昨晩は五山送り火の日で、送り火の火文字を見ながら、8時の点火とともに諸精霊のご供養を行いました。
今月末には新居に引っ越すので、高所から送り火が見えるこの景色もこれで最後ですが、後悔はありません。
印象深かったのは、生日中殺の下の娘が、おかあさんがあの世に連れて行かれないように、と言って、そばでずっとしがみついていたことですかね。
不安なので、今日は一晩一緒に寝たいといって同じ布団で寝ました。言語化できない勘の強い子なので、この送り火を眺めながらなにかを感じていたのでしょう。
上の娘は視えるらしいのですが(私には確認はできませんが)、うわー龍が五山にいっぱいあつまってきてる〜と言ってました。
今、京都でもその意味を知っている人は少ないと思いますが、送り火は、京都の結界をクリーンに保つために、ずっと行われてきたんですよね。
だから、どんなことがあっても、毎年続けてきたんです。
そして、もともと京都の行事は、病気の厄災を避けるために始まった歴史があったりするので、コロナで世界中が混乱に陥れられた近年は、パンデミックを理由に辞めるのではなく、京都の行事はかえって、やったほうが良いでしょう。安倍晴明公もそういう時にこそ、厄払いの儀式を行なっていたと言いますね。
さてさて、夏季休暇の間、奈良の修験道の授業実習に行ってきました。
教授は、すごく偉い立場にある僧侶ですが、うちの大学でも一、二位を争うほど、わかりやすくて楽しくてタメになる授業をしてくれる親切な先生で、年齢も仏教界での立場も私たちよりも相当上なのに距離感を感じさせない、人間的な暖かさでだれとでも接してくれるチャーミングな方なんです。
個人的に大好きなんですが、今回実践授業をとおして、ますますこの先生が大好きになっちゃいました。
もう、どうみても、鳳閣星・禄存星か司禄星セットをどこかに持っている方です。だからか、年齢を超えてもよくいる気さくなおじいちゃんではなく、振る舞いに男らしさが滲むんですよ。年齢いっても、魅力パワーは隠せませんね。
ああこのひとは僧侶でありながら、めっちゃ女性にモテるだろうなぁ〜と、いろんなタイミングで思いました。羨ましい限りです。
しかも先生は、こっちの目線にあわせて、方便を使いながら話してくれるので、(誤解を招く恐れがあるのでやりとりの内容をそのままブログには書けないのでかいつまんで意図を書く形ですが、)個人的に、その先生の、禄存星っぽいっ哲学の教えが、心にフィットして、良かったのでみなさんにもシェアします。
晩の質疑応答の時なんですが、台湾からの若い留学生僧侶が、先生にこう尋ねたんですね。
「私はシンガポールの寺で働いていましたが、仏道を伝えるという中で一般の人からの批判を受けたり、環境的にさまざまな逆風があると、仏道を伝えることにしょっちゅう困難を覚えます。この先どこまで仏教を人に語れるのだろうと落ち込む時もよくあります。先生は、何十年も、この道にいて、人に伝え続けるモチベーションはなんなんでしょうか。」と質問されたんです。
私は、その時、「あ、それ自分もそういう部分ってあるなぁ」と思いました。
算命学というと、すぐに占い扱いされて鼻で笑われることもあるけど、(一般人は人類の暦学の歴史を理解できないんですよね。)なんで、対して得にもならないのに、算命学世界を深掘りし、研究し、語り続けるのだろうとかね〜....。
そしたら、その質問に対して、先生は(かいつまんで意図を私が抽出すると)こうおっしゃった。
「まずは、自分が大好き人間であることかなぁ。自分が大好きな人間は、自分のやってきたことも愛するんだよね。だから世間的には、自分のやってきたことに批判的な目線を向けて、もっとああすればよかった、とか、あの失敗が目につくから過去の自分の仕事をみたくない、とかいう人は多いけど、わたしはそうはならなくて、自分の関わった仕事をむしろビデオ再生したり、書籍とかもそうだけど、何度も何度も見直したりして、あ、あのとき、私、いいこといったなぁ〜、とか、うんうん、よく撮れてる、とか、いう感じで、しょっちゅう素敵な自分を再確認しながら、過去の仕事を味わいなおしたりするんですよね。w そうしていけば、おのずと迷うことないし、仕事が続けられる。」
「それから、自分にちゃんと報酬を与えることも大事で。正しいことをしなきゃとかにとらわれずに、自分に喜びを与えるような報酬設定を自分ですることも仕事を続けていく上でとても大事な要素なんだよね。
自分においしい仕組みを自分で用意すれば、自然と仕事のやる気につながってくる。」
ということを言ってました。
僧侶だから高尚な理屈でみんなを納得させるとかではなく、先生の言ったことっていうのは、すごく人間らしい回答だったんですよ。
無理のない、当たり前のところで自然な回答をしてあげてた先生の話を聞いて、心があったかくなりました。(きっと鳳閣星があるんでしょうね。)
でも、算命学世界でながめれば、これ、かなり真理だと思うんですよね。
よくご相談受けるし、自分もこの仕事を始めたばかりの時には、よく思ったことがあったけど、仕事がつづかないのは、ちゃんと報酬をもらっていない、と深層心理で不満を感じているからではないでしょうか。
