言葉で「伝え切る」文系脳の凄み

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人は言葉で思考するもの。

旧約聖書にあるバベルの塔の物語で、神の在わす天空にも届くような高い塔を建てようとした人類に、神が与えた罰が「言葉を奪う」ことでした。
互いの言葉を通じなくするだけで、塔の建設は頓挫したのです。
言葉とは、かくも重要なものだという訓(おし)えの好例になります。

明治維新の頃、津波のように押し寄せた外来語を、我々の父祖たる先人は、日本の言葉として取り込む作業に追われました。

たとえば「競争」という言葉は、当時の造語です。
competitionに該当する日本語が何か? 当時、候補に挙がったのが「切磋琢磨」だそうですが、この言葉には "互いを高め合う" といった含意があるため、competitionの訳語としてはそぐわないと判断され、「競う」と「争う」を掛け合わせて「競争」という言葉を創り出したそうです。

中華人民共和国の中の、「中華」以外は、"人民"も、"共和国"も、明治維新の日本で創られた造語で、1949年10月1日、毛沢東の天安門での建国宣言に採用されたそうです。

プライバシーやプライベートという言葉は、ほぼ日本語になっていると思いますが、明治維新の頃はどうだったのでしょう? 

3~4世代が一つ屋根の下で暮らす大家族が当り前だった頃の日本に、privacyに該当する概念が無かったのも想像できます。 今でもprivacyに該当する日本語は思い浮かびませんね。 つまりPrivacyはプライバシーと言い換える以外に無いということです。

言葉とは、その国や民族の文化、伝統、歴史、価値観、といったものの集約と言っても過言ではありません。

言霊(ことだま)という言葉は、言葉の持つパワー、言葉が人間の思考に与える影響力の凄さを言い当てたものです。

翻訳という作業は、実は、互いに違った文化、伝統、歴史、価値観の中で培われた言葉と言葉を繋ぎ合わせる作業なんですね。 
つまり翻訳している時点で、異文化の融合が産まれているんだと思います。

日本語になり難い英語、英語になり難い日本語、翻訳者の頭を悩ませる無理難題が次から次へと押し寄せます。
数字のように割り切れない、異文化の融合を感じながらの翻訳というのは、まさに文系脳の真骨頂です。
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