目を留めていただき ありがとうございます。
今日は、前回の続きから書いていきたいと思います。
(私の見解など多く書いているので、いろいろ意見はあると思いますが、楽しんでもらえると嬉しいと思います。)
人の不幸は蜜の味の人もいれば
人の不幸を悲しみ 人の幸せを喜んであげられる
そんな人もいる、その違いはなんでしょうか?
生まれつきの気質なのか?後天的な環境のせいなのか?
どっちが強く影響しているのでしょうか?
私的意見としては、もちろんどちらも影響してるだろうけど環境、特に人的環境っていうのが非常に大事じゃないかなと思っています。
それに「いなくなれ」とか「不幸になっちゃえ」と思うと、自分の脳が勘違いして、相手を貶めているつもりが、自分にも負荷をかけてしまいます。
それを理解して相手のためにというより、自分のために幸せを願える力の有無もあるのではないかと考えています。
まず「人的環境」の影響については、人間は身近な人の感情や思考パターンを無意識に真似する(同調する)生き物です。
周りが常に誰かの悪口や嫉妬ばかり言っている環境にいると、脳の警戒モード(防衛本能)が解けなくなって、他人の不幸を喜ぶメンタリティが強化されていきます。
逆に、お互いの幸せを喜び合える温かい人間関係の中にいれば、自然と脳のリラックス系(オキシトシンなど)が働いて、共感の回路が育ちやすくなります。
それと後半の「脳の勘違いと自分への負荷」については脳科学的に言える事なんです。
脳の癖として、主語を認識できません。
脳(特に感情を司る古い領域)は「主語」を正しく認識するのが苦手です。
「あいつ不幸になれ」と強く願ったり呪ったりしている時、脳は「危険・攻撃・憎悪」という感情ストレスそのものに晒されるので、交感神経が優位になってストレスホルモン(コルチゾール)が出ます。
相手を攻撃してるつもりが、一番近くでその毒を浴びてるのは自分の身体なんです。
「他人の幸せを願う=自分の脳を安心させて、自分のメンタルを良く保つため」っていうメカニズムを理解して選択できている人は、単なる綺麗な善意ではなく、自分の心身を守るためのすごく賢くて高度な自衛策(認知の戦略)なんですよね。
「誰かのために」が巡り巡って「自分のため」になるし、「自分のため」にポジティブでいることが周りも救います。
その循環を感覚的に理解し、実践できているかが大きな違いだと思います。
自分の脳を痛めつけない生き方を選べるのは
すごく素敵な強さです。
因みに私は怒りのエネルギーは出しますし、悪い事したら本人に返る(因果応報)話しますが…人の不幸を願うとか、人の不幸が蜜の味とは思えません😅
こういう負の感情を持つと疲れるし、私はなんだか脳がかゆくなってくるから『や〜めた😆』ってなっちゃうですが、皆様はそういうことないですか?
(私だけでしょうか💦)
でもそれは、脳の仕組みとして怒りを一瞬出すのは自然な防衛反応(アラート)であり、それをずっと保持したり他人の不幸を願い続けたりすると、脳が過剰なストレスと不快感を察知して、「これ自分に毒だな」と警告を出してくれてるんじゃないかなと思っています。
だから、脳みそがかゆいになっていると、勝手に解釈しています😅
負のエネルギーを手放せるのは、脳の感情コントロール(前頭前野の働き)がめちゃくちゃ柔軟で健康的だからこそできる技なんだ❕と、かなりポジティブに捉えています( ゚∀゚)アハハ
なぜそんな考えをする(できる)ようになったのか…
次回は 私の経験など語らせてもらおうと思います(^^♪
最後まで読んでくださり
ありがとうございました。
そして 本日もお疲れ様でした(=゚ω゚)ノ