(※社会的にどう、とかではなくて、自分の内側で基準となっている報酬のことです。)
たしかに、住職の言う通り、やればやるほど、報酬が受け取れる、となったら、人間は仕事が嫌にならないはずなんですよ。w
つまり、今仕事やりたくないなぁ、違う道ないかなぁ〜とおもっている人たちは全員、本当の奥底のところを辿っていくと、「やったぶん、見返りがちゃんときてない!」という不満に行き着くわけですね。
「環境さん、もっとわたしを喜ばせてよ!」っていうのがある。
だから、そこをまずなんとかしたほうがいい。と先生は、一般の人たちにつたえているんです。そしてどんなかたちの「報酬」が欲しいのかは、人によってそれぞれだから、自分に何を与えたら、大喜びするのかな?ってことをまず辿れ、と。そういうことをおっしゃってるんですよね。
つまりね、今の人は、不満があったら、普通の発想で、その不満がマシになりそうな他の会社に転職しようとか、業界変えようとか思う。でもその前に、何をしたら自分が喜ぶのか、というもっと根源的なところは内観しないんですよ。w
外側に目が行き、自分のニーズを自分自身が無視している。
自分を大喜びさせるものについて、自分自身が無視したなら、そりゃ、どこへ行っても、なにをやっても続かないんです。仕事に不満も出るんです。
そして、自分が好きならば、自分のやってきたことも全部愛せるよ、と。
(もう、絶対、先生、禄存星な感じ。w)
そう住職は、メッセージを送っている。
現代の私たちにめっちゃ必要な教えじゃないでしょうか!
うまく行かない、不満が出るということは、すなわち、自分を肯定してないし、それはつまり、こころから自分を自分が愛してないってことなんですよね。w
ん〜〜〜深い〜〜!w
でももし、多分、そういうことでしょ?と、このことを先生に再確認したとしたら、先生は、すっとぼけると思うんですよね。w
それを言葉にした時点で、それはルールになってしまうから、それを先生は嫌うと思う。決まりやカッコつけになってしまったら、それはひとを縛るもとになってしまうから、先生はきっとすっとぼける。
わたしそんなこと、いったかな、(自分の心がうけとったことが全てだよ)と多分、いうな、とも直感しました。
だから野暮な確認はしなかったんで、意図の抽出でしかないですが、
めっちゃそのあたり、極めた鳳閣星らしい姿勢だと思いました。w
もともと、修験道は実践ありきなんで、密教と同じような世界観があります。しかし、寺の密教はより高度に教えをクリアにしていこうとし、修験道はそれを俗世間の中で教えを役に立てることを目指そうとしたという、向く方向がちがうという背景があります。
より里に近いところで活動している修験道系僧侶だからこそ、人のこころに伝わる教え方ができる。大学の僧侶とはやっぱりちょっと一風違うんですよね。w ほかにも何人かお会いしたことがありますが、鳳閣星をどこかにもった僧侶さんたちは、掟でひとを縛るようなことをよしとしません。教えを自然な道理のなかで消化していくんですよね。
だから、俗世でも受け入れられる教えを伝えられる。
鳳閣星さんがキラッと光るポイントですね。
チベット密教でも、教師になる資質というのは問われるそうで、その条件が人に伝えることがうまいこと、だそうです。どんなに賢くとも人に伝えるのが下手な人は、先生になる器ではない、と定めていると、この間、チベット研究家の話を聞いたばかりです。
ならば、鳳閣星さんは、この複雑な世界を、事実を曲げることなく、相手の心情を葛藤させずに伝えるプロ。
惜しいかな、同じ伝達の星でも、これは芸術家・調舒星さんにはできにくい。情にうったえかけるアプローチになってしまうでしょう。それは煩悩ですんで、だから、仏教を伝える人は、やっぱり情報と自然な距離がとれる鳳閣星が向いていると思いますね。
その上、住職、財と魅力の星をもってるから、サービス精神めっちゃ発揮されて、この授業は、本当に受けて良かった!と思うことの連続でした。住職はお立場上、普通だったらなかなかお会いできない人なので、めちゃめちゃ贅沢な時間を過ごさせていただいたと思います。ファンになりました。
一方、住職の息子さんの僧侶は、かっこいい系の車騎星さんをもったひとっぽくて、その親子の性格の違いからみえてくる掛け合いが個人的には面白かったです。鳳閣星もちの親をみてる車騎星もちの子の視点からすると、言語化しにくい、なんだかイラッとする時があるわけですよ。w ああ、と思って。
人間ウォッチャーのプロファイラーの自分としては、お互いの気持ちが伝わってきて、ほのぼのしてしまいました。
しかし、牽牛星や車騎星もちの方がやる修験はハマりすぎてて、めっちゃめちゃかっこいいですよ!ヒーローそのもの。w
男の車騎星さんならば、この世界、ぜひ、体験して欲しいですね。
西では、大峯山(修験)に登らないと一人前の男じゃない、という言い伝えがあったそうです。
違わず、自分も、本物の男ってこれだよなぁ〜とすごく思いました。
だって、いく前は修行場にいる修験者は、皆、荒くれ者みたいな勝手なイメージがあったんですけど、実際会った吉野の修験者の方は、どの方も礼の心を感じる、素敵な紳士ばかりでした!
