こんにちは。今日ははじめてブログを更新します。
私は普段死別に関する研究を行っています。
死別というとなんでそんな研究を? と思うかもしれませんが、死別は私にとって大きな意味を持ちます。
私は高校生のときに親友を自死で亡くしています。そのときに、「人は死別に際し、さまざまな反応をするのだ」ということを学びました。大学では宗教学専修に所属し、死別に関する勉強をするうちに、死別に関して研究を行いたいと考えるようになりました。
将来の目標は、カウンセラーになって死別に関するサポートグループを主催するということです。
さて、死別に際して、人はほんとうにさまざまな反応をします。
悲しんだり、喜んだり、安堵したり、はたまた怒ったり……
いろんな感情が沸き上がるのは自然なことで、「なんでお母さんが亡くなったのに、自分は安堵しているんだろう……」と考えてしまうかもしれませんが、例えば、介護が長く続いたとして、死別はその介護からの解放を意味します。同時に、亡くなった故人も介護と苦しみからの解放を意味します。そのため、別に安堵や喜びを感じたからと言って、後ろめたく思う必要はないと言えます。
死別に関して、代表的な例はエリザベス・キューブラー=ロスの死の受容の段階でしょう。キューブラー=ロスは、終末期の患者のインタビュー調査から、自身のあるいは他者の死の受容に関する段階説を提唱しました。
これは、5つの段階を踏みます。
①否認
死を否定する。故人が(自らが)死ぬわけない、そんなのは嘘だと思う
②怒り
なぜ死んだのか(死ぬのか)、怒る。他人に怒りをぶつけることがある。
③取引
故人の(自らの)死が覆るのならなんでもするという気持ち。神にいのる気持ち。
④抑うつ
取り引きをしようが怒ろうが、故人の(自らの)死が覆ることはないと絶望し、抑うつを感じる。
⑤受容
死を受け入れる。
この段階は、行きつ戻りつ、ときには一足飛びに進むなどしながら受容へ向かっていくとされています。
今、故人を亡くして悲しみのどん底にいると感じている人はたくさんいると思います。悲しみのトンネルの中で、明かりもなく、前後も分からない状態だと感じていることもあるかもしれません。
しかし、キューブラー=ロスの説からも分かるように、いつかは受容できる日が来ます。それまでは、思う存分悲しんで、自分の心を表現する場を作ることが大事だと思います。
故人との絆の話については、また後日書こうと思います。
今日は長文を読んでいただきありがとうございます。
①どんな感情でも自然なもので、後ろめたく思う必要はない
②今悲しみのどん底にいても、いつかは明るい光が差す日が来る
このことだけ覚えて帰ってください。
苦しみが強すぎて誰かに話を聴いてもらいたいと思っている方は、是非私にお声がけください。
お待ちしております。