訪れてくださって、ありがとうございます。
僧侶であり、保育士でもある私が、
子どものこと、人の心のこと、日々のあれこれを綴っています。
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保育士として働くようになり、発達について学ぶ機会がたくさんありました。
だからこそ、時々思い出す一人の同級生がいます。
小学4年生の頃だったでしょうか。
家が近所ということもあり、私は毎朝その子を迎えに行き、一緒に学校へ通っていました。
帰りも一緒。
きっかけは、おそらく担任の先生の「一緒に登校してあげてね」という言葉だったと思います。
その子は、西部警察が大好きでした。
私も祖母の影響で毎週楽しみに見ていたので、毎朝の登校時間は西部警察の話で大盛り上がり。
「あのシーン見た?」
「大門かっこよかったよね!」
そんな会話をしながら学校へ向かっていました。
今思えば、その子には発達特性があったのかもしれません。
引き出しの中には食べ残しの食パンが入ったままで、気づけばカビが生えていることもありました。
お便りは引き出しの中でぐしゃぐしゃになり、宿題を持ってくることも少なく、朝寝坊で遅刻することもよくありました。
でも、不思議なんです。
当時の私は、その子を「特別な子」と思ったことがありませんでした。
私にとっては、
ただ一緒に登校する友達。
西部警察の話で笑い合う友達。
それだけでした。
祖母に家でその子の話をすると、
「仲良くしてね。」
祖母はいつも、それだけを言っていました。
祖母は重度心身障害児病棟で保育士をしていました。
今になって思えば、祖母はその子の特性に気づいていたのかもしれません。
それでも一度も、「あの子は特別だから。」
そんなことは言いませんでした。
ただ、「仲良くしてね。」
その一言だけでした。
保育士になった今なら、発達の特性について学んだ知識から、「あの子はこういうことに困っていたのかもしれない」と考えることができます。
でも、小学生だった私は、診断名も、特性という言葉も知りませんでした。
だから、目の前にいたのは「発達特性のある子」ではなく、「友達」だったのです。
もちろん、支援が必要なお子さんには適切な支援が必要です。
保育士や教師が特性を理解することは、とても大切なことです。
けれど、その知識が先に立ち、「○○だからこういう子」と見てしまったら、その子自身を見失ってしまうことがあります。
その子には、その子の好きなことがあります。
夢中になって話すことがあります。
笑顔があります。
困っていることもあります。
そのすべてをひっくるめて、その子なのだと思います。
私は祖母から、そんなことを教わりました。
教科書ではありません。
講義でもありません。
たった一言。
「仲良くしてね。」
その言葉の中には、「特別視することなく、一人の子どもとして接してごらん」という、祖母の保育観が込められていたのかもしれません。
保育士になった今、あの頃の祖母の言葉を思い返すたびに感じます。
知識は、とても大切です。
でも、その知識は子どもに「ラベル」を貼るためではなく、その子を理解するためにあるもの。
あの頃の私は、その子を「特性のある子」としてではなく、「大切な友達」として見ていました。
そのまなざしを、保育士になった今も忘れずにいたいと思っています。