皆様、こんばんは。
いかがお過ごしでしょうか?
先日、原爆ドームと広島平和記念資料館に足を運んできました。
最後に広島平和記念資料館に行ったのは、リニューアル前でまだ蝋人形が置かれている時でした。
道中は、交通機関を使ったのですが、本当にしんどい時間で数日経った今でも疲れが抜けていません。
それでも、あの場所に再び行けた事は心の財産になっています。
広島平和記念資料館に実際に足を運んで、改めて呆然とするような感覚に陥りました。
血のついたワンピースや服を目の前にして、あの人たちのかけらがまだここにあるのだと感じました。
「生きたかった」「苦しかった」そんな感覚が深く伝わってきました。
最後の瞬間、耐えられないほどの痛みと苦しみと戦っていたのだと思います。
中には、この痛みや苦しみから逃れたい、殺してほしいと思った方もいたのではないかと思います。
爆心地周辺の地上の温度は、3000度から4000度に達したと言います。
自分自身も過去に火傷をしたことがありますが、火傷をした瞬間は驚くほど熱く、その後長らく痛かったのを覚えています。
自分が火傷した部分は身体の一部でしたが、原爆で負傷した方は身体中を火傷した方が多かったと言います。
自分がした火傷の痛みとあの方々が感じた火傷の痛みは全く非にもならないほどだったと思います。
広島市内には、皮膚が焼けてしまって骨が出てしまった方、真っ黒焦げに焼けてしまった方、臓器等が飛び出てしまった方等、たくさんの遺体が転がっていたようです。
今回、改めて広島に訪れて感じたのですが、あの方たちから伝わってくる感覚は何も変わっていませんでした。
あの方たちは、ずっとあの場所で閉じ込められているような感覚なのだと思います。
ずっと、あの場所に居続けているような、ずっと苦しみ続けているような感覚があり、苦しい気持ちになりました。
自分があの時代、あの瞬間にいたら。
皆様だったら、どのように感じますか?
一瞬で死んでしまった方、一瞬で命を奪われず、数日生きた方、被爆してその後も生きられた方(生き残られた方も多くは被爆した影響で癌になって亡くなるケースが多かったようです)、それぞれの地獄があったのだと思います。
原爆当時、生き残られたとしても、お腹の中に居る子が被爆を受けて重い障がいを負うケースも多かったようです。
母子ともに被爆した影響で、お腹の中にいた子が重度の知的障がいを持って生まれてきた方の展示がありました。
この展示を見て、本当に苦しい気持ちになりました。
知的障がいがある子の子育ては大変なものだと思います。
当時は、今よりも障がいのある子に対して差別がひどかったはずです。
原爆を受けたから、あんな子が生まれたんだと言われたこともあるのではないかと感じました。
原爆を受けた方たちは、社会から温かい目線で見られると言うよりかは、むしろ冷ややかな目で見られたのではないかと思います。
特に、ケロイドが残ったまま生きた方などは、たくさん差別を受けただろうと感じます。
人は、自分と違う見た目をした方に厳しい生き物です。
外を歩くだけで、気持ち悪いと言われたり、原爆に遭った人だと避けられたりしたこともたくさんあっただろうと思います。
原爆に遭った方たちのたくさんの感情を感じて、原爆と言うのは、苦しみや悲しみしか生まないものだと改めて感じました。
いつも思うのですが、あの方たちの最後に感じた苦しみを全部取り去ってあげたかったと言う気持ちが出てきて、苦しくなります。
あの方たちが自分たちを見たら、あなたになって生き直したいと思うかもしれません。
誰かに代わってでも、新しい人生を歩みたいと思うのではないかと思います。
また、今回とても悲しい気持ちになったこともありました。
慰霊碑の前に、18歳ほどの3人組の若い男の子がいました。
その子たちは、亡くなった方たちのことを明らかに揶揄していました。
多くの死者の名前に「子」がついていることを笑ったり、「切断されたのかなぁ」などと言いながら楽しそうに笑っていました。
