これは『列子』に出て来る話です。太行山と王屋(おうおく)山は昔、冀(き)州の南、河陽の北にありましたが、この山の麓に住んでいた愚公という九十歳近い老人が、「どこへ行くにもこの山が邪魔になるので、山を削って平らにしよう」と思い立ちました。早速、家族を集めて取りかかりましたが、これを見た智叟(ちそう)という人物が「そんなことをしたって、一生涯やっても知れたもの。とても山など動かせるものか」と笑いました。ところが、愚公は「わしが死んでも子がいるし、子は孫を生み、孫はまた子を生む。こうして子々孫々、倦まずにやれば絶えることなく、山は増えるわけではないから、平らにすることができないはずがない」と言ったのです。まさに百年単位で物事を考える中国人らしいスケール(李白の詩にちなんで「白髪三千丈」とも言います)ですが、これを聞いた天帝はその至誠に感じ、山の1つを朔東に、もう1つを雍南に移させたと言います。
日本なら「継続は力なり」や「ちりも積もれば山となる」(これは『古今和歌集』序文に出来ますが、元々は中国の白楽天の詩にあり、さらにそれはインドの『大智度論』の経文をふまえています)と言うところでしょう。また、菊池寛の小説『恩讐の彼方』に出て来る、九州耶馬渓の青洞門(あおのどうもん)を30年近くにわたって掘り抜いた了海(彼がかつて殺した男の息子・実之助が父の敵討ちにやって来ますが、敵討ちを洞門開通まで待つことにして一緒に掘り始め、とうとう開通した時には敵討ちの心は消えて、手を取り合って喜びます)が思い出されるかもしれません。いずれにしても、愚直な努力は「至誠、天を動かす」ことすらあると言うのです。
よく成功の三要素は「運、鈍、根」だと言いますが、「鈍」が愚直な努力、「根」が根気、継続性を表わします。ウサギとカメの競争で、ウサギは「鋭敏な才知」、カメは「愚直な努力」を象徴しますが、単に愚直なだけなら「ドンくさい」で終わるかもしれません。カメの偉い所はウサギが要領よく休んでいる時にも、倦まず、たゆまず、歩き続けたことです。「鈍」は「根」によって大きく結果するのです。もっと言えば、無数・無限にある「運」を自分の「器」に応じて受けとめるのが「鈍」(秀吉が、家康と共に最も恐れていたとされる稀代の軍師・黒田官兵衛は、「小事をなすのは力量、大事をなすのは天運である」として、自らが「天下人」を目指すのは諦めました)、それを「種」として練り上げ、仕上げていくのが「根」と言うことができるかもしれません。