(1)問題
課題文1·2·3·4を読んで,以下の問いに答えなさい。
問1 課題文1太字(1)に「誰にとっても,計算は現実の一部になってきている」とあるのはどういうことか。本文から具体的な例を挙げて80字以内で説明しなさい。
問2 課題文2太字(2)に「病の経験は,エビデンスにもとづく選択だけでは語り切れない」とあるが,筆者は,エビデンスに基づく医療にはどのような問題点があると述べているか,130字以内で説明しなさい。
問3 課題文2太字(3)について,「世界そのものが数学化した」結果,どのようなことが起こったと述べられているか,「事実」と「統計」ということばを用いて120字以内で説明しなさい。
問4 課題文3の筆者は,なぜ実証分析が大事だと考えているのか,その理由を100字以内で説明しなさい。
問5 課題文4太字(4)に「データや不確実性をどう理解するか,その上で自分自身の価値観にも照らしてどう意思決定するかについて,我々自身が学ぶことが求められている」とあるが,これについてあなたはどう考えるか。課題文1·2·3·4の内容を踏まえ,600字以内で述べなさい。
課題文1
① 小石や粘土を使って人が数を操り始めたころ,地上で行われる計算の総量はわずかだった。会計などの仕事に携わるごく一部の人たちが,たし算やひき算をゆっくり遂行するのがせいぜいだった。
② 「いまや小石や粘土では一生かかっても終わらない計算が,片手におさまる計算機ですぐに完了してしまう。何十億もの人がこうしたコンピュータを日常的に持ち歩くようになったいま,文字通り世界には,計算が溢れるようになった。
③ 古代から現代まで,計算の風景は,著しく変容してきた。だが,あらかじめ決めた規則にしたがって記号を操作しているという意味では,粘土を並べることも,コンビュータを動かすことも同じだ。粘土の力を借りて7と8を区別するにせよ,スーパーコンピュータを使って未来の気候をシミュレートするにせよ,計算の力を借りて人は,生来の認識を拡張し,まだ見ぬ未知の世界に触れようとしてきたのだ。
④ 「計算は,規則通りに記号を操るだけの退屈な手続きではない。計算によって,人はしばしば,新たな概念の形成へと導かれてきた。そうして,既知の意味の世界は,何度も更新されてきた。人間が現実を計算しているだけでなく,しばしば計算こそが,新たな現実を立ち上げてきたのだ。
⑤ 計算によって,新たな現実を構築していくこと。
⑥ これは,数学の外でも進行している。百年後の気候や初期宇宙の時空の構造,あるいは進化のメカニズムなど,科学者たちは,五官ではじかに触れられない物事にまで,地道な計算を通じて迫る。長期的な気候変動や,宇宙の時空の構造などは,じかに目で見たり手で触れたりすることはできない。計算を媒介しなければ接触できないこうした対象を,現代の科学は,新たな現実として受け入れている。
⑦ 計算によって拡張された現実を生きているのはしかし,数学者や科学者だけではない。暮らしの何気ない場面にも計算が深く浸透してきているいま,(1)誰にとっても,計算は現実の一部になってきているのだ。
⑧ 現在,新型コロナウイルスがグローバルに猛威を振るっている。世界の感染者数は1億人を超え,感染のこれ以上の拡大を何とか食い止めようと,各地で外出や行動を制限する緊急の措置がとられている。
⑨ 中世のヨーロッパでペストが大流行した際にも,患者の隔離や都市封鎖などの対策がとられたというが,いま世界各地で行われているロックダウンは,数理モデルに基づくシミュレーションを根拠としている点で,中世の場合と状況が大きく異なる。
⑩ 実際,2020年の3月,それまで集団免疫を獲得する路線で緩和策をとっていたイギリスが,にわかに強い外出制限へと政策方針を転換させるきっかけとなったのは,インペリアル·カレッジ·ロンドンの「新型コロナウイルス感染症対応チーム(COVID-19 Resp Conse Team)」による計算だった。このとき発表された報告によれば,ロックダウンなどの強い対策を伴わない緩和策を続けた場合,英国だけで数十万人が死亡し,医療システムのキャパシティを大幅に超過してしまうだろうという予測だった。この報告を受け,英国は強い外出制限へと劇的に政策を転換させることになる。その後も,計算によって先取りされた未来の危機から逃れるために,世界各地でロックダウンが遂行された。
⑪ 2020年の夏にオンラインで公開された講義「『災害』の環境史:科学技術社会とコロナ禍」のなかで,京都大学の瀬戸口明久は,こうして「シミュレーションが災害のなかに組み込まれている」ことこそ,今回の災害の顕著な特徴であり,数理モデルに基づく政策決定が,ここまで大規模に実行された前例はないと指摘している。これは,計算による未来の予測が,いかに強く現実に作用するようになってきているかを,あらためて印象づける例だ。