残念ながら、大峯山は、まだ残っている修験世界の女人禁制の山のひとつなので、肉体が男性ではない自分の参加により、私は、今回、そこへ入山することは叶わなかったので、大峰奥駈道のなかでおこること、心境の変化、色々は男じゃないと知り得ない体験ばかりなんで、これじゃあ、本当のところは知れたと言えないんです。
ううう〜知りたい世界、ここで諦めきれません。
そこで、来年そのベールに隠された男の世界を体験して、実態を語らせるべく、ぴかちゅうを本当の男だけしかいけない修行場へ、送り込むのでよろしくお願いします!と、住職に交渉しました。w そしたら、お待ちしてますとお返事をいただきました。
ピカチュウにあとで話したら、「えええっ......!」ってなっていましたが、車騎星、行ったら行ったで、天南星も大爆発ですよ、きっと。フィットする世界に違いありません。
面白いことに、吉野修験自体の行者さんは、半数が女性だそうなのですが、動画で女性行者さんをお見かけすると、うむ〜、みんな絶対天南星がどこかにあるでしょう、って言いたくなるような感じのムードをもってますよね。やっぱり。ですから、体力では天将星を凌ぐ彼女らの中で、自分はうまくやれる自信はないです。w でも、この世界はとても面白そうなんで、そして、住職の魅力に惹きつけられているので、また山へ行きそうな気がしています。
住職の禄存星パワーの力もきっとあって、吉野修験だけやたら、女性たちが集まっちゃうんだと思うんです。w
そんなことがあって、禄存星もちであろう、住職の魅力パワーの秘密と、その仕事アドバイスは自分の中でとても腑に落ちたんですよね。
仕事に取り組み続けたい、お金も評価もあつめたい、ならば、自分が正しく自分を愛する力をもつこと・正見に沿った自己肯定力をあげろってことですよね。なるほど、なるほど。
日本人は自己肯定感が低い民族と言われますが、そもそも、あらためて考えてみると、自分が好きなことを人にとやかく言われる筋合いってないんですよね。
自分が好きで、何がわるい。ですよね。
だから、自分を批判目線で見てしまう癖というのは、元を正せば、そう見た方が「安全」だからなんじゃないでしょうかね。w
自分好きであった時、親から否定された、批判を受けた、馬鹿にされた。だから、自分を好きじゃないふりをする方が楽になった。
だからなんじゃないのかな、と。
子供って、基本は「自分好き」です。
想像の中で、お姫様になったり、妖精になったり、話の主人公になったりします。少なくともうちの娘たちはそうですね。
だからそれが当たり前の姿なんだと思うんですよね。
それでも自分を嫌うことになるのは、たぶん環境の力が大きい。
そうそう、昔、漫画をつかって難しいことを説明したとき、自分がでてくる話で、少女漫画ふうにかいたのを見咎めたカルチャー教室の先生から、こんなことを言われたんですよ。
「ふーん、自分のこと、かわいいと思ってんだ。ふっ。」って。
「!??」
一瞬、先生の言った意味がわかんなかったんですけど、可愛く描いたことがその先生の見下しポイントだったらしくて、描いた自分としては、読む人にとっては、汚いものみるより、目にするものは綺麗なもののほうが良いので、とくに自分だけ可愛く描いたわけではないつもりです。
(というか本気で意識してたら、カッコよく描くかな。)
みなさんも、かけられたことあるんじゃないですか??
