離婚して失ったものを眺めながら、今日も私は仕事をする

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年末になると、世間はにわかに慌ただしくなる。

大晦日、そして正月。

誰が決めたのか、十二月の次はまた一月に戻る。

それが日本の四季とうまく重なって、季節ごとの節目や行事が生まれたのだろう。

言ってみれば、それはまさに「架空の区切り」だ。  

それでも人は、その節目を特別なものとして扱う。節目に踊らされるようにして、人は集まる。神様を訪ね、身の回りのものを新調し、目標を立て、無事を祈る。

私は店で働いている。店休日というものが存在しない。

大晦日まで働き、「お疲れさまでした」と挨拶を交わし、翌日にはまた同じ顔ぶれで顔を合わせる。そんな世界線を生きてきた。

だから私にとって、世間の人たちが言う年末年始の節目は、どこまでも曖昧だ。

この時期になると、店は賑わう。家族連れが、次から次へと来店する。

お揃いの箸を新調する夫婦。
孫を迎えるために絵本を選ぶ夫婦。

「急に帰ってくるって言うから困るのよ」

そう言いながらもどこか嬉しそうに、予定外の出費で購入した敷布団と掛布団をぶら下げて帰っていく夫婦。

毎年見かける、ありふれた光景。

けれど今年、私の目に映る景色は、去年までとは違っていた。

私の手からこぼれ落ちた幸せが、目の前に溢れている。

どこにでもある、ありふれた夫婦の姿。

それが、今の私にはあまりにも眩しすぎる。

だってそれは……もう今の私にも、これからの私にも、ないものだから。

そして、かつての私には、確かにあったものだから…。
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