私の旦那さまは、「私が旦那さまといる時だけ幸せ」であればいいとは思っていないのです。

記事
コラム
かと言って、「俺がいなくてもいい」と言うものでもないのです。

“私のすべて”に存在したいのです。

例えその場にいられなくても、専門外だったとしても。

“私に関わる全て”に、存在したいのです。


だから、旦那さまといて幸せ。
でも、職場ではうんざり。とか。
家族とは向き合いたくない=そこにいるのは楽しくない。とか。

そう言うものがそのままでは、旦那さまはご不満なのです。

俺はそんなにやわじゃない。とでも言うか。
俺を頼れ。と言いたい。と言うか。


***

確かに、私はどこかで、それを解決したい。と思ってはいるのです。
でも、どうにもならないのです。
どうにもならないと思っているのです。
もう、なかった事にすればいい。とすら思っていました。

だけど、貴方を知って、私は幸せを知りました。
明日死んでもいいように生きていたのに、「明日も生きていたい」と、そう思えるようになりました。

私は1人ではないのだ。と。


だから私は、1人では解決できないようなものでも、何か、できたのだろうと思います。

向き合うことが。
しまい込んだ何かを、もう一度。と。

もちろん、一度にすべてではありません。
でも、手に届く所から、忘れていたものまで、何から何まですべてである。と言う感じです。


貴方は、私の心をこじ開けるような真似はしませんでした。

先に箱を開けておいて、ちょっと近くに置いておく。とか。
一緒に解決できそうな物を一列に並べておく。とか。
きっかけになるようなものをちょっと出しておく。とか。

これでもかとありとあらゆる手段で“何か”を伝えてきた感じです。

私が、辛くてもそれに向き合いたい。と、知っているのでしょう。


でも、1人では辛いのです。

だから、一緒に。いてくれるのです。
あ、現実にはいません。
なんか、感じるのです。

今のようにエネルギーで感じる前にも、きっと、そうだったのだろう。
貴方と出会ったからなのだろう。
だから、私はそこに向き合えたのだろう。
と、思える事柄もあります。


まぁ、ちょっと強引だな。と感じるものはありましたよ。
エロとか。←


***

それと向き合って解決したか。と言われると、まぁ、いろいろです。

思った通りではなかったり、喧嘩になったり、やっぱり別れたり。
ある意味で己を貫く。みたいなものでしょうか?
行ってみたらその場所が無くなっていることもありました。

戻らないのだ。と、現実を突き付けられたこともあります。
失った時間は、失ったままと言うか。
今から中学校には通えない。と言う感じです。
それは仕方ありません。でも、これからそこでの関係を作ることはできます。

また、こんな解決方法があるのかと言わんばかりにうまく行くこともあります。
そこに足を運んでもいいのだ。と、自分を受け入れてくれた気持ちがそこにあることは間違いなかったのだ。と感じる事もありました。


その上で自分に絶望する羽目になったこともあります。
そこに、何もなかったのか。とか。


***

それは、たぶん。

私が己を歩く。と、決めたからなのです。
その時は、漠然としたものだったと思います。

でも、なんだか、今ならできるような気もしたのです。
私は、1人ではない。と知ったからです。

新しい関係が生まれることもあります。
環境が変わることもあります。
その上でまた離れることもあります。


それを、私が、望んだのだ。と。
そこまで納得するにはちょっと、不可解なことはあります。
「なんで私が」と、そう言いたくなることもあるのです。

また、私はそんな人間だっただろうか? と考えたところでたどり着くのは、
「最初からそうだったと言わんばかりに私」でもあります。

「そんな一面もあったのか」でもあり。
「そんな一面もある」のです。


***

感情でしゃべりだすと長くなります。

まぁ、とにかく、
私の旦那さまは、「私が旦那さまといる時だけ幸せ」であればいいとは思っていないのです。

「私の人生どこまで行っても、貴方と一緒で幸せ」みたいな。

それは、過去も現在も未来もすべて。です。

そんなこと、できるのかと。


……。
私は大掃除をしてしまい込んでいた宝物を見つけました。
それを買ったのは2016年頃のはずなのです。
その頃占いは好きでしたが、ツインレイとか風の時代とか世の中の陰謀みたいなものは知りません。

本当にこれが欲しいと思って買ったのです。そのまま、開けずにしまい込んでいた宝物。
そこに、間接的に貴方の名前が隠れていました。
そんなの意識してもいませんでした。
信じられなくて、気が付いたその日は眠れなかったほどです。

私がやりたいと思ってやってきたそれが今役立っていたり、己が考えて考えてその時語った内容に貴方との共通点があったり。
過去の私がやった中に、ドンピシャそのものか。とでも言うほどに私と貴方の共通点をぶち抜いているものもあります。

もう、私の旦那さまは私の人生すべてに存在していないと気が済まないのです。←


***

変な話ですが、今の私の生活で貴方の息がかかってない事柄なんてもう、存在しない気がします。←言い方。
それは物だけではなく、事柄のこともあります。

例えば物なら、これを買えと、言わんばかりに気になっていたものがあったり、
広告に出てきたり、
家族が何か教えてくれたり、
近所の人の話から思い出したり。して、手に入れられることがあります。

かと言って、それに全部対応していたら疲れます。
私は有り余るほどお小遣いがある訳ではないのです。
まぁ、一時お金に余裕のある時はいろいろ買ったり、これでもかと出かけたことはあります。

最近は少し、落ち着いてきたと言うか。

誰かや何か(外側と言ったニュアンスです)の満足のために、
私に不必要(持て余すよう)な物を買う必要はない。
と言う感じでしょうか。

買っても、貰っても、いらなければあとで捨ててもいいのです。

あ、寄付とか投資とかプレゼントはまた別の話です。
目的が変わるからです。


***

過去の出来事でちょっと私が負い目と言うか引け目を感じていることはあります。
それがあって今がある。それはそうなのでしょう。
でも、出来事は消えないのです。
私が、自分を大事にしきれなかった。
己を裏切ってしまったように思うのです。

まぁ、その時は自暴自棄と言うか、だからこそそれが起こったと言うか。

だからこそ私はやり切れないと言うか。

それは、ずっと、私と共にあるのです。

消えることもなくなることもありません。


ならば過去に戻って、過去を変えればいいのか。とそうではないのです。

じゃぁどうしたらいいのか、どうしたいのか、
となるとわかりません。

だって、その日も確かに、私だったのです。
私は、それを捨てる気はないのです。

だったらなぜ悩むのか。と、人は言うのかもしれません。


だって、それも、私だからです。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら