「ジョンとヨーコ」といえば、世界一有名なカップルと言っても過言ではありません。
しかし、そんな二人にも「失われた週末」と呼ばれる、約18か月の別居期間が存在しました。
今回ご紹介する映画は、1973年秋から1975年初頭まで、その“失われた週末”をジョン・レノンとともに過ごした女性、メイ・パンの証言をもとに描かれたドキュメンタリーです。
※以下、ネタバレを含みます。
メイ・パンはニューヨーク・ハーレム出身の中国系アメリカ人で、その才能を認められ、19歳という若さで音楽業界へ入りました。
やがて彼女はジョンとオノ・ヨーコの秘書兼アシスタントとなり、二人の活動を間近で支える存在になります。
そんな中、二人の反戦運動に対する政府の圧力、世間やメディアからの批判などのストレスが重なり、夫婦関係も行き詰まり始めていた頃、ジョンの浮気をきっかけに、ヨーコはメイに「ジョンの恋人になってほしい」と提案します。
あまりにも衝撃的な申し出に、当然メイも戸惑い、ジョン自身も困惑したようですが、やがて二人は惹かれ合い、本格的な関係へと発展していきます。
映画は終始メイ視点で語られているため、ヨーコ側の本心はわかりません。
作中のヨーコは、支配的で魔性的な女性のように語られていますし、実際そういった側面もあったのかもしれないですが、私はむしろ彼女の凄さを感じました。
ヨーコは、ジョンとの深いつながりの中で、関係が共依存的になっていくことを感じ、お互い自由が必要なことを理解していたのではないでしょうか。
このままでは関係そのものが壊れてしまう、一度離れる必要があると。
さらに、ジョンが一人では生きられないほどの危うさを持っていることも、誰より理解していた。
それ以外にも、政治的圧力が強くなり、一度離れないと、ジョンの身が危険だと感じたためもあるのかもしれません。
いずれにせよ、だからこそ、才能があり、聡明で、信頼できるメイに、ジョンを託したように感じられます。
それはヨーコにとっても、帰ってくるかわからないジョンを、あえて一度自由にし、手放すという賭けであり、苦渋の選択だったはずです。
実際、二人がロサンジェルスに移ってからも、ヨーコは昼夜を問わず電話をかけ続けていたといいます。
自ら選んだ形でありながら、ジョンとメイの関係が彼女の予想以上に真剣なものとなり、ヨーコもジョンを失う不安や葛藤を抱えていたのだと思います。
その後の他の男性アーティストとの噂を流したりする姿や、ジョンの気を引こうとする行動からも、一人の女性としての弱さや葛藤の深さが垣間見えました。
一般的に、ツインレイにおける“サイレント期間”は、お互いの依存や執着を手放し、自立するために必要な時間だと言われます。
ジョンとヨーコにとっての「失われた週末」もまた、強すぎる結びつきの中で失われかけていた“個”を取り戻すための期間だったのかもしれません。
映画の中のメイは、若く自由で快活でありながら、ヨーコが見込んだ通り、とても聡明で思いやりのある女性に見えます。
彼女は繊細で複雑なジョンを深く理解し、心から支えていたように感じました。
実際、この時期のジョンは非常に創作意欲に満ちており、『マインド・ゲームス』や『心の壁、愛の橋』などの数々の名作を生み出しています。
さらに、メイのはからいで、長年疎遠だった前妻との息子ジュリアンとの再会、不仲だったポール・マッカートニーとの交流の再開、デヴィッド・ボウイやエルトン・ジョンらとの共演など、ソロ活動期の中でも特に充実した時間を過ごしていました。
一般的には、「失われた週末」はジョンが酒やドラッグに溺れた迷走の時代として語られることもあります。
しかしこの映画からは、ヨーコとの強い結びつきから一度離れ、メイとともに過ごすことで、ジョンが解放され、自由を取り戻していったようにも見えました。
ジョンはメイに多くの詩や絵を贈っており、彼女を単なる一時的な恋人としてではなく、深く愛していたことが伝わってきます。
ヨーコとの関係が、宿命的で激しく、人生そのものを変えてしまうような愛だったとするなら、メイとの関係は、彼を癒し、自由にし、本来の創造性や人との繋がりを取り戻させる愛だったのではないでしょうか。
しかし、最終的にジョンはメイのもとを去ります。
きっかけは、ヨーコがジョンに禁煙治療のセラピーを勧めたことでした。
ジョンはヨーコのもとへ向かい、そのまま戻ってくることはありませんでした。
メイは、再会したジョンが“洗脳されたように変わっていた”と語っています。
けれど私は、それもまた、ジョン自身の選択だったのだと思います。
メイを愛していた一方で、ジョンの中ではおそらくずっとヨーコの存在が消えることはなかった。
ヨーコがいなくても幸せなふりをしながら、ジョンも人知れず苦しんでいたのではないかと思います。
息子のジュリアンも、別居中でさえ、ジョンは常にヨーコのことを気にかけていたと証言しています。
最終的にジョンがヨーコのもとへ戻ったのは、外側の自由や繁栄だけでは、彼の魂は完全に満たされず、再びヨーコとの精神的なつながりが必要だと、気づいたからだと思います。
ジョン自身も後年、「あの期間を経て、ヨーコの存在の大きさを知った」と語っています。
それでも、その後もジョンは時折メイと会い続け、亡くなる直前の電話では「一緒にいられる方法を見つけよう」と伝えていたと、メイは語っています。
ジョンの中には、ヨーコへの宿命的な愛と、メイへの穏やかで自由な愛、その二つが同時に存在していたのではないかと感じます。
ヨーコが「魂を揺さぶる宿命の存在」だとすれば、メイは「魂の自立を支えた伴走者」のような存在だったのかもしれません。
そして、この映画で最も美しいのは、ラストのジュリアンとメイの再会の場面です。
ジョンの死後も、メイは前妻シンシアや息子ジュリアンとの交流を続け、深い絆を築いてきました。
ヨーコにはショーンという“愛の結晶”が残され、メイには、静かで優しい人との繋がりが残された――。
ジョンの「僕にとって、たった一つの答えは愛だ」という言葉で、この映画は終わっています。
メイとヨーコの中にも、それぞれの形で、ジョンの愛は永遠に生き続けているのだと感じます。