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嫌なことや苦手なことはしなくていい

私は給食に悪い思い出しかありません。 子どもの頃の私は好き嫌いが結構あって(今も変色気味ですが)給食が嫌で仕方がなかったのです。当時は圧倒的に「残すことは悪いこと」や好き嫌いをしてはいけない」といった考え方がまかり通っていて、ほとんどの教師はすべて食べ終わるまで生徒を残していたのです。 私はこの悪しき風潮のおかげで小学校5年生のときに不登校になりました(当時は登校拒否と言っていました)。 おかげさまで、私は学校や先生に対しての「幻想」や「思い込み」から脱することができました。今にして思えばとてもいい経験ができたなと。 昨今の、特に新型コロナ騒動以降においてはある程度は個人の好き嫌いを表に出してもいい、という考え方が広がってきているように感じています。私からしてみればまだまだだと感じていますが、でも、歪な根性論が減ってきたというのは喜ばしいことです。 私が勤め人をしていた頃は、「石の上にも三年」という価値観がまかり通っていました。 好きでもない、つまらないと感じるような仕事でも我慢して無理してでも楽しみや面白さをみつけよ、と先輩や上司から何度も言われました。 好きなことだから、努力もし頑張れる。 好きなことなら、傍から見てしんどそうで大変そうでも、本人にとってはそうではなくて楽しく感じていたりします。 好きなことなら、我慢ができるし、本人は我慢とすら感じないことも多いものです。 最近のスポーツ界を見渡しても、結果を出し続けているチームや個人はその競技を心から楽しんでいて、練習も合理的でかつ楽しさを採り入れています。昭和の体育会的なシゴキや根性論は影を潜めていて、今どきそのような体
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いじめとは?

 当たり前ですが、「集団生活」と隣り合わせなのが「いじめ」です。 無視、仲間外れ、いじわる、からかい、文句、悪口、窃盗(もの盗み)など…挙げたらきりがありません。 私自身も人生で何度かやられたこともあります。 最近では「いじめは悪い」と知りつつ、目立たたないように継続される陰湿ないじめもあります。 また、それに対して当事者(被害者)にとって身近な場所である「家庭」、「学校」、「職場」などが常に味方であるとは限らないのが現実です。 それでも、その場限りの遊びなのかいじめなのかしっかりと見極める必要があります。 遊びかいじめかの判断は'その人(当事者)の感覚'次第ですので難しいです。 特に、脳みその構成上、発達障がい、HSPスペクトラム(繊細さん)、解離性障がい(多重人格)はいじめの被害にあいやすいです。 「やめて(NO)」と伝えたつもりでもそれが相手に上手く伝わらないか、そもそも「やめて(NO)」という単語が出てこないためです。 また、自己愛性人格障がい、サイコパス(反社会性人格障がい)はいじめの加害者に陥りやすいです。そもそも「人格障がい」自体が、感情などの'セルフコントロール(自己管理)'が不十分な障がいです。これは虐待も同じです。 ここまではいかないものの、いわゆる「テイカー(もらい放し)」の人、「体育会系の精神論(「努力」、「根性」、「気合」)」で片付ける人、そして何よりも難しい人が「優しいふりをしていじめる」「カバードアグレッション」の人です。 日本は「本音」と「建前」や「忖度」、「察する」という高度なコミュニケーション能力が求められる文化です。(令和時代になってその文
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