毎日のお勤め

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コラム
ここ数日寒さ厳しい日が続いています。体調管理には気を付けてるつもりですが、この寒さはさすがにこたえますね。

さて、お寺では毎朝決まった時間に勤行(ごんぎょう)が行われます。これが一日の始まりです。

勤行とは本尊さまの前でお経を読むことです。だいたい40分ほどですが、これが意外とキツイんです!

私もお寺に入ったばっかりの時は、ずいぶん苦しんだ記憶があります。
何に苦しむかというと、まあ色々ありますが

1、早起き
2、足のしびれ
3、気温(冬の寒さ、夏の暑さ)

だいたいこの3点セットですかね。
私もこの対策に悪戦苦闘の日々を送ってました。


特に冬の氷点下を下回った日は本当に辛いんです。40分間お経を読んだあとは手足の感覚がありません。

こんな事をして何の意味があるんだろう?
お経を読んで心がすっきりするどころか、眠たさと足の痛さで怒りさえ覚えたこともありました。形の上ではお経を読んでますが、心の中は裏腹に雑念だらけです。嫌だ!嫌だ!と心では叫んでました。

それでも毎日朝がくれば勤行が始まります。
一日が終わり翌朝にはまた勤行が始まります。

そんな毎日を繰り返していくうちに、嫌だったはずの勤行が嫌じゃなくなっていたのです。かといって好きになったわけではありませんよ。

いつからそう思えるようになったのか、はっきりした自覚はないのですが、心あたりはあります。

ここだけの話ですが、勤行に対する嫌な感情をお経を読むことで全部吐き出していた時期があるんです。

私はお寺に入りたての当時は、何事も我慢をしなければならないと思い込んでいました。

お寺なんだから、修行なのだから、しんどくて当たり前。厳しいのが当たり前と。
なので、勤行時に眠かろうが、足が痛かろうが、気合と根性で乗り越えなければならないと考えてました。

だから悪い感情が沸いてきたら、すぐに頭を切り替えるように努力してました。悪い感情が生まれたら、それを上書きするようにい良い面を考え無理やり自分に言い聞かせていた悪い感情を抑えていました。

しかし、本心はごまかせないものですね。

偽りの上書きはメッキのように剥がれ、結局毎日の積み重ねに限界を感じ、自分の感情を勤行中にお経にのせて吐き出してしまったんです。

「なんで毎日こんな事をしないといけないんだ!足が痛い!もっと早く終わってくれ!寒い!休みたい!」といった風に・・(;^_^A


その時は本当に情けなく自己嫌悪に陥りましたが、実はそれが良かったのかと今は思うことができます。

それからしばらく経ち、いつも通りに勤行をしていて、ふと気付いたのです。

足も痛いし、眠たいのに、嫌という感情は一切沸き上がってこないのです。

なんでだろう?

今までなら考えることもなく自動的に嫌な感情が湧き上がってきていたのに・・・

おそらく自分の感情をありのまま出したことがカタルシス効果を生んだのでしょう。

その日以来、勤行に対する嫌な感情はなくなりました。もちろん眠たい日や寒い日に少し嫌な時はありますよ(;^_^A
でもそれは勤行に対しての嫌ではないのです。

今となっては勤行がないと、一日が締まらない気がしています。
一年の計は元旦にありというように、一日の計は勤行にありです。

毎日、一日の平穏と無事を祈ることは私にとっての心の支えになってます。

大きな幸せはなくとも、今日一日が無事に終わることが最近では有難く感じまられます。

皆様にとって今日一日が平穏無事な一日でありますように。















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