当たり前ですが、「集団生活」と隣り合わせなのが「いじめ」です。
無視、仲間外れ、いじわる、からかい、文句、悪口、窃盗(もの盗み)など…挙げたらきりがありません。
私自身も人生で何度かやられたこともあります。
最近では「いじめは悪い」と知りつつ、目立たたないように継続される陰湿ないじめもあります。
また、それに対して当事者(被害者)にとって身近な場所である「家庭」、「学校」、「職場」などが常に味方であるとは限らないのが現実です。
それでも、その場限りの遊びなのかいじめなのかしっかりと見極める必要があります。
遊びかいじめかの判断は'その人(当事者)の感覚'次第ですので難しいです。
特に、脳みその構成上、発達障がい、HSPスペクトラム(繊細さん)、解離性障がい(多重人格)はいじめの被害にあいやすいです。
「やめて(NO)」と伝えたつもりでもそれが相手に上手く伝わらないか、そもそも「やめて(NO)」という単語が出てこないためです。
また、自己愛性人格障がい、サイコパス(反社会性人格障がい)はいじめの加害者に陥りやすいです。そもそも「人格障がい」自体が、感情などの'セルフコントロール(自己管理)'が不十分な障がいです。これは虐待も同じです。
ここまではいかないものの、いわゆる「テイカー(もらい放し)」の人、「体育会系の精神論(「努力」、「根性」、「気合」)」で片付ける人、そして何よりも難しい人が「優しいふりをしていじめる」「カバードアグレッション」の人です。
日本は「本音」と「建前」や「忖度」、「察する」という高度なコミュニケーション能力が求められる文化です。(令和時代になってその文化も変わりつつありますが…)
そして何よりも「生涯にわたる集団生活」も求められる文化です。
「カバードアグレッション」は私なりに和風に解釈すると、京都のコミュニケーション文化-「いけず」や「腹黒い」ということでしょうか?
「いけず」はもともと「池之畑の芋茎(ずいき)(里芋の茎)」の略称だそうです。
農家で里芋を栽培した経験があるならイメージできますが、この里芋の厄介なところは「他の農作物などの植物の栄養を吸い取ってしまう」特徴があります。そのため、里芋は独立した畑で栽培しないと他の野菜などが枯れる可能性があり得ます。隣り合わせの栽培に不向きです。
そこから転じて、「いけず」-「カバードアグレッション」、「本音」と「建前」や「忖度」、「察する」という高度なコミュニケーション能力が求められる文化へと発展したのです。
つまり、「話す相手」によっては「話す内容」も変えて接しているのです。
わかりやすいのが「(隣近所がピアノを弾いていて)ピアノがお上手なのですね」という一言です。
特に、発達障がいのある人は「言葉をそのまま受け取る」特徴があることから「ほめられた」と浮かれているかもしれません。
しかし、HSPスペクトラム(繊細さん)は「ストレートな表現」が難しいため、「お隣はいつもうるさい。迷惑」とは言えずこうした「(隣近所がピアノを弾いていて)ピアノがお上手なのですね」という一言を苦笑いで話すことが多いです。
ただし、HSPスペクトラム(繊細さん)は「嫌われたくない」「傷つきたくない」と思うため'やむを得ず'こうした表現をひんぱん使うことが多いです。
私もそうです。
しかし、これが「意図的(わざと)」-「相手を傷つけ、自分たちだけお得になる」ためはどうでしょう?
これが「いけず」-「カバードアグレッション」の怖いところです。
この場合は内容を「シンプルにしたオウム返し」で跳ね返すのが有効ですが、一時的です。あくまで、'しのぎ'です。
そして、一番の「特効薬(?)」はやはり「離れる」、「手放す」と言った「引き算発想」-「物理的な距離感(遠距離)」しかありません。
精神系のマイナスなことの「特効薬(?)」は今現在この方法しかありません。
今後時代が進みますが、その方法が楽になるだけで「引き算発想」-「物理的な距離感(遠距離)」の根本は変わらないだろうと思います。
今どきの表現では、「ミニマリスト(最小主義)」でしょうか?
しかし、この考えは都会ではだいぶ浸透しましたが、田舎では不十分です。
そこのには個人の気質特性はもちろんですが、「グループダイナミックス(群集心理)」も大きく関わるからです。
特に田舎は、人数が少なく「顔の濃い」付き合いが優勢ですのでこうした新しい価値観が浸透するには長い時間がかかります。
私もこうした人間関係の疲労なども重なっても「疲れた疲れた」しか訴えることができない自分がもどかしいです。
さらに幼い頃は「言葉足らず」でしたので、こうした単語も発せずそれこそ自傷行動や他害行動などの「命に関わる」行動を繰り返していました。
もう少し自分自身が利口で「世渡り上手」、親ガチャでSSR(スーパースペシャルレア)(超絶幸運)ならすぐにも行動が起こせますが、難しいのが現実です。
さらにニュースの多くが、「マイナスな出来事」で心労過多なのが現代社会です。
だからこそ、お国は「いじめをなくす」のはもちろんですが、それ以上に「憲法13条」を発展させ、「お一人お一人が無条件で幸せになっていい社会」、「人と違うことを無条件に肯定できる社会」その'手段の1つ'である「ベーシックインカム(無条件無差別現金給付)」などを願って止みません。
平和は「お一人お一人の幸せ」の集合体ですから…