僕なりの努力論

僕なりの努力論

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コラム
僕は、【努力】は好きです。
でもその反面で、世間で言う【成功者の多くが言う努力】がとても嫌いです。
僻みという訳ではありません。
【成功者の多くが言う努力】は成功したからその努力の大切さを語ります。
努力をして成功できる人間なんて広い目で見れば本当に山もりの砂糖の一粒程度なんです。

なのに彼らは「努力で夢は叶う」「努力は裏切らない」「努力が足りない」と簡単に言います。
確かに表に立つ人間ですから一般人にそういった事を伝えて勇気を出すきっかけ作りをしているのかもしれません。
でも、僕は無責任だと思ってしまいます。

発言した方の名前は出しませんがこんな言葉があります。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
僕には一切の理解もできません。
どんなに本人が苦しく辛い努力をしようとも、そこに報われる様な環境が無ければ報われないんです。
しかし、こういった方々にこう返すと「環境が無いなら自ら環境を作ればいい」と返ってくるでしょう。
では「環境を作るお金がありません」と返しましょう。
「夢なんだろう?借金してでも環境を作って成功して借金を返すくらいの気持ちでいないと無理だ」と返ってくるんだろうなと勝手に思っています。
勝手に思うと言うより、僕はこう返されました。
成功者達の多くは、弱音を吐けばもっと強くあれと言う。
努力がいかに正しい事かの様に語ります。

僕は努力は絶対に正しいとは思いません。
むしろ真逆で、努力をした結果に待ち受ける自身の無力さを突き付けられる可能性を高い確率で孕んでいるものだと思っています。

だからと言って努力を一切しないというのも僕の考えではないです。
自分にできる範囲の努力を重ねて、それがいつでもいいから役に立てばいい。
そんな風に考えています。
それと同時に、誰かの為に努力するのではなく自分の為に努力をする。
これも大切だと思います。

人生って自分の物ですよね。
だったら自分の為にできる範囲で努力をしよう。
その努力が自分の為に働けば無駄ではないし、誰かの為に働けばもっと無駄ではなくなります。

体験談なのですが、僕は幼い頃からバスケットボールをやっていました。
中学はバスケ部に入り、自慢ではないですが周りからは才能がどうと散々言われました。
でも僕はこれは才能じゃなくて昔からやっていて部活が終わって帰った後でも練習して、当時の自分なりの努力だったと思います。
教えてくれと言われ、それに付き合って何十分か後に「おまえと違って才能ないから無理だわ」と言われた時はさすがに腹が立ったのを覚えています。
僕が何年も練習してきた事をほんの何十分間かやって無理なだけで才能と片付けられてしまう。
この辺りから僕は努力をしないですぐに諦めてしまう人を苦手になってしまいました。

前述した様な、過剰な努力の押しつけも嫌いですが努力をできない人も苦手なんです。

僕は無理な努力をしようとは言わないです。
でも、自分には才能がないからと努力すらを放棄してしまうのはすごくもったいない事だと思います。
まずは勇気を出して一歩進んでみる。
ダメだと悟った時に身を引けばいいと思っています。
その間にした努力はすべて無駄でしょうか?
僕はそうは思いません。
結果はどうであれ、無理かもしれないと思った事に自分なりに向き合えた。
それだけで大きな収穫だと思います。
結果を気にするのは天寿を全うした時だけでいいと思います。
それまでは過程を意識していけばきっと、いい方向に進んでいくと思うんですよね。

長くなりましたが、これが僕なりの努力論です。
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