⑫ もちろん,人類がいま計算によって懸命に予測しようとしているのは,COVID-19の感染者数の動向や,感染症対策の効果だけではない。企業は膨大なデータを駆使しながら消費者の動向を予測し,警察や諜報機関は,様々なモデルを駆使しながら,犯罪を未然に防ごうとしている。コンピュータが高速化し,扱えるデータが急速に増え続けるなかで,私たちの生きる世界の隅々にまで,予測の網は張りめぐらされているのだ。
⑬ かつて,計算によって未来を予測できるという事態は,決して当たり前ではなかった。
⑭ いまからおよそ百年前のイギリスで,世界で初めて数値計算による天気予報を試みたルイス·フライ·リチャードソン(1881-1953)は,6時間分の天気変化を,みずから計算で「予報」しようとしたが,このとき結果を出すのに,6週間かかったという(しかも計算結果は実際の天気と一致しなかった)。つい百年前まで,計算は現実にまったく追いつかなかったのである。
⑮ それでもリチャードソンは,「いつか漠然とした未来に,天気が変化するよりも速く計算ができる日が来るかもしれない」と夢を語った。6万4千人が劇場のような大きなホールに集まり,一人の指揮者のもとで淡々と計算を進めていく「予報工場」が整備できれば,実際の天気に負けない速さで,世界の天気を予報できるようになるかもしれないと夢想したのだ。
⑯ リチャードソンの夢を現実に変えたのは,計算者で溢れかえったホールではなく,計算機の登場だった。1950年,アメリカで誕生した電子コンピュータENIACを使ったグループが,24時間の天気予測を,24時間で実行することに成功した。その後,コンピュータの速度は飛躍的に増し,いまではスマホを開けば,数時間後の雨雲の状態の予測も,簡単に確認することができる。
⑰ 天気の予報だけでなく,ウイルスの感染拡大や,グローバルな気候変動,あるいは放射性廃棄物の将来にわたる環境への影響など,人間の生存にかかわる深刻なリスクを推し量るためにも,日夜たくさんの計算が行われている。
⑱ 問題は,計算で未来をシミュレートできるようになると,それが本当の未来であるかのような気持ちになってしまうことだ。実際には,どんな数理モデルであろうと,いくつもの仮説に基づいている。仮説が間違っていれば,正しい計算を重ねたとしても,得られる結果は現実と一致しない。
⑲ 実際,リチャードソンの「予報」が現実と一致しなかったのも,単に計算が間違っていたからではなく,モデルそのものの不備に一因があったようだ。どれほどモデルを改良したとしても,モデルはあくまで現実の単純化である。そのため,たとえ正確な計算を実行できたとしても,シミュレーションの結果それ自体を,未来と混同してはいけない。
⑳ データと計算の帰結に照らし合わせながら,仮説の妥当性を問い返し,モデルを修正し続けていく必要がある。自分が間違っているかもしれないという自覚をいつも持ち続けていなければ,私たちは計算の前提として「隠された仮説」に無自覚に囚われてしまうことになる。
森田真生『計算する生命』(新潮社,2021年,初版2刷)による。一部改変。
課題文2
① 自然と社会を含む森羅万象が19世紀にいたって数値で測られるようになった。そして,この数値化は,統計学の支配という形を取ってきた。たとえば現在,医療の世界では「エビデンス(根拠)に基づく医療(EBM*)」が絶対的な価値を持つ。これは統計学的に病態を分析し,統計学的に有効であると認められた治療法を選択するという営みだ。1991年にカナダの医師ゴードン·ガイアットが提唱した考え方である。
② 医療のエビデンスにはいくつかのグレードがある。もっとも確度の高いエビデンスは,患者を,ランダムに薬を投与する群と薬を投与しない群というように二つの群に分けて有効性を検討するランダム化比較試験(RCT*)を,さらに複数比較し,メタ分析した結果である。RCTの根っこには統計的な妥当性の評価がある。統計的に検討された複数の試験を組み合わせることで,妥当性を上げていく。
③ エビデンスによって有効な診断方法や治療法が整備されるということには異論がないし,私自身もエビデンスもとづく医療を選ぶ。しかし(2)病の経験は,エビデンスにもとづく選択だけでは語り切れない。
④ 再発がんが進行しているので「急に具合が悪くなる」可能性があるから,と緩和ケアを探すことを主治医から勤められた哲学者の宮野真生子は,エビデンスにもとづく医療において常に問題になるリスクについて次のように述べている。
