「何をやってもうまくいかないんです」
この言葉を、月に何度も聞きます。
言い方は少しずつ違います。
空回りしている。噛み合わない。前は進んでいたのに。
観ていると、そういう方の龍は、たいてい留まっています。
龍は動いているものです。
昇っているとき、留まっているとき、降りているとき。
その三つを行き来しながら、生涯続いていきます。
ずっと昇り続けている龍を、私は観たことがありません。
留まっている時期は、誰にでも来ます。
留まっている龍を観ると、こういう感じです。
体は大きいのに、その場から動いていない。
向きは決まっているのに、進んでいない。
息はしている。けれど、前に出ていかない。
本人の感覚としては、たいてい「がんばっているのに進まない」になります。
ここで多くの方がすることが、決まっています。
動かそうとします。
新しいことを始めたり、環境を変えたり、いつもより多く動いたり。
止まっているのが不安だから、何かしようとする。
その気持ちは、とてもよくわかります。
けれど留まっている龍を無理に動かそうとすると、たいてい重くなります。
動かないものを押しているので、力だけ使って、進まない。
そして「やっぱり自分はダメだ」と思う。
観ている側からすると、ここが一番もったいないところです。
留まっている時期に、何が起きているのか。
私が観てきた範囲で言うと、溜めていることが多いです。
次に動くときのために、力を蓄えている。
向きを変える前に、いったん止まっている。
外から入ってきたものを、体に馴染ませている。
だからその期間に、外に出す動きをしようとすると、噛み合いません。
中に入れる時期に、出そうとしているからです。
もう一つ、留まって観える別の場合があります。
滞りです。
どこかで引っかかっていて、動きたいのに動けない。
これは溜めとは違います。
見分け方は、息です。
溜めているときの龍は、静かですが息が通っています。
滞っているときの龍は、どこかで息が詰まっています。
引っかかっているものが自分のものではないこともあります。
外から来て、絡んでいる。
そういうときに私がするのが、洗うという作業です。
絡んでいるものを外して、息が通るようにする。
ただし、洗ったから動き出す、とは言えません。
息が通るようにするところまでが私の仕事で、
そこから動かすかどうかは、その龍を持っている人が決めることだからです。
留まっている時期の過ごし方について、よく聞かれます。
私は、こうしてくださいとは書きません。
その人の龍によって違うからです。
ただ、共通して言えることが一つだけあります。
今が留まっている時期だと知っているのと、知らないのとでは、違います。
知らないと、進まないことを自分のせいにします。
努力が足りない、能力がない、向いていない。
知っていると、少なくとも「今はそういう時期だ」と置いておけます。
置いておけると、余計な力を使わなくて済みます。
私が報告書に書いているのは、だいたいそういうことです。
どうすればいいかではなく、今どうなっているか。
最後に、一つだけ。
留まっている龍を観たとき、私は「今は良くない時期です」とは書きません。
留まっていることが悪いことだとは思っていないからです。
そして、その後どうなるかは、観えないからです。
観えるのは今の姿と、今向いている方向まで。
その先を書いたら、それは観たことではなく、私の想像になります。
だから、留まっていると観えたら、留まっていると書きます。
それだけです。
いま、うまくいっていない感覚がある方へ。
それはあなたの努力の問題ではないかもしれません。
龍が留まっているだけかもしれません。
そして留まっている龍は、いずれ動きます。
いつかは、観えません。けれど、留まったままの龍を、私はまだ観たことがありません。