日常でよく耳にする言葉ですが、そもそも「受け入れる」とはどんな意味なのでしょうか。
辞書的には「承知すること」「承認すること」とされています。
「認める」「構わないとする」などの言葉にも置き換えられますが、それでもどこか曖昧です。
「正しいと判断すること」「能力があると評価すること」といったニュアンスも含まれることがあります。
しかし、「受け入れる」は本当にそんなに“前向きな評価”でなければならないのでしょうか。
❇️「受け入れなければいけない」というプレッシャー医療や福祉、特に精神科や発達支援の現場では、「受け入れなければ」という言葉がよく使われます。
「これも私だって受け入れていかなきゃいけないんですよね」
「この子の障害を受け入れていかないといけないですよね」
これらの言葉の裏側には、「きちんと向き合って、前向きに捉えなければならない」という重い期待がのしかかっています。
しかし、そうした“正解のような受け入れ方”が本当に必要なのでしょうか?
多くの人が思い描く「受け入れた状態」とは、逆境や障害を乗り越え、「今の自分があるのはそれがあったから」と感謝するような姿かもしれません。
でも、それはあくまで“結果としてそう思えるようになった人”の物語であって、誰もが目指すべきゴールではありません。
むしろ、「受け入れる」にそんなに高いハードルを課してしまうことが、苦しみや自己否定を深めてしまっているようにも感じられます。
❇️「受け入れる」はプロセスである心理学者エリザベス・キューブラー=ロスは、「死の受容」についての研究で有名です。
彼女によれば、人が重大な喪失や死に直面すると、次のような5段階を経験するといいます。
1. 否認:「そんなわけがない」
2. 怒り:「なぜ自分が?」
3. 取引:「どうにかならないだろうか」
4. 抑うつ:「どうにもならないんだ」
5. 受容:「避けられないんだな」
これは障害や病気の受容にも当てはまります。
最初は否定したくなり、怒りや悲しみに襲われ、それでも何とか解決策を模索しながら、少しずつ“変えられないこと”を前提に次を考えるようになります。
この「次を考えようかな」と思える状態こそが、「受け入れた」ということなのではないでしょうか。
❇️「あって良かった」と思わなくていいここで大切なのは、「それがあって良かった」と前向きに思えるようになることを「受容」と定義しないことです。
「まだ嫌だと思っている」
「無くせるなら無くしたい」
「心のどこかで否定したい」
そんな気持ちがあっても、「あるものはある」と認めた上で、「ほんならどうしようか」と考えているなら、それはもう十分に“受け入れている”のです。
たとえば、「病院に行こうと思う」「働きやすい環境を探したい」「まずは少し休もう」と思えるのも、「あるもの」を前提にした“次の一歩”です。
つまり、「受け入れる」とは“消すこと”を諦めるでも、“美化する”ことでもありません。「これからどうしていこうか」と考え始めたその瞬間が、「受容」の第一歩なのです。
❇️自分を責めなくていい「受け入れなければならない」と思っている方の多くは、実はもうすでに受け入れのプロセスを歩んでいます。
それでも、「完全に前向きになれていないから」「まだ納得できていないから」と自分を責めてしまう人がいます。
でも、負の感情があることは自然です。
「なくなってほしい」「嫌だ」と感じることも、否定しなくていいのです。
「ほんならどうしようか」と少しでも思えたなら、それは大きな一歩です。
感情の波を経験しながら、少しずつ未来を見つめるプロセスこそが、本当の「受け入れる」なのかもしれません。