⑤ リスクと可能性によって。〔がんが再発した〕私の人生はどんどん細分化されていきます。しかも,病と薬を巡るリスクはたくさんありますから,そのなかで,良くない可能性が人生の大半の可能性を占めるように感じ,何も起こらず「普通に生きてゆく」可能性はとても小さくなったような気がしています。(中略)
⑥ でも,このリスクと可能性をめぐる感覚はやっぱりどこか変なのです。
⑦ おかしさの原因は,リスクの語りによって,人生が細分化されていくところにあります。そのとき患者は,いま自分の目の前にいくつもの分岐ルートが示されているように感じます。それぞれのルートに矢印で行き先が書かれていて,患者たちはリスクに基づく良くないルートを避け,「普通に生きていける」ルートを選び,慎重に歩こうとします。
⑧ けれど,本当は分岐ルートのどれを選ぼうと,示す矢印の先にたどり着くかどうかはわからないのです。なぜなら,それぞれの分岐ルートが一本道であるはずがなく,どの分岐ルートもそこに入ってしまえば,また複数の分岐があるからです。
⑨ エビデンスによって有効とされる治療を選ぶプロセスには際限がない。病が進行していくプロセスのなかで,効果が上がる確率が高い治療法が選ばれることが多いだろう。しかし確率が高いといっても「40%の人にはこの治療法が有効であった」という意味であり,残りの60%の患者には効かない。つねに数値をめぐって患者は「効かないかもしれない」と不安な状態に置かれることになる。宮野はこの手紙から半年ほどのちに40代前半で亡くなったが,エビデンスに基づくリスク計算に追われてしまうと,人生の残り時間が確率と不安に支配されるものになってしまうだろう。
⑩ 科学哲学者のイアン・ハッキングは,(3)世界そのものが数学化したときに,世界は統計(確率)によって支配されることになったと書いている。世界が自然法則によって支配されているとみなす決定論的な自然科学の展開のなかで統計学は発達し,社会および人間は統制可能で予測可能なものとなっていく。
⑪ アメリカのゴールデンアワーのテレビでは,(中略)露骨な暴カシーンよりも,確率について語られることの方が多いのである。新聞をにぎわせる恐怖が,確率を使って繰り返し語られる。その可能性〔偶然・確率〕chanceがあるのは,メルトダウン,癌,強盗,地震,核の冬,エイズ,地球温暖化,その他である。恐怖の対象は(たぶん)これらではなくて,実は確率そのものなのである。(中略)
⑫ このような確率の支配は,世界そのものが数学化されたところでのみ起こり得たものである。我々は自然に対して,それがどんなものであり,またどんなものであるべきなのか,根底的には量的な感覚を持っている。これは当たり前のことではなく,いくつかのささいな理由もあってたまたまそうなったのである。
⑬ 統計学が力を持つ現状は,自然と社会のリアリティの在処(ありか)が具体的な出来事から,数字へと置き換わったことの象徴である。当初,統計は世界のリアリティについてのある程度の傾向を示す指標と見なされていたが,次第に統計が世界の法則そのものであると考えられるようになった。統計は事実に近い近似値ではなく事実そのものの位置を獲得するのだ。先のハッキングはいう。
⑭ たとえば1988年,日本が遂に世界一の長寿国になったことが注目を集めた。我々は,ちょうど日本企業が投資のための可処分資本を世界一蓄積しているのと同じくらいリアルに,平均寿命の伸びを日本人の生活や文化の現実的な姿と感じてしまうのである。
⑮ このように,「平均寿命」という単なる数字が日本を構成する事実そのものとなる。一人ひとりの日本人は早く亡くなることも長寿のこともあるのだから,「世界一の長寿国」というラベルが個人の余命を説明するわけではない。ましてや人ひとりの高齢者が具体的にどのような暮らしをしているのかを示すわけではない。独居なのか,病院で寝たきりなのか,認知症なのか,もしかしたら元気なのか,同じ90歳でもさまざまだろう。
⑯ さきほどエビデンスに基づく医学が患者を追い詰める様を,がん患者であった宮野真生子の言葉で確認した。宮野の場合は自分で自分の病にかかわるリスクを気にしてしまうことが問題だった。