こういうセリフ、めちゃめちゃ、いやらしいですよね〜。
こんなふうにして、みなさん、育つ上で自分好きだと悪いみたいに咎められるようなことを、誰かに言われてきたと思うんですよ。
小中学校の人間関係の中でだったり、親子、兄弟のなかであったり。
そして、自分好きなことは傲慢である、ともっともらしく刷り込まれてしまった。そして、だから大人になって、自分好きなひとがそばにいると、なんかイラッとくる。
本来は人様のことなんで、関係ないんですよね。自分を慈しんでる人がそばにいても。でも、イラッとくるのは、実際は、自分が自分を愛してないからなんです。
そして、自分をきちんと愛してなければ、そりゃあ、自分のあらゆるところに不満が出てくる。能力や他人の基準に照らし合わせた欠けにこだわるようになって、そこから出られなくなってしまう。
不満に思うことはあっていいとしても、そこにずっとこだわるようになると、それは執着ですもんね。執着が多すぎると、また自分自身を自分が制限するようになる。
実際、トランプさんとか大金持ちって、めっちゃ自分好きに見えますよね。
嫌味な金持ち、って日本人受け取るかもしれません。
花の世界でも、こんなことがありました。
花の世界では、タレントの假屋崎省吾さんとか、さして花が上手いわけじゃないオカマ華道家と叩かれますが、なんだかんだいっても、フラワーデザイン業界では売れっ子ですよね。
そして花業界では、その假屋崎省吾さん、自分の顔がプリントされたトートバッグを愛用しているとの周囲の証言があり、よくフラワーデザインをやってる日本のおばちゃんたちの失笑を買っていました。
でもね、ちょっとまって。
假屋崎省吾さんが、飛び抜けた理由の一つは、自分が好きだったからなんじゃないでしょうか。そんなのみっともない、と笑ったおばちゃんたちが実際、街のカルチャー教室の先生としておさまる程度なのは、もしかしたら、彼にはやれる、それができないから、かもしれないんです。
住職の話を聞いて、私はこのエピソードを思い出しました。
そのとき、流れで私も一緒に面白い人だなぁ笑ったけど、よく考えれば、假屋崎省吾さんは自分顔のトートバッグをつかっても、なにも問題ありません。
自分が自分を好きなことは、誰にも迷惑かけていない。
そして、自分が好きだから、人にも優しくできる。禄存星さん、司禄星さんが魅力的なのは、自分を好きになれるひとだからじゃないかな、と思います。
だから自分好きということと、傲慢はイコールではない。
日本って、そのあたりの境界がはっきりしてないところから、自己否定感の強い社会ができあがってきたのかもしれないなぁ、と改めて考えさせられた次第です。
そしてね、そうはいっても自己肯定が低くて、これから自分を愛していこうと思っている人たちは、いきなり好きにはなれないかもしれない。ならトレーニングのために環境を整える必要があります。自分を否定する人たちとは付き合わない、なるべく遠ざけるってことが肝心かもしれません。
視点を、自分を好きでいてくれる人に向ける生き方にするんですね。
それを支えるためにも、住職がお話しされた、自分を喜ばす方法を自分が知っているというのは強いかもしれませんね。
そのほかにもいろいろと気づきの多かった、修験実践授業ですが、深くて長いんで、きっとそれは、スピリチュアル女子に向けて、どこかの時点で本を出すと思います。
あ、そうそう、ココナラの活動縮小してしまうかもしれません。
ココナラだと、ブログも値段設定が五百円ごとな上、手数料がめっちゃ高いので、買うひとにとってもなかなか辛いよねぇって、ことで、コスパの悪さから、まぁ前から、いろいろ方法は考えてはいたんですけどね。
個人で出すならきっとこの先、電子書籍で出すと思いますが、もし、持ち出しなしで、出版関係の方で出してくれるって人がいるのなら、ぜひ、連絡欲しいと、周りに声かけてます。w
仏教自体もまぁ楽しいんですけど、仏教に関わるひとたちもまた面白い人が多いので、こうして環境的にはなかなか忙しくて厳しい中、いまだに勉強が続いているってことは、それが自分の報酬になっているからなんでしょうね。
それを、アウトプットして満足する。
そして、住職にも言われたし、自分で語ってても思ったんですけど、ひとが自分のどこに誇りを持てばいいのか、なにをよさとして守っていけばいいのかを本人に伝えるのが私の仕事の本質だなぁ〜と言うことも、あらためて気がつけたとても有意義な修行でした。