京都スピリチュアル・ツアー

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 関東に住むプロ漫画家の友人が、今月末にアシさんたちを連れて、京都に取材旅行にくることになり、もう何年も会ってなかったこともあって、めちゃめちゃ楽しみにしています。

 彼女にユーラシアや密教土台から、情報提供をし始めることになったことで、私自身も手に入る情報とのご縁もますます深くなったみたいで、
 京都の重要なスポットで働いているような普通ではなかなか会えない人から話を聞く機会にどんどん恵まれるようになって、さらにさらに、この京都の裏がどうなっているのかというのを、外側から垣間見ることができるようになってきましたが、

京都、まっこと恐ろしい都市...

奥の奥を知るほどに、かえってだんだん公には語れなくなってきてしまいました。世界は多重層でできていますが、どこの層で生きているかで見えるもの・認識できるものが全く変わります。
 しかし、京都はくる人の意識にそって何重層ものパラレル京都を出してくるんですよ。だから、決して飽きが来ることがない。そういう意味で、姫川あゆみが、北島マヤをみて「マヤ...なんて恐ろしい子!」と呟いたように、京都の厚みに脅威を感じるのです。w

 パートナーのぴかちゅうが京都市の公式ガイド領域にいるので、協力を仰ぎ、最近は、連載で忙しいこの友人にも、できるだけ濃い京都まなび旅を持ち帰ってもらおうと、隙間隙間で紹介できそうなスポットを下見しています。
 「らしきもの」ではなく、現実にある京都の底知れない価値を全ての日本人に見直してもらうきっかけになる作品になってもらえれば。
 観光ガイドブックからは決してわからない、京都の味わい方を紹介するのが個人ガイドの仕事の本質でもありますので、ピカチュウも本気です。

 その下見の過程でたまたまお香の店に行った時のこと。
一般の観光客の40代から50代のグループが店先で顔を突き合わせてなにか相談してたんですよね。

これからどうする〜、いくとこもう、思いつかないよね〜京都駅近くの〜〜で〜〜食べよう、などと話しているのを小耳に挟んで、このひとたちが他の都市と同じような感覚で京都巡りをしていることがわかったので、一瞬、戸惑いの気持ちになりました。

 日本に詳しくない、アジアの観光客なのかな、と思ったんですけど、やっぱり日本人の中年グループです。
 その人たちの京都旅の発想が、観光客ウケを狙った外の業者の「観光客用に加工した京都らしきもの」にとどまっていることがわかったので、中年層であっても、今の日本人は京都に対して、若者グループの観光目線とほとんど変わらないことに、ちょっと驚きました。

 京都を旅する人は、「京都は、間口狭いけど、奥が深い。」
これを覚えといてください。

 おなじお香の店にはいっていても、京都にはパラレルワールドがあります。レモンの香り、とか紅茶の香り、とか、鬼滅の刃の着物柄の香たて、とかいうどこにでも売ってる土産物のお香をみてまわっているのでは、外国人と同じ教養レベルです。
 その店の隅にさりげなく、日本でも有数の大きな寺社の香の御用達看板がいくつもかかっていることに気が付かねば、京都にきた意味がないのです。

数百年以上もの歴史があり、一流に向けて本物を売っているという、この店が代々の努力で、一流のものを流通させるだけの信用を培ってきた、という、もうひとつの側面を見逃してしまうからです。
京都のどこをみているのか、がそのひとのパラレルをわけています。

 私もその店の商品をざっと見てまわったんですが、東京でも買えるような土産物が半数を占めていて、近いものはあったものの、ダイレクトに欲しいものが展示してなかったので、店員さんに声をかけてみました。
 平安を描くひとのために、平安の本物の香りを専門的に探している、と伝えると平安のお香の楽しみ方のスタイルはお売りしてますけど、平安の香りそのものについてはちょっと....ということでした。

まぁ、東京ではここで終わってしまいます。

 しかし店員さんは、具体的に源氏物語のなかの香りを引き合いに出す話から、専門的に調査していることを察すると、
「ちょっとお待ちくださいね....」と奥に引き返します。
そして、出てきたのがもっと詳しいこの店の主人らしき京都人。

 平安の時代のなんの書物に、どういうことが載っているのか、そして源氏物語に記録されている、香りというのがどういったものだったのか、その配合ブレンドが家々によって、微妙に変わってくることなど、さらさらっと教えてくださいました。そして、その香りの再現に挑戦している店の情報なども教えてくださいました。こういうのは、いまでも公家や宮家の子孫と交流がある人脈から得られる代々が培った情報でもあります。

 もう、関東の販売員レベルとは、自分の売っているものに対しての勉強量がまったく違うのですよ。
 京都には世界中からアカデミックレベルの人々が押し寄せます。
能楽なんて、日本人より外国人の方が鑑賞しにきている。
そうして、自分達の追求するものと関連づけて、京都に残る数千年の歴史の中に残っている人類の過去をたどりに教養を持ったひとたちがやってきます。
学びをつかみにきてるんです。
京都の店は、そういう人たちにも応えなくてはならない。
たとえ、店構えが小さくとも、実態は小さくない。
老舗でいるには、猛烈な勉強と研鑽がいるんですよ。

 昨年、京都のインターの、アメリカ大学卒・東京育ちの校長が、得意の流暢な日本語で、京都を田舎者の集まりのように嘲笑った時、私のなかで「こいつとはもう終わりだ。」となにかがプツンと切れた気がしたのも、私が東京人でありながら、京都のひとたちが身をきってまで、守っているものの価値やありがたさを知ってるからでした。
校長は、インド人ハーフですが、日本国籍です。
私は、ねっからの日本人です。
ともに同じ、日本国籍ですが、こいつは日本人ではない。と明確に思いました。そしてこいつに、同じ日本国籍を名乗って欲しくない、と思いました。
外国人差別は基本的に発想としてないですが、なにが日本人とそうでないのかをわけているのかが、このとき明確にわかったような気がします。