⑰ 医療現場においてのみ,リスクが息苦しさをもたらすわけではない。学校や会社といった組織,そして社会全体は,リスクを予防するという視点でメンバーの行動を決め,行動を管理し,しばりつけようとする。「そんなことしたら危ないよ」という注意を子どもの頃に受けたことがない人は少ないだろう。学校の生活はさまざまな校則でしばられていることが多いが,これらは大人が外部からなにか非難を受けないために,生徒をあらかじめしばりつけるものである。子どものためと見せかけて,大人が自分の不安ゆえに子どもの行動を制限しようとしている。リスク計算は自分の身を守るために他者をしばりつけるものなのだ。
⑱ そもそもリスク計算を重んじる社会が生まれる前提として,社会学者のウルリヒ・ベックは,経済活動における個人主義,自己責任論による支配の問題点を挙げている。現代人はコミュニテイによって守られることなく自分一人で自分の生活の維持に責任を負っているのであり,失敗があっても自分のせいなのだ。社会は個人を非難こそすれ守りはしない。自己の責任だけではない。「そんなことをして責任とれるんですか」という言葉を投げるときには他者を非難し,規範にしばりつけている。
⑲ 個々人が責任ある行為者とみなされ,行為がもたらすネガティブな結果のリスクが計算される。さらには,そのリスクに責任を負うのは,国やコミュニテイといつた集団ではなく個人である。このような社会では,未来のリスクを見越して個人個人が備えることが,合理的な行動となる。
⑳ このことは,人は外から強制されるのではなく自ら進んで,社会規範にしたがっていく身振りにつながる。高校生に規範意識を問うた大規模な調査でも,社会学者の平野孝典によると,現代の高校生は校則を守り,規則違反には憧れを持たないという結果が出た。社会の実質が変化して「不確実でリスクに満ちた社会」になったというよりも,数値化されたことで社会や未来がリスクとして認識されるようになった。ともあれ。数値による予測が支配する社会,そして個人に責任が帰される社会は不安に満ちており,社会規範に従順になることこそが合理的なのだ。弱い立ち位置に置かれた人ほど,上からやってきた規範に従順になることでサバイブしようとするだろう。
村上靖彦『客観性の落とし穴」(ちくまプリマー新書2023年,初版4刷)による。一部改変。
注 EBM・Evidence Based Medicineの略。RCT…Randomized Contro11ed Trialの略。
課題文3
① はじめに,「実証分析」ということばを意味づけたいと思います。国語辞典などをもとに実証分析をあえて意味づけるとするなら,「確実な証拠や確証をもって行う分析・研究」ということになるでしょう。この確実な証拠に相当するものが客観的なデータであり,そのデータの分析(統計分析)を柱として行う研究が「実証分析」であると定義できます。したがって,実証分析には統計分析が不可欠です。
② ではなぜ実証分析が大事なのでしょうか。分析や研究はあくまでも客観的なものでなければなりません。「私はこう思う」,「いや,僕はそうは思わない。」という(主観的な)議論を重ねても,そこから客観的な結論を導き出すことはできないでしょう。しかし分析や研究は,誰が見ても納得するような結論を得ることが目的ですから,解釈がいかようにもできる論文やレポートでは意味がありません。では誰もが納得できるような研究をするにはどうすればいいでしょうか? そのためにはデータを用いた実証分析が適していると考えられます。もちろん文献研究や事例研究などの手法によっても客観的な結論を得ることはできるでしょう。しかし観察された事実を客観的な数値に置き換えたデータを,統計学的な手法に基づいて分析するのであれば,その結論は誰もが納得するものと考えられます。したがって,実証研究は客観的な結論を得るために大事な分析手法ということになるのです(もちろん誤った統計分析の適用やエラーのあるデータを用いた分析は論外です)。さらには,実証分析はその手法やデータを公開すれば誰もがその結果を追試験することもできます。(中略)
③ 研究にとって客観性を持つことは不可欠です。誰もが先人の研究成果を再現できることはとても大事ですし,またそれをもとに新たな研究へと結びつくことになるでしょう。しかし客観性の重視というのは,言うのは簡単ですがいざ実行するとなるとなかなか難しいというのが実際のところです。ここでは,データ分析を行うことで客観性を保つ,としていますがデータがない場合や,そもそもデータが得られない場合はどうでしょうか。