ずっと死者の方たちを馬鹿にするような発言でした。
この方たちを見たとき、心が冷たくなるような感覚に陥りました。
なぜ、この子たちはここに来たのだろう、なぜ死んだ方たちのことを侮辱できるのだろうと強い憤りを感じました。
世の中は優しい人ばかりではありません。
自分はそのような方々と多く出会ってきたので、そのことがよくわかります。
そして、この方たちは、今後も変わる事はないのだろうと思います。
きっと、自分よりも弱い立場の人たちを踏みにじって生きていくのだと思います。
あのような場所に行っても、みんながみんな死んだ方たちのことを弔っているわけではないのだと思わされた出来事でした。
亡くなった方たちに対して、心から申し訳ない気持ちになります。
今でも目を瞑ると、亡くなった方たちの姿が思い浮かびます。
あの方々の血まみれの火傷姿、皮膚の感触、うめき声が聞こえてくるような感覚があります。
原爆ドームに訪れるたび、トラウマのような感覚が蘇ります。
素直な感情として、恐怖の感情にまみれてしまう自分もいます。
広島平和記念資料館では、原爆で傷を負った方たちを見て、怖いと口に出して言っている方にも出会いました。
正直なところ、自分自身も心の中では傷を負った方々の姿を怖い、目を背けたいと感じる瞬間がありました。
いつも、傷を負った方たちのことを怖いと一瞬でも思ってしまう自分に罪悪感を感じます。
ただ、怖いのは、その方たちではなく、原子爆弾がもたらす身体への被害が怖いものなのだと思います。
そうして、被爆した方たちの姿を見ることで、より核の恐ろしさだったり、平和のありがたさがわかるのではないかと思います。
元々は自分達と同じ人間の姿をした方々でした。
原子爆弾によって人間の姿は奪われ、まさに「幽霊」と例えられるような姿にされました。
実際に被曝した方々も、あの方々の姿を幽霊のようだったと証言する方は多いです。
人間を人間ではない姿にさせ、一瞬で辺りを地獄にしてしまう。
それほど、核は恐ろしい存在なのだと思います。
今、自分が生きている意味だったり、しっかり日々を生きているのか、改めて考えさせられました。
あの方たちがもう一度人生を歩み直せたらどのようにして生きるのか、原爆ドームを眺めながら、そんなことを考えました。
ただ、あの方たちが再び人生を歩むことはできません。
あの瞬間、ただただ苦しい想いをして、死んで征かれました。
そこに対して、深く申し訳なさを感じます。
何かあの人たちのためにできることがないのか、8月6日や9日に黙禱をすること、過去にあったことを今の時代に伝えること、自分にはそれぐらいしかできることがありません。
せめて、亡くなった方たちのことを一人ひとりの人間として知って、忘れないようにしていきたいと思います。
死を免れた後、数十年で癌を発症した方は多かったようです。
原爆を生き残れても、原爆の苦しみからは逃れられなかった方が多かったように感じます。
そのような方たちのことも忘れたくありません。
いつも何気ないように日々を生きていても、自分の心の中には、常に戦争で死んだ方たちの存在が心にあり続けています。
忘れないと言うこともある意味で、あの方々を弔うことになるのかもしれません。
広島平和記念資料館はショッキングな写真や展示がたくさんあるので、自分のようにエンパスの方やHSPがある方にとっては辛い場所だと思います。
正直なところ、自分は初めて広島平和記念資料館に訪れた時、脳裏にあの方々の姿が焼きついて、目を瞑ることが怖くなり、眠ることができなくなりました。
また、その後1週間ほど熱が止まらず、寝たきりになったこともありました。
それほど、原爆ドームや広島平和記念資料館は色んなものが漂っている重い場所なのだと感じます。
皆様が今日生きていてくださっていることに感謝です。
いつも本当にありがとうございます。
人間同士が殺し合う戦争が世界からなくなってほしい、人と人が協力し合える差別のない社会になってほしいと心から願います。