(1)問題
空間と場所
① 水平に展開してゆく建築は、二階、三階と部屋が積層することがないので、その構成はどこにどんな部屋が場所を占めるかによって決められる。しかもそれぞれの部屋は外気に接することが望ましいので、全体としては建物と外部空間とのモザイクとして、建物群は構成されてゆくことになる。そうした壮大なモザイクを形成していったのが近世の大名屋敷や、いまも残る巨大温泉旅館なのだ。狭い間口の奥に延々と延びた町屋も、坪庭や中庭をとり込みながら構成されている点においては、そのモザイク性に変りはない。
② わが国の住まいのなかにいまでも存在する「座敷」という部屋を考えてみても、それは床・棚・書院を備え、長押を廻らすといったインテリア・デザインによって成立するのではなく、それは必ず庭という外部空間につながり、それとセットになってはじめて成立するという性格をもつことが重要である。
③ わが国の部屋は庭とセットになって、はじめてスタイルを獲得する。これは古代の寝殿造りから近世の書院造りに至るまで、わが国の中心的な部屋がもつもっとも重要な性格であった。書院造りは床・棚・書院という装置をもち、長押を廻らせるというデザインで成立するのではなく、庭をもつということの方がずっと重要である。庭をもつことによって、部屋は部屋として場所を占めるのだ。部屋がふたつあれば、庭もふたつ用意される。よく注意してみれば大きな民家でも、寺院の方丈でも、きちんとそのようにデザインされているのに気づくはずである。それが水平に拡がる建築のつくり方なのだ。
④ 部屋が水平に展開してゆくとき、そこにそれぞれの部分に固有の性格を与えるものは何であろうか。部屋に性格を与える最大の要因は、その部屋がどこに設けられているかという、場所の間題である。このことは、建築を性格の異なる領域の組合わせとして構成する手法の存在を意味する。
⑤ 古代の寝殿造においては、寝殿正面の南庭はもっとも大切な儀式の場であったし、寝殿の南側は公式の儀式空間としての性格の強い「ハレ」の場であったと考えられている。それに対して北側の部分は私的日常的、そして女性的な性格の強い「ケ」の場と考えられる。水平に展開する古代の寝殿造りは、その構成要素を「ハレ」と「ケ」のふたつの領域としていると解釈されてきた。
⑥ 『源氏物語』にでてくる「藤壼」とか「桐壼」とかいうのは、坪庭の名前からきている。藤が植えられた壺庭なら藤壷で、桐が生えていれば桐壼というわけである。そしてそこにいる女性はその場所の名前でよばれたのだ。
⑦ こうした建築複合体における場所ごとの性格の違いは、近世になっても「表」と「奥」という対概念となって生きつづけるといわれる。「表」は公的性格の強い場であり、「奥」は私的な性格が強い。それは男性的性格と女性的性格の場という違いをも同時に併せもつ。江戸城における「表」と「奥」、そして「大奥」という領域を思いうかべれば、それはただちに了解されるであろう。それぞれの領域は物理的な場所のちがいでありながら、そこから社会的な意味のちがいをただちに発生させる。表医師と奥医師、表絵師と奥絵師になどの称号は、場所のちがいによって社会的意味のちがいを示すものである。
⑧ また、廷臣たちの社会的意味も、明治時代になってからでさえも「錦鶏の間伺候」などという称号が示すように、場所の性格に結びついたものであった。江戸時代に主君にお目見得する家臣は、その部屋の何枚目の畳まで進むことができるかが、身分によって定められていた。社会的身分と場所が一対―に対応していたのである。水平に拡がる建築の世界では、どの場所にいるかが、文字どおり彼のあるいは彼女の社会的ポジション(場所)を表わしていた。
⑨ 西欧における部屋の意味は、こうした水平的に展開する場所性によって与えられるものではない。極言すれば、西欧において部屋の性格がその場所によって決定されるのは、それが全体の中心に位置するときだけである。因みに、そこに成立するのは中心と、そこからの距離という極座標的な空間構造の意識である。中心にすわるのは、国王であり法皇であった。
⑩ 西欧の建築も都市も、完結した自立性を備えた「空間」からできあがっていた。部屋は内法寸法とよばれる部屋内部の寸法で設計されたし、立方体をふたつ並べたダブルキュープという比例をもった部屋がよい部屋だとされた。
⑪ ルネサンスの理想都市パルマ・ノヴァのような、カールスルーエのような、そしてヴェルサイユのような都市は、この構造を同心円状かつ放射状の都市構造として物理的に視覚化しているが、これは極座標都市なのである。世界を「中心と周縁|として把握することは、周縁へのまなざしを目的とする場合においても、極めて西欧的なものである。基本的には、西欧文明のなかにおいて、部屋は部屋としての自立した性格によってその文化的意味を獲得するのである。独自に存在する「空間」としての性格が部屋に意味を与えるのだといってもよい。そしてこれは、水平的な展開をする日本の建物の構成が、「場所」を紬として展開することと、鋭い対照をなす。
⑫ 空間と場所は、似ているようでありながらまったく異なる意味をもつ概念である。建築の目的が「空間」の創造にあるという見方は、今では常識と思われているけれど、国王を中心とした極座標を脱した後で、今度は普遍的な「空間」へ着目していったという西欧の歴史は、近代のまなざしの発見といってよい。いうまでもなく、「近代」もまた西欧の生み出したものである。1941年にS.ギーディオンがハーヴァード大学でのチャールズ・エリオット・ノートン記念講義をもとにして出版した『空間・時間・建築』は、そうした空間史的な建築把握の勝利を示す記念碑であった。