④ 筆者は長く少子化問題に関係してきました。少子化の原因を探ると,例えば女性の就業と出産・育児の両立支援が十分ではない,家族形成期の若者の雇用が安定していない,あるいは結婚や出産に対する価値観などが変化した,などのさまざまな理由が考えられます。このとき,少子化の原因についてデータを用いて客観的に分析しようとすると,上で示した要因に関するデータが必要になります。両立支援が十分でないという場合,どのようなデータがこれを示すものとなるでしょうか。また,価値観が変化したと述べましたが,価値観を示すデータそのものがあるのでしょうか。さらには,利用するデータの選び方にも主観が入り込むことも考えられます。こうしたことを考えると,データを用いて客観的に分析することはそんなに容易なことではないことがわかります。
⑤ みなさんが少子化対策の責任者で,有効な政策を打ち出さなければならないとしましょう。そのとき,今までの「経験と勘」によって政策を作り上げる誘惑に抗しがたい魅力を感じるでしょう。これは,データを集めて分析を行うより容易だからです。
⑥ しかしながら,実際に役立つ政策を策定するには客観的な事実を積み上げて行かなければなりません。またその政策が万人に受け入れられるためには確かな証拠を提示する必要もあるでしょう。いわば「エビデンス」をいかに示すことができるか,が鍵となるのです。もしデータがなければ,必要なデータを作成したりアンケート調査等で補足したりすることも必要でしょう。最近では「エビデンスに基づく政策」の重要性が強調されています。集めたデータをもとに適切な(統計)分析を行い,有効な政策を提案することがますます不可欠な手続きになっています。
⑦ こうした流れは学術研究や政策決定のみならず,学生や社会人が作成するレポートや論文にも当てはまることです。「経験と勘」に頼れば何となく筋の通ったレポートが出来るかもしれませんが,しかしそれは書いた本人以外は再現できない主観的なものです。客観的な事実を積み上げてレポートを作成するには,データを集めそれを分析するという手順がどうしても必要です。まさに「エビデンスに基づく分析」が求められているのです。そのためにも統計分析の基本をしっかり身につけることが何よりも大事になってくるのです。
加藤久和『高校生からの統計入門』(ちくまプリマー新書,2016年,初版)による。一部改変。
課題文4
① データサイエンスの目的はデータから価値を引き出すことにあるが,データからさまざまな知見を得るだけでなく,その知見を活かした意思決定をおこない,具体的な行動につなげなければ価値は実現しない。データサイエンティストは意思決定者であるとは限らないが,その重要な役割は意思決定につながる事実や知見を意思決定者にわかりやすく提示することである。
② 意思決定には不確実性がつきものである。今後何が起こるかが確実な時には,意思決定は比較的容易である。現実には,データが十分あっても将来には不確実性が残り,意思決定は不確実性のもとでおこなわれなければならない。不確実性を扱う理論的な枠組みは確率論であり,数学的には,将来に向けての合理的な意思決定は,現状得られるデータを所与とした上で将来のリスクの条件つき確率に基づき,リスクの期待値を最小とするような決定をとればよい。しかしながら現実には,客観的なリスクの評価や条件つき確率自体の評価が困難である。
③ データを意思決定の際の根拠を与えるものと考える時,意思決定に重要なデータはエビデンスと呼ばれることが多い。そして,そのようなデータに基づく意思決定は「エビデンスに基づく」(Evidence Based)意思決定と呼ばれている。例えば学力調査で,ある地域の学力が低いというデータが得られたとしても,それだけではエビデンスとは言えない。学力が低くなる原因や背景と考えられるデータがなければ,学方向上のための意思決定にはつながらない。そもそも学力が低いことを問題視しなければ意思決定自体が不要である。ここの立場からはデータの価値は意思決定に有用かという観点から定まることになる。
④ エビデンスに基づく意思決定は,医療分野でまず提唱された(Guyatt et al,1992)。EBMの考え方が導入される前は,医師が治療法を選択する場合,医師個人やその周囲のグループの長年の臨床経験や病態生理学的な推論に基づいて治療法が決定されてきた。しかし,個々の医師やその周りのグループの経験には限りがあるし,対象とした患者層などにもバイアスがあり得る。これに対してEBMの考え方では,臨床試験や観察研究のデータから得られるエビデンスに基づいて治療法を選択するべきであるとされる。この際,エビデンスがどの程度信頼に値するかを評価し,さらに,特定の治療法の効果を支持する結果のみならず支持しない結果も含めて公正に評価することが必要であるとされる。
(中略)
