「ちゃんとした母親」をやめたら、子どもの顔がよく見えるようになった

「ちゃんとした母親」をやめたら、子どもの顔がよく見えるようになった

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コラム
「今日もちゃんとできなかった」
そんなふうに、自分を責めてしまう日ってありませんか?
家事もちゃんとやらなきゃ。
子育てもちゃんとしなきゃ。
仕事だって手を抜いちゃいけない。
私もずっと、そんなふうに思っていました。

私は今、3人の子どもを育てながらフリーランスとして働いています。
でも少し前まで、家事も育児も仕事も、
「ちゃんとやらなきゃ」という気持ちに、ずっと縛られていました。

ところが、ある出来事をきっかけに、私の中にあった「当たり前」がガラガラと崩れました。
そして気づいたんです。

私が必死に守ろうとしていた「ちゃんとする」って、本当に私が決めた基準だったんかな?

今日は、そんな私が完璧主義を少しずつ手放せるようになったきっかけについて書いてみようと思います。

完璧主義は、子どもが生まれてから始まった

実は私、子どもが生まれるまでは、自分のことを完璧主義だと思ったことは一度もありませんでした。仕事はちゃんとやる方でしたが、それ以外は結構自由に、やりたいようにやって生きてきたタイプです。

それが変わったのは、子どもが生まれてからでした。
「一人の人間を、ちゃんと育てなきゃ」
その思いが強くなればなるほど、どんどんいろんなことが「ちゃんとしなきゃ」に変わっていったんです。

育児だけじゃありません。家事も、仕事も、生活のすべてに「ちゃんとやらなきゃ」が広がっていきました。

たぶん、「子どもを育てる」という、それまでの人生になかった大きな責任を背負ったことで、「ちゃんとしなきゃ」というスイッチが入ったんだと思います。
洗い物を残したまま寝るのが嫌で、どれだけ疲れていても片づける。
子どもが宿題をしていなかったら、なんとかやらせようとする。

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仕事を思うようにこなせなかった日は、「もっとできたはず」と自分を責める。
最初は、
「子どものために、ちゃんとしたお母さんでいなきゃ」
という気持ちだったんだと思います。
でも気づけば、「ちゃんとすること」そのものが目的になっていました。

「学校は行って当たり前」が崩れた日

そんな私の考え方が大きく変わる出来事がありました。
長男の発達障害が分かり、学校へ行くことを嫌がったり、学校でトラブルが増えたりしていた頃のことです。

それでも当時の私は、「学校は行って当たり前」だと思っていました。
嫌がっていても、「行かなあかんで」と、なんとか学校へ行かせようとしていました。

そんなある日、学校でのトラブルをきっかけに、校長先生と話し合うことになりました。
そこで校長先生から、
「この子はトラブルが多いので、見守りの先生を一人つけますね」と言われました。

今振り返れば、他のお子さんとのトラブルを防ぎながら、うちの子のこともきちんとサポートしたいという、配慮からの言葉だったんだと思います。でも、その場ではそう受け取ることができませんでした。

そのとき、モヤモヤしている私の隣で、息子がぽつりと言ったんです。

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その一言に、雷が落ちたような衝撃を受けました。
私が「学校に行かせなきゃ」と必死になっている間に、子どもはそんな思いをしながら過ごしていたんだ。
「もう、学校ええかな」と、そのとき初めて思えました。

「当たり前」は、誰かが決めた基準だった

その一言をきっかけに、私の中の「当たり前」が音を立てて崩れました。
「学校は行って当たり前」そう思い込んでいましたが、よく考えたら、それって誰が決めたルールだったんでしょうか。

社会が、周りが、なんとなく「そういうもの」としてきたことを、私は疑いもせず、子どもに押しつけていただけだったんです。

子どもの心より、「当たり前」を守ることを優先してしまっていた。

そのことに、初めて気づきました。
それから私は、学校を休ませる選択も、宿題をやらない日があることも、以前ほど自分を責めずに受け止められるようになりました。

私が本当に大事にしたかったもの

長男のことで一番大きく変わったのは、ここでした。

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この子が笑っているか。
この子が安心して過ごせているか。
この子が「自分は自分でいい」と思えているか。
私が守りたかったのは、本当はそっちだったんです。

「当たり前」を守ることに必死になりすぎて、一番大事にしたかったものが見えなくなっていました。
それに気づいてから、学校を休むことも、宿題をやらない日があることも、以前ほど怖くなくなりました。

子どもが生きていて、笑っていて、元気にはしゃいでいる。
それだけでも、十分やん。
そう思えるようになりました。

そして不思議なことに、子どもに対して「完璧じゃなくてもいい」と思えるようになると、少しずつ自分にも同じことを言えるようになりました。
「今日は洗い物、明日でええか」
「晩ご飯、お惣菜でもええやん」
「今日は仕事、ここまでで終わろう」

昔の私なら許せなかったことを、少しずつ許せるようになったんです。

完璧をやめるって、適当になることじゃない

以前の私は、「完璧をやめる」と聞くと、
「手を抜くこと」「頑張らなくなること」みたいに感じていました。

でも、今は違います。完璧をやめるって、
何もかも頑張ることをやめるんじゃなくて、「私は何を大事にしたい?」を自分で選び直すこと。なんだと思います。

全部100点じゃなくていい。
今日は子どもとの時間を大事にするから、洗い物は明日。
今日は仕事を頑張りたいから、ご飯はお惣菜。
今日はもう疲れたから、何もしない。

それでいい。

誰かから借りてきた「当たり前」じゃなく、
今の自分や家族にとって大切なものを、自分で選べばいい。
私はそう思っています。

今日、自分に聞いてみてほしい3つのこと

もし今、「もっとちゃんとしなきゃ」「私、全然できてない」
と自分を責めているなら、一度だけ立ち止まって、自分に聞いてみてください。

1.その「当たり前」って、誰が決めたんやろう?
2.それは、今すぐ守らなきゃいけないルール?
3.それを手放したとして、本当に困るのは誰?

完璧を目指すのをやめるというのは、頑張るのをやめることではありません。
「何を大事にするか」を、自分で選び直すことなんだと思います。

一人では気づけない「当たり前」もある

ただ、自分の中の「当たり前」って、自分ではなかなか気づけません。
だって、それが普通だと思って何年も生きてきたから。

だからこそ一人で考え続けるより、誰かに話してみることで、
「あれ? それって本当に守らなあかんこと?」と気づけることがあります。

私自身も、そうやって少しずつ自分の中の「当たり前」を手放してきました。

今は、ココナラでも個別相談をしています。
子育てのことでも、
「ちゃんとできない自分が嫌になる」という話でも、
理由は分からないけど、なんとなくしんどいでも大丈夫。

誰かの正解を押しつけるのではなく、話しながら、
「私は本当はどうしたいんやろう?」を一緒に整理していきましょう。


今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
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