だから京都の老舗というのは、プライドが高いとか揶揄されますけど、それは当たり前で、普通の自営業者とは違い、ものを売るだけではなく、それを継承し続けること自体に意味があり、この大きな責務をだまって、祖先の思いをつなげなくてはいけないという思いで、子孫が背負っているわけです。

 そして情報伝達というものが誤解されやすいところですが、データや写真、書物だけでつたわることというのは、実際、限られています。
 その製造にかかわるひとたちが一番、言葉にならないレベルの実際を生まれ育つ経験の中に閉じ込めて知っています。もし、その伝達継承者にあたる技術者や取り扱い販売者たちが消えたら、もう、日本の歴史の過去を辿ることなどだれもできないんですよ。
 最近の歴史学者が言い始めていることは、日本の歴史が世界の歴史の始まりと大きくつながっているということ、もしかすると、日本文明自体が世界の歴史のメインストリームだったかも知れないという説です。
まだそれは、一般的にはなっていませんが、もしそれがわかってきた時には、日本文明は、そのまんま、世界を辿る元の元になります。
 それを守っているのは、京都ですから、京都が潰れたら、人類史が辿れなくなります。京都は、京都の人や営みごと、まるごと世界遺産なのです。

 記録すればいいじゃないか、後世のためにっておもうかもしれません。でも、言葉を書面にした時点で、意味が限定されてしまったりすることなんていくらでもあります。権力者によって事実を書き換えることだってできます。
 記録に残して保存しておけば良い、だけではない情報の多くが失われてしまいます。だから、生身のひとが知識を継承しつづける意味がある。

でも、日本人自身が教養レベルが低ければ、そういう世界を学ぼうとか、触れようとか、保全しようとか、そういう興味すら湧いてこないでしょう。
京都にきたから、抹茶アイスクリームを買い、風変わりな生八ツ橋を買い、和物グッズを買って、いちおう、いく先々のご利益の神社にお参りして、清水寺とか有名な史跡には行ってみて、食べ歩きしながら東山を歩いて帰る、みたいなことで、旅が終わってしまうだけなんですよね。

それって、中国人観光客と一体、何が違うんですかね。
このような、特に歴史や技術を考察しているわけでもなく、京都にきてもどこにいったらいいかがわからない、非常に浅い観光でおわっている結構年配の日本人も、今、めちゃめちゃ増えているんです。

 そういう日本社会のままでは、今京都で細々と歴史や知識や儀礼を継承している人たちは、日本から求められないので、徐々に歴史から消えていくかもしれません。アジアの植民地がそうなったように、日本という文明そのものが衰退していきます。いま、日本の一般庶民の教養レベルが、それくらい下がっているんですよ。


 先日、大学で一緒に勉強している、80歳こえる大阪のおじいちゃんと話してたときも、「日本というものが.....もう、日本人自身がわからなくなっちゃってるよね。」という言葉をいただきました。
「僕らの時は、とくに教わることがなくても親の行動様式を見ていたから、そこから日本の本質にあるものを類推することができた。でももうその生活様式を守っている親なんていないわけだから、子供が何をもとにして日本らしさというものをつかめるのか、という状況がますます広がっているよね」
といっていました。

「だからね、もう日本は滅びる寸前にいるんだと、僕はわかるんだよね。」
少子化のせいだけじゃなく、意図的に「社会」が日本が伝統的に繋いできたあらゆるものから、ソフトに日本人を引き離してきたのだと思います。

京都は京都の人たちが、ぎりぎり「日本」をまもってます。お茶の世界の人たちが「季節」を味わうことを守り、寺社が行事をまもることによって、日本古来の生活様式の外側の柱になってくれています。そしてそうした古い技術を必要とする寺社を支える仕事を通して、周辺の職人的技術も生き残りを図っています。もう、寺も神社もいらない、となった時、細々と生き残りを測ってきた継承儀礼や日本の技術も丸ごと消えるんですね。

一方、いまの関東のどこに、日本らしさが残っているのでしょうか。
正直、日本の生活様式を精神をともなったまま、ちゃんと守り暮らせるような社会なんてどこにもないんじゃないでしょうか。
 季節を味わう時間も無く、ひたすら働かされ、滅私奉公を強いられ、行事をあじわうゆとりにかける費用も出せないくらい、税金で搾り取られ、給料は上がらない。日本の精神性から、日本人を徹底的にひきはがしているじゃないですか。日本人、働かされすぎですよ!!!

 それに疑問を持たない都会育ちの日本人が、和風柄っぽい着物を着て、日本を味わったとおもう中国人観光客レベルで京都を味わうんだったら、京都に来なくても他の都市でも十分できます。

京都は、本来、観光客のためではなく、なにかを極めたい人たちの都市なんです。

 先日、平安神宮の神職のひととお話しした時、外国人観光客で何が一番困っていますかということを聞いたら、神職さんたちは

「圧倒的に中国人観光客が群を抜いてマナーが悪いですよね...彼らは、ゴミのポイ捨てをなんとも思わない。すべての神社が、多くの人たちによって清浄に保たれる努力がなされていることを理解していないんです。彼らは自分以外のものに興味がない。相手と自分を良いバランスで大事にしあう、お互い様のこころがない。」とおっしゃっていました。

「そして、文化リスペクトがなくて、奥深い文化に対する感性がそもそもひくいので、庭師が100年近くかけて守り、そだてているコケや貴重な動植物などへの配慮もなく、踏み荒らしますし、柵があってもおかまいなしで、いい写真がとれるからという理由で、自分のためだけに、柵の中に入っていