【性格診断】「○○型だから」は本当にその人を表しているのか

【性格診断】「○○型だから」は本当にその人を表しているのか

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コラム
近年、性格診断が大きなブームになっている。

SNSのプロフィールには、自分がどのタイプなのかを書くことが当たり前になり、「私は○○型です」「△△型なのでこういう性格です」という自己紹介も珍しくなくなった。

マッチングアプリでも、「○○型の人と相性がいい」「恋人は○○型が理想」「友達も同じタイプが落ち着く」といったように、診断結果を一つの判断材料として人間関係を築く人も増えている。

もちろん、性格診断そのものを否定するつもりはない。

自分の考え方や得意不得意を知るきっかけになることもあるし、「自分にはこういう傾向があるのか」と客観視できる道具としては、とても面白いものだと思う。

しかし、その一方で、私は最近少し気になる相談を受けることが増えてきた。

「○○型だと思って付き合った彼氏なのに、○○型ならこんなことはしない。」

「○○型なのに考え方が違う。」

「この人は本当に○○型なの?」

さらには、

「○○型らしい考え方になるように直してほしい。」

そんな相談まである。

その話を聞くたびに思う。

人間は、診断結果一つで説明できるほど単純な存在ではない。

同じ家族で育っても性格は違う。

同じ学校に通っても価値観は違う。

経験してきた出来事も、傷ついてきた理由も、嬉しかった思い出も、それぞれ違う。

だから、同じ診断結果であったとしても、全員が同じ考え方になるわけがないのである。

診断メーカーは、「こういう傾向があります」と教えてくれることはあっても、「あなたは絶対にこういう人間です」と断言しているわけではない。

人には必ず例外がある。

むしろ、その例外こそが個性なのだ。

それなのに、診断結果という一つの枠を絶対視してしまうと、「その人」ではなく、「型」を見てしまうようになる。

すると、相手が型通りに動いている間は安心できる。

しかし、少しでも型から外れた瞬間、「おかしい」「違う」「直してほしい」という気持ちが生まれてしまう。

そこには、無意識のうちに「自分の理想の型」に相手を押し込めようとする心理が隠れている。


なぜそうなるのか。

それは、「○○型だから付き合った」「○○型なら自分に合う」と思っているからである。

言い換えれば、その型が自分にとって都合が良かったのだ。

だから都合の悪い一面が見えたとき、人ではなく診断結果を基準にして、「型に戻ってほしい」と願ってしまう。


しかし、それは本当に相手を見ていることになるのだろうか。

恋愛も友情も、本来は相手という一人の人間を理解していくものだ。

診断結果を好きになるのではなく、その人自身を好きになることが大切なのである。


もし診断結果と違う一面が見えたなら、「この人にはこんな一面もあるんだ」と知る機会にすればいい。

人は年齢とともに変わる。

環境によっても変わる。

大きな挫折や成功を経験すれば、価値観は何度でも変化していく。

つまり、人間は「完成された型」ではなく、変化し続ける存在なのである。

だからこそ、性格診断は「地図」のようなものだと私は思っている。

目的地までの大まかな道は示してくれるかもしれない。

しかし、その道の途中にどんな景色があり、どんな寄り道をしてきたのかまでは教えてくれない。

その部分こそ、その人だけの人生であり、魅力なのである。

便利なものほど、私たちは答えにしたくなる。

けれど、性格診断は人を決めつけるためのものではなく、人を理解するための入り口であってほしい。

「○○型だからこうあるべき」ではなく、「この人はこういう人なんだ」という視点を持てたとき、人間関係はもっと自由で、もっと温かいものになっていくのではないだろうか。


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