日本って本当に良い国で、
弱者救済の制度設計がしっかりなされていると思うんですね。
有名な話が
アメリカでは医療費の公的保険制度がなくて全額実費になるから
ちょっとした風邪とか虫歯の治療とかでも数十万円払うって話を聞きます。
もしくは
食や衛生環境に貧しい国は今だに餓死する人がいて、
普通に道端に亡くなった人が倒れてるなんて話も聞きます。
日本では全く想像もできない状態ですよね。
少子高齢によりその救済にかかるお金は年々増えているとはいえ、
一見良くできている制度ですが、
僕はこの制度が
実は日本の民度の衰退を招く一因になっていると考えてます。
なので、今日はその解説についてお話ししていきます。
今日のこの話、良かったよと言う方はぜにシェアお願いします😁
さて日本の民度の衰退についてですが、
人口の減少や産業の低迷、失われた30年とか
色んな分野の専門家たちがそれぞれの視点から将来的に日本は衰退しかないって事を発信しています。
経済や人口の動態ついてはその専門家の方のほうがより詳しく情報発信されているので、
SNS等で参考いただければと思いますが、
僕は心理学的視点から少し深ぼっていきます。
では、結論からお伝えします。
それは、
弱者を守るあまり強者が弱者に合わせなければいけなくなるからです。
一見するとかなりキツめな表現になりますが、
誤解せずに読み解いてほしんです。
決して弱者を切り捨てると言う話ではないです。
でも構造自体はとても芯を得ている話になるので、このまま続けます。
例えば、
一昔前、記録が残る上では平安時代となっているようですが、
姥捨山、間引きと言う言葉が残っています。
この言葉の意味する所はつまり、
高齢者や障がい者、もしくは何らかの理由で育てられなくなった子供を山や川に捨てたと言う事実です。
もちろん生きたまま。
僕が言う弱者というのが、高齢者とか障がい者を指しているんですが、
ちょっとセンシティブな話になるので、
もう一度だけ念を押しておきますが、
決して弱者の方たちが悪いというわけではないです。
いずれ僕も高齢者になりますし、
事故や怪我でいつでも障がい者になる可能性はありますので誤解ないようお願いします。
さて話戻しますが、
そういった弱者の方達を「このまま見捨ててはダメだ!どんな状況であれ命は大切だ。何とか救おう。」と考え、
その考えが少しづつ広がり、
やがて国策になったのが日本の弱者救済制度です。
日本人らしく、隅々まで行き届く丁寧で優しい建てつけになってます。
とはいえ
福祉業界でも課題になっている一部の方たち、
制度の狭間でちょうど対象外になって救済を受けれない方もいます。
でも制度自体は国民に不利益にならないようにしっかり考えられています。
さてここからが本題ですが、
強者が弱者に合わせるとなぜ民度が衰退するかと言いますと、
それは”出来ることが多い人”が”出来ることが限られる人”に合わせないといけないからです。
ここでも「わかりやすいかな」と思って
あえて出来ることが多い、少ないで表現してますが、
悪意はありませんのでご了承ください。
例えていうなら、
大学生が幼稚園生に合わせて生活するみたいな感覚です。
生活圏域、考え方、お金の使い方など、両者の間では全く価値観が違うし、
できる事が違っています。
ではその両者を無理やり全く同じ生活空間の中で暮らさせようとしたらどうなるか?
簡単に想像つきますよね。
しかもそれを国策によって縛り付けているわけですから、自由度もなくなります。
かたや移動手段は電車や車、もう片方は徒歩、もしくはよくて自転車です。
これでは一緒にどこかに行こうとしても全く噛み合わず
「じゃあどうする?どっちかに合わす?キミ運転免許証持ってないし、お金もないよね?じゃあ徒歩で行くか。」ってなるしかないですよね。
つまり、これと同じ現象が今の日本にも強く起こっているというわけです。
『強者が弱者に合わす』
道徳的には当たり前すぎて議論にもならない言葉で、とても優しい言葉です。
僕自身も好きな言葉ですが、
”出来ることが多い人”が”出来ることが限られる人”に無理にでも合わせる事で、
社会の進化スピードの中央値が下がっている、制度設計の見直しが遅れているのも事実だと思うので、
その点が心理学的に見て民度衰退の一因にもなっていると考えます。
今回は非常にセンシティブな話で、
ブログとはいえ書くのも緊張しましたが、
ここまで読んで頂いてありがとうございます。
さてこの話良かったよという方はシェアをお願いします😁
誤解を招きそうな方はそのままご自身の胸にしまっておいてください。
ではまた✌️
220515