血液の循環をよくすると同時に、精神的に興奮しやすい作用を生み出している、というのだ。
 私は、思わず「なるほど」とうなずいたものである。
「物静かな日本人」に対して「カッカとしやすい韓国人」。
「鎮静」を好む日本に対して、「興奮」を好む韓国……。たしかに、そんな対比のできそうな両国の国民性は、香辛料の好みにまで及んでいる、ということなのだろうか。
 ワサビも唐辛子、「辛い」ということでは同じだが、辛さの質には大きな違いがある。
 ワサビは、身体の内側にジーンと染(し)みわたるような辛さ。唐辛子は、頭のてっぺんからカーッと立ちのぼるような辛さ。「吸収」と「発散」のイメージなのだ。
 ワサビの辛さに耐えているスタイルは、下を向いてきつく目をつむり、目頭を親指と人差し指で押さえて、唇を固く締めつけるように口を結び、「ウーン」と唸(うな)る、といったあんばい。
 唐辛子の場合は、目も口もカッと開いて舌を出し、息をハーハーと吐くという感じ。
 ワサビでは辛さを抱きかかえるようにして身を閉じるが、唐辛子では、辛さを発散させようとして身を開く。
 ワサビは、辛いという体感を内部に受け入れさせようと働き、唐辛子は辛いという体感を外部に出させようと働く。
 この働きが、それぞれの「食」の楽しみを生み出しているようにも思える。
 私には、そこが面白い。ここでもまた、両国の国民性の違いが巧(たく)みに語られているような感じがするからである。
 ワサビの辛さは「受け身」の姿勢を、唐辛子の辛さは「能動」の姿勢をイメージさせる。
 実際、日本人は、つねに自分を「受け身の立場」に置こうとする傾向が強いし、韓国人は、つねに自分が「能動の位置」に立とうとする傾向が強い。まさに正反対なのである。
 もうひとつ、ワサビの辛さは鼻にツンと来て涙が出るが、それは一瞬で消え去る。一方、唐辛子の辛さのほうは、料理を全部食べ終わった後でも、まだ汗が引かないほど長続きする。
 これも淡泊であっさりした日本人と、粘り強く持続力のある韓国人を象徴しているかのようだ。そんな具合に、ワサビと唐辛子に重ねた日韓の話は尽きない。」
(呉善花『ワサビの日本人と唐辛子の韓国人』)

「自宅に遊びに来た日本人の友人と、お茶を飲みながらテレビを見ていると、たまたま広島アジア大会の日本対韓国の女子バレーボールの試合(一九九四年一〇月六日)が始まった。
 両国とも二セットずつを取り、ゲームは勝負を懸(か)けた第五セットへともつれこんだ。
 それまでは、「どちらもよくやるわね」などと余裕をみせていたものの、ここまでくると、二人とも興奮を隠せない。
 私も彼女も「ガンバレ、ガンバレ」と、自分の国のチームを必死になって応援する。
 この、彼女との応援合戦が面白かった。
 熱の入ってきた私は、「イギョラ、イギョラ(勝て、勝て)」と韓国語で声を張り上げ、彼女のほうも力が入っている様子、ところが、彼女は、「ガンバレ」からやがて「負けるな」と応援しだしたのである。
「負けるな」って?そんな気の抜けた応援ってあるのかなと思っていると、彼女はさらに、両手のこぶしを握(にぎ)りしめながら、「勝たせて!」と叫(さけ)んでいる。
 試合が終わってから、彼女に聞いてみた。
「韓国ではイギョラ、つまり『勝て』って応援するけど、日本では『負けるな』って応援するの?そんな消極的な言い方で、力は入るの?」
「そうか、あなたが叫んでたのは『勝て』なのか。日本では、まず『勝て』とは応援しないと思うなあ。『負けるな』のほうがお腹にぐっと力が入るもの」
 へえー、力が入るのか、と感心しながら、それから……と、また私は聞いた。
「あなた、『勝たせて!』って叫んでたでしょう、あれは誰に向かって言ってるの?」
「誰って……韓国のチームにとか、神様にとか?とくにそういう意識はないけど、まあ何かに祈るような気持ちなのね」
 なるほど、彼女もやっぱり日本人なんだなあと、当り前のことにいまさらながら感心してしまった。
 自分が応援するチームに勝たせたいわけだから、「勝て」と応援するのが自然でしょ?「負けるな」なんて、いかにも弱気だし、「勝たせて!」となると、もう応援放棄と同じじゃないの、というのが私の率直な感想。
 そう言うと、彼女も「たしかにそう言われればそうねえ」と不思議がっている。
 こちらが「勝て」と応援しているのに、「負けるな」と返される、なんだか拍子抜けしてしまう。「勝て」と「勝て」のぶつかり合いであってこそ、応援合戦になろうというもの。
「負けるな」とこられると、受け身一方の弱い者に対しているみたいで、なんだかガックリきてしまうのだ。
 私と彼女の応援合戦に象徴的に表れているように、日本人は、「勝て」という具合に、攻撃的な姿勢に出ずに、スッと「負けるな」と受け身に回る。
 “自分の意志をあらわにして、相手の意志と対抗する”ことを避けようとする、そういう感じなのである。
 日本人と話をしていると、そんな表現に出会うのはしょっちゅうのことだ。そういう中でも、最も象徴的なのが、日本人の受け身形の多用である。
 韓国語には、そもそも受け身形の語法がないから、特にそう感じることにもなるのだが、日本語ほど受け身形を多用する言葉はない。また、西洋の言葉には受け身形があるけれど、日本語のように頻繁に使われることはない。
 日本語の受け身形については、『スカートの風』(三交社刊)でも述べたことがあるが、たとえば、「あなたにそう言われるとつらい」といった言い方。
 こういう言い方は、日本語独特のものではないかと思う。韓国語の場合は「言う」の受け身形がないから、「あなたがそう言うとつらい」と能動形になる。他の国でも、まずここは能動形を使うのが普通だろう。
「あなたがそう言うとつらい」と言えば、どこか「だから、あなたが悪い」というニュアンスを含むから、やや大げさに言えば、相手の意志と自分の意志が対抗関係に入ってしまう。それを「あなたにそう言われるとつらい」と言えば、そのへんはグッとソフトになってくる。
 また「泥棒に入られた」という言い方。これも日本語特有の使い方である。
 泥棒が悪いというよりも、入られた自分に問題があるというニュアンスなのである。韓国語ではもちろんのこと、英語でも「泥棒が私の家に入った」と、泥棒を主語にして使うのが普通だ。
「亭主に逃げられた」でも「女房に逃げられた」でも同じこと。
 日本語では、なぜ、逃げた相手を主語にして、相手を非難するような言い方をしないのか、私はずっと不思議でならなかった。」
(呉善花『ワサビの日本人と唐辛子の韓国人』)
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