『自分の思う通りにならない人』は、『全部敵』ではない

『自分の思う通りにならない人』は、『全部敵』ではない

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コラム
人間関係に疲れているときほど、世界が敵だらけに見えることがある。

こちらが説明したのに理解してもらえなかった。
思った通りの返事が返ってこなかった。
期待した行動をしてくれなかった。
そんなことが続くと、「この人は分かってくれない」「敵だ」と感じてしまうことがある。

しかし、年齢を重ね、多くの人と関わってきた中で強く思うようになったことがある。

自分の思う通りにならない人が、すべて敵というわけではない。

人は、自分が理解できていることを「相手も理解しているはずだ」と思いがちである。

説明したつもり。
伝えたつもり。
言わなくても分かると思った。

けれど、相手には伝わっていないことがある。

そのとき私たちは、「なんで分からないの?」とイライラする。
しかし、そこで一度立ち止まって考えてみることも大切だ。

理解してくれないのではなく、自分の説明が悪かったのかもしれない。

これは自分を責めるという意味ではない。
自分への振り返りを持つ、ということである。

私は長く接客の仕事をしてきたが、「説明した」と「伝わった」はまったく別物だと何度も感じてきた。

例えば、「規則です」とだけ言えば、こちらは説明したつもりでも、相手には「理由もなく押しつけられた」と伝わることがある。

一方で、「こうこう、こういう物事を防ぐために、このルールになっています」と理由を添えるだけで、受け取り方は大きく変わる。

同じことは、家族や友人との会話にも当てはまる。

人は「理解されたい」生き物である。
だから、期待した反応が返ってこないと傷つく。

共感してほしかったのに、違う意見を言われた。
すぐ返事が来ると思ったのに来なかった。

そのとき、相手の事情よりも先に、自分の傷つきを感じてしまう。

しかし相手は、ただ疲れていたのかもしれないし、忙しかったのかもしれないし、何と返せばいいか迷っていただけかもしれない。

それなのに、「分かってくれない」「冷たい」と決めつけてしまうと、人間関係はどんどん苦しくなる。

ここで大切なのは、

「思い通りにならない」と「大切にされていない」は違う

ということである。

大切に思っていても不器用な人はいる。
優しいけれど表現が下手な人もいる。

人の誠実さは、「自分の期待通りに動いたか」だけでは測れない。

そして、自分の思う通りに返事をしない、思う通りに動かない、そのたびにイライラしていたら、心がもたない。

他人は自分の分身ではない。
価値観も、経験も、優先順位も違う。

同じ言葉でも、受け取り方は人によってまったく違うのである。

だからこそ、人間関係で大切なのは、「相手が悪いか、自分が悪いか」を決めることではない。

☑️伝え方はどうだったか

☑️説明は十分だったか

☑️相手の立場を想像できていたか

☑️期待を押しつけていなかったか

を振り返ることである。

その振り返りができると、「ここは相手の問題」「ここは自分の伝え方を変えよう」と整理できるようになる。

自分を振り返ることは、負けでも自己否定でもない。

より生きやすくなるための調整である。

もちろん、無理な相手とは距離を置いていい。
傷つけてくる相手から離れていい。

ただ、「敵だから切る」のではなく、「自分には合わないから距離を調整する」と考えたほうが、心は消耗しにくい。

人間関係は、白か黒かではない。

優しいけれど不器用な人。
誠実だけれど説明が下手な人。
好きだけれど距離感が違う人。

そういう曖昧な人たちで、現実の世界はできている。

自分が理解していることを、すべての人が理解しているわけではない。

理解してくれないと感じたとき、相手を責める前に、「自分の説明は十分だっただろうか」と振り返ってみることも、ときとして大切である。

そして、自分の思う通りの返答をしないからといって、その人が敵とは限らない。

人間関係は、「思い通りにすること」ではなく、「違いを抱えたまま付き合うこと」なのだと思う。

少し肩の力を抜いて、「この人は自分とは違うだけかもしれない」と考えられるようになると、人間関係は少しだけ優しくなり、自分の心も少しだけ楽になるのかもしれない。



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