⑤ エビデンスに基づく意思決定の考え方は,最近になって政府の政策でも強調されるようになり,「エビデンスに基づく政策立案」(Evidence Based Policy,Making, EBPM)と呼ばれている。立案と呼んでいるが,実施された政策の効果をデータによって評価することもEBPMの一部である。政策の立案および評価において,エビデンスの多くは統計データであるから,エビデンスに基づく政策立案には信頼できる統計データが欠かせない。2017年1月には内閣官房長官を議長とする統計改革推進会議が作られ,5月の最終取りまとめではEBPMの観点に基づく公的統計の整備・改善,特にGDP統計の精度の向上の必要性が強調された。そのために中長期にわたるリソースの確保と人材育成の必要性もうたわれている。
⑥ これは歓迎すべき動きであるが,ビッグデータ時代の急速な到来という時代背景の中では,公的統計の改善の動きはまだまだ不十分である。特に企業等の持つビッグデータと公的統計データをリンクさせて利用することが求められている。総務省が2018年3月より提供を開始した「消費動向指数」(Consumption Trend lndex,CTI)に関する報告書では,企業の持つPCOsデータ*やクレジットカード利用データなどを今後活用するとしており,ビッグデータのバイアス補正やビッグデータと公的統計データとの融合の方法論が論じられている。
⑦ ここまで,EBMやEBPMなどのデータに基づく意思決定の重要性を述べてきたが,一方で「データに基づく」意思決定と「経験と勘に基づく」意思決定を,相反するものと考えることは誤りである。人間は柔軟な学習能力を持つから,経験を積むことによって判断ができるようになる。特に芸術や伝統工芸などの分野では,その道一筋に経験を積んだ専門家の能力は非常に高いものとなる。このような人々の判断はしばしば直観的で,他人に説明できるものではなく「勘」でわかると言われることも多い。人間が五感で知党できるものすべてがデータとして得られるという保証はなく,多量のデータに基づくエビデンスは,あくまでデータとして取られた客観的な情報に基づいたものであり,例えば特定の患者を継続的に診察している医師の判断は,データに基づく判断とは異なる観点を含む可能性がある。このように,データに基づく判断と経験と勘に基づく判断は補完的なものであり,データに基づく判断をベースとして,人間の経験と勘に基づく判断も活かすべきである。それ以上に,責任を持った判断をするのは人間であるから,データに基づくエビデンスはあくまで人間の意思決定を補助するための情報と考えるべきである。
⑧ 十分なデータがあれば唯一の合理的な判断ができるという考え方も正しくない。それはデータがあっても将来の不確実性が大きい場合があるからである。極端な例としてサイコロをなげることを考えてみよう。サイコロの目の出方はなげるごとに独立であるから,今までに何度もサイコロをなげたとしても,次の目のことはわからずどの目も1/6の確率で出るとしか言いようがない。この場合過去のデータには意味がなく,データがあってもなくても不確実性には変化がない。
⑨ 日々の暮らしの中でも我々は不確実性に直面している。天気予報の精度は,気象衛星などから非常に詳細なデータが得られるようになったことや気象モデルの進展により,以前より格段に向上しているが,明日の降水確率が50%の時は,雨が降るかどうか迷うところである。また実際の意思決定においては価値観も影響する。すでにEBMにおける標準治療について述べたが。これは疾患のステージ,年齢,性別などの共変量に基づいて同様のケ―スをブールし,それらの条件のもとで良い結果が得られる確率が高い治療法を推奨するものである。EBMに基づく診療ガイドラインの活用にあたっては,画一的な治療の選択をおこなうのではなく,個々の患者に対してエビデンスに基づく治療法の選択肢について十分な情報提供をおこなったうえで,患者の価値観や何を優先するかを十分に斟酌(しんしゃく)して,治療方針の意思決定をおこなうことが重要であるとされている。
⑩ 将来が不確実な中で意思決定をすることは難しいし全く新しい技術に投資するかどうかなど,データがほとんどなくても意思決定が必要な時もある。我々個人でも,病気になって手術を受けるかどうかを判断する時に,EBMに従って個人が判断しなければならない時代になってきている。効果の期待される治療が苦痛をともなうような場合には,その選択は容易ではない。(4)データや不確実性をどう理解するか,その上で自分自身の価値観にも照らしてどう意思決定するかについて,我々自身が学ぶことが求められている。
竹村彰通「データサイエンス人間」)による。一部改変。(岩波新書。2018)
注.
