もし、昨日まで当たり前にできていたことが、少しずつできなくなったら。
あなたは、どんな気持ちになるでしょうか。
料理をする。掃除をする。買い物に行く。
妻は以前、二つ、三つの料理を同時に作ることができました。
ところが、双極性障害を患ってから少しずつ変化が現れました。
最初は献立でした。
「今日、何が食べたい?」
そう聞かれた私は、何気なく、
「何でもいいよ」
と答えていました。
でも妻にとって、その「何でもいい」が苦しくなっていきました。
「何を作ればいいか思い浮かばない」
やがて私がメニューを提案しても選べなくなり、さらに状態が悪くなると、料理の手順そのものが分からなくなりました。
妻はこう話しました。
「頭がフリーズして、何も考えられなくなる」
今まで何度もしてきたはずの料理なのに、何から始めればいいのか分からない。
掃除も同じでした。
「どう掃除していたか分からない」
そして妻は、
「自分がダメになった」
と泣くこともありました。
私は「大丈夫。僕もするから」と伝え、惣菜を買ったり、簡単な料理を作ったりしました。
けれど当時の私は、一番大切なことを分かっていなかったように思います。
「どうしてできないんだろう」
ではなく、
「妻の中で今、何が起きているんだろう」
と考えることです。
私はケアマネジャーとして、人の生活を支える仕事をしてきました。
それでも自分の家族のことになると、分からないことばかりでした。
妻は別の時に、
「何もしていない自分には価値がない」
「働いている人がまぶしくて、会いたくない」
とも話してくれました。
人に会わないという行動だけを見ていたら、その奥にある気持ちには気づかなかったと思います。
そして妻から言われた、忘れられない言葉があります。
「そばにいてほしい」
「話を聞いてくれるだけでいい」
私は妻の病気を治すことはできません。
妻の苦しさを完全に理解することもできません。
それでも、
「この人には今、世界がどう見えているんだろう」
と考えることはできます。
その視点を持つようになって、私の言葉も少しずつ変わりました。
「何でもいいよ」から、
「できる時でいいよ」へ。
ここで書いたことは、決して「双極性障害の方はみんなこう感じる」という話ではありません。
17年間一緒に暮らしてきた一人の妻が、夫である私に話してくれた世界です。
もし今、双極性障害と向き合っているご本人が、
「誰にも分かってもらえない」
と感じているなら。
また、支えているご家族が、
「どう接したらいいのか分からない」
「自分も疲れてしまった」
と感じているなら。
一人で答えを出そうとしなくてもいいのかもしれません。
私は医師でもカウンセラーでもありません。
だから診断や治療についてお答えすることはできません。
ただ、妻を17年間支え、何度も悩み、妻の言葉を聞いてきた家族の一人として、お話を聴くことはできます。
5分でも10分でも構いません。
うまく話せなくても大丈夫です。
ご本人の気持ちも、支えるご家族の気持ちも、否定せずゆっくりお聴きします。
「少し誰かに話してみようかな」
そう思った時に、思い出していただける場所でありたいと思っています。