「AI時代の責任感」
■――「AIが言ったから」では済まされない。
最近、AIを使ってブログを書いていると、ふと考えることがあります。
「これ、本当に自分が書いた文章と言えるのだろうか?」
・AIに「このテーマでブログを書いて」とお願いすれば、
数分でそれらしい文章が完成します。
文章もきれいで、構成もしっかりしている。
自分で何時間も悩んで書くより、圧倒的に効率的です。
■でも、少し気持ち悪いことがあります。
それは、文章は立派なのに、
自分の体験や感情が入っていないところもあるということです。
■たとえば、AIに「仕事で失敗した経験から学んだこと」
というブログを書かせたとします。
「失敗は成長のチャンスです」
「失敗から学ぶことが大切です」
「前向きに挑戦しましょう」
■文章としては完璧です。
でも……。
「あなた、本当にそんな失敗したの?」
と聞かれたら、答えられません。
これでは、きれいな文章を作っただけで、
自分の人生を語っているわけではありません。
■AI時代の怖さは、ここにあるのではないでしょうか?
___「AIが言ったから」という危険な言葉
もっと怖いのは、AIの答えをそのまま信じてしまうことです。
■仕事で何か問題が起きたとき、
「AIに聞いたら、これが正しいと言っていました」
という人が出てくるかもしれません。
しかし、もしその情報が間違っていたらどうでしょう。
・お客様に間違った情報を伝えてしまった。
・会社の判断を誤ってしまった。
・誰かを傷つけてしまった。
■そんなときに、
「でも、AIがそう言ったんです」
と言っても、責任から逃れることはできません。
=AIは責任を取ってくれません。
■頭を下げることも、相手との関係を修復することもできません。
最後に人と向き合うのは、人間です。
だからこそ、AI時代に最も大切になるのは、
「AIを使えること」だけではないのです。
AIが出した答えに対して、自分が責任を持てること。
これが非常に重要になります。
■「AIに考えてもらう」のか?「AIと一緒に考える」のか?
AIを使うこと自体は、決して悪いことではありません。
むしろ、積極的に使ったほうがいいところもあると思います。
・文章を整理する。
・アイデアを出す。
・誤字脱字を直す。
・情報を比較する。
・自分では思いつかなかった視点を教えてもらう。
■AIには、たくさんの可能性があります。
問題なのは、「考えること」まで全部AIに丸投げしてしまうことです。
「今日何をするか」
「何が問題なのか」
「何を大切にするのか」
「最終的にどうするのか」
そこまでAIに決めてもらったら、私たちは何をしているのでしょうか?
■「AIに答えを聞く」ことと、「AIを使って自分で考える」ことは、
似ているようでまったく違います。
■人間にしかない「自分の体験」
AIには膨大な知識があります。
しかし、昨日あなたが誰かに言われた一言で傷ついたことや、
仕事で大失敗して眠れなかった夜、
逆に誰かから「ありがとう」と言われて救われた経験までは
持っていません。
■そこに、人間の価値があります。
・自分が経験したこと。
・自分が感じたこと。
・そこから何を考えたのか?
■それは、AIには簡単に作れないものです。
だから、AIに文章を書いてもらうなら、
▶自分の体験や考えを材料として渡せばいい。
▶AIには「文章をきれいにする仕事」を手伝ってもらう。
そして最後に、
「この文章は本当に自分の言いたかったことなのか?」
と自分自身に問いかける。
これが、AIとの上手な付き合い方なのだと思います。
■「私はこう思う。」と言える人になる
これからAIがさらに進化すると、
文章を書くことそのものの価値は変わっていくでしょう。
誰でも、それなりにきれいな文章を書けるようになります。
だからこそ、これから価値を持つのは、
・「何を書くか」
・「なぜそう思うのか」
・「自分はどうするのか」
という部分ではないでしょうか?
■AIが「こうしたほうがいい」と答えた。
でも、自分はこう考える。
「私はこう思う」
そう言える人間であること。
そして、自分で決めたなら、その結果にも責任を持つ!
■AI時代に必要なのは、AIに勝ったり負けたりすることではありません!
=AIを使いながらも、自分の頭で考えることをやめないことです。=
■AIに文章を書かせてもいい。
AIにアイデアを出してもらってもいい。
AIに仕事を手伝ってもらってもいい。
ただし、最後の判断までAIに預けない!!!
■なぜなら、AIは便利なパートナーにはなれても、
あなたの人生の責任者にはなれないからです。
「AIがやったこと」ではなく、「AIを使って私が判断したこと」。
そう言えること。
それこそが、AI時代に生きる人間にとって、
最も大切なことなのではないでしょうか?