POSデータ……POSシステムで用いられる情報。POSシステムは,商品を販売した時点で販売情報をコンピュータ・システムに入力し,経営管理などに活用される
(2)解答例
問1
・新型コロナウイルスが世界で猛威を振るういま、感染拡大を食い止めるために世界各地で行われているロックダウンは数理モデルに基づくシミュレーションを根拠としていること(80字)
・企業は膨大なデータを駆使しながら消費者の動向を予測し警察や諜報機関は,様々なモデルを駆使しながら,犯罪を未然に防ごうとしているのはすべて計算によるものであること(80字)
・天気予報,ウイルスの感染拡大,グローバルな気候変動,放射性廃棄物の将来にわたる環境への影響など深刻なリスクを予測するため日夜たくさんの計算が行われていること(78字)
問2
病が進行していくプロセスのなかで効果が上がる確率が高い治療法が選ばれるとしても、選択した治療法が確率的に有効とされる一方で効かない可能性もある。エビデンスに基づくリスク計算に追われてしまうと患者は人生の残り時間が確率と不安に支配されるものになるという問題点。(129字)
問3
当初統計は世界のリアリティについてのある程度の傾向を示す指標と見なされていたが,統計が事実に近い近似値ではなく世界の法則そのもの事実そのものであると考えられるようになり、自然と社会のリアリティの在処が具体的な出来事から数字へと置き換わった。(120字)
問4
分析や研究は客観的なものでなければならない。観察された事実を客観的な数値に置き換えたデータを,統計学的な手法に基づいて行うデータを用いた実証分析であれば,その結論は誰もが納得するものと考えられるから。(100字)
問5
データを用いた実証分析や予測に対して二通りの反応を示す場合がある。その要因は、実証分析や予測に対する過剰な思い込みと、逆に完全性を保証し得ないゆえの不安である。
前者はデータが事実そのものであると考える誤解に基づいている。経済指標であるGDPで日本は世界第4位であり、これだけを見ると日本はまだまだ豊かな国であるという評価を大半の国民が下している。一方で相対的貧困状態に置かれている人々も少なからず存在し、こうした課題は不可視化されている。後者についてはHPVワクチンへの忌避行動である。当然のことながら医療行為にはリスクが伴い、医療に限らず世の中の事象にはゼロリスクはない。ところが、わずかなリスクであるHPVワクチンの重篤な副反応をメディアが煽ったことで、多くの視聴者に警戒感が強まり、ワクチン不接種運動が起こった。
データは客観的な事実として提示されるが、これを受け止めるのは人間間は主観的な情緒に支配され、様々な情報に振り回されバイアスが形成される。データを前に冷静さを失わずに理性を持って向き合うこと。これを矛盾するようであるが、無味乾燥なデータだけに捕らわれずに、身の回りの現実を直視して、自分の眼で生の対象を見、自分の頭で考えること。これは学校の座学のみならず、現実生活の中で試行錯誤をしながら身に着けていく姿勢である。データと現実の双方を見る眼を時間をかけて培っていかなれればならない。
(600字)
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