⑬ しかしながら、「空間」は普遍的「スペース」として宇宙にまで充満してゆくものであり、具体的には現代建築の巨匠のひとりミース・ファン・デル・ローエのいう「ユニヴァサル・スペース」として超高層ビルに積層されてゆき、最終的には無個性な空間として批判の対象とされるに至る。世界中おなじような「空間」が充満してしまったからである。
⑭ それに対して「場所」は固有性を失わぬ存在の形式である。
⑮ 屋内に大空間の部屋を自立させ、都市内には広場という空間を同様に自立させる意識が西欧的空間意識の現われであるとするなら、道を巡らし、モザイク状に室内と庭が織りなされる日本の都市や建築の構成は、場所の意識によって形成されるものだといえよう。近代以前の日本の都市全体には建物と外部空間のモザイクだった。無論、都市のスケールで考えるならば、そこに社寺の建築から小さな長屋に至るまでのさまざまな建築が存在し、広大な庭園や境内地から、小さな坪庭に至るまで外部空間にも驚くほど多様なスケールのものが存在するが、それでもなお、全体のあり方が建物の内部と外部の水平的なモザイクである点においては、同一性を保ちつづけていると考えられる。近世の江戸の町が、巨大な田舎だと批判される一方で、都市と田園のモザイク状の調和がみごとな田園都市であると擁護されるのは、結局同じ性格を述べているのだ。
⑯ そうした意識は、都市や庭園を場所として読み解くかたちでも発動する。わが国の名所は、あくまでも場所として名づけられ、文学化されたものである。近江八景をはじめとする八景というセットによって場所を名づけることを好んだ精神は、空間の普遍性や特異性を評価するのではなく、場所のつらなりとして外界を読み解こうとするものである。八景に限らず、浮世絵の主題になった六玉川とか霊場の構成に用いられた三十三カ所、八十八カ所、そして庭園や都市のなかに意識された八十八堺、そして百景などは、われわれがいかに場所にとりまかれていることを喜び、場所を経巡ることに意味をもっていたかを示している。
⑰ 「空間」と「場所」というキーワードによって、外界の秩序のつけ方の性格を読み解くことはおそらく可能であろう。われわれの文化のかたちは、極めて多くを「場所」の性格に負っている。それは普遍性に至りにくい特殊な性格として、一言でいえば、ローカルなものと見なされがちであった。しかしながら逆にローカル(局所的)であることの意味を問い直すことから、新しい文化のかたちが発見されてゆくのではないか。それは、西欧を中心とした極座標によって描かれる世界地図ではなく、「場所」のつらなりとしての新しい時代と場所の地図を描くことに役立つのではないか。
出典:鈴木博之著、伊藤毅編『建築 未来への遺産』、東京大学出版会、2017年。243~247頁、なお、出題の都合で縦書きを横書きに変更し、一部に表現の変更を加えている。
問1 空間と場所の違いを文中の言葉を用いて300字以内に説明せよ。
問2 建築空間における西欧と日本の構成について、本文に即して、それらの違いがわかるように事例をあげた図解をそれぞれ示せ。この図解には□、〇、△等の図形や矢印を使って説明することは自由であるが、図中の図形等にはそれらが意味する内容を端的に示す用語や名称を示すこと。ただし、短い文章を加えて説明してはいけない。答案用紙の(a)に西欧、(b)に日本についての図解を示せ。
問3 建築あるいは都市について考えるときに、「場所のつらなりとして外界を読み解こうとする」とは、どのようなことか。事例をあげて300字以内で説明せよ。
(2)解答例
問1
空間は西洋の建築や都市の特徴で、完結した自立性を備えることで文化的意味を獲得する。屋内に大空間の部屋、都市には広場の空間を自立させる。幾何学的構造を同心円状かつ放射状の都市構造として物理的に視覚化する極座標都市である。空間は世界を中心と周縁として把握する。普遍性を持つがゆえ、無個性として批判される。場所は日本の建築や都市の特徴で、水平的な展開をする日本の建物の構成が場所を軸として展開し、その部屋に固有の性格を付与する。建物の各領域は物理的・社会的な意味のちがいを発生させる。日本の都市は建物内部と外部空間の水平的なモザイクである。場所は普遍性に至りにくい特殊な性格つまりローカルなものと見なされる。(300字)
問2
江戸幕府が整備した東海道は江戸と京都・大坂を結ぶ五街道のうちの最大の幹線道路であった。東海道には江戸の日本橋を出発して大津に至る53の宿駅があったことから東海道五十三次と呼ばれた。五十三の宿場町はそれぞれに風景や名物・名所・旧蹟、歴史的な事件や伝説といった固有の性格を持っている。東海道を旅する人は宿場町を経巡りながら、それぞれの地方色豊かな地域性と出会う喜びを味わう。また、東海道を初めとする五街道には、松並木が植えられた。つまり、水平に延びる街道は人工物(街道)と自然(松並木)とのモザイクによって構成されている。以上述べたように、東海道は各宿場町と街道という場所の集合体として人々に意識された。(299字)
別解
京都の街は平安京から発展した。京の北には天皇の居所がある大内裏を配置している。現在ここは京都御所と呼ばれ、京都御苑の緑に囲まれ内部と外部のモザイクを為している。この大内裏の南が貴族や庶民の住居となっていて、階層によって場所が区画されていた。現在では住居や店舗、オフィスのほかに寺社が多く見られる。京都を代表する神社の平安神宮周囲には岡崎公園が敷設され、市民の憩いの場となっている。京都の東には鴨川が流れ、川の東岸はかつて鳥辺野と呼ばれる墓所であった。川は日常生活の此岸と死者の住まう彼岸とに分かち、橋はその境界という性格を持つ。以上のように京都の街は固有の性格を持った場所の集合体として理解される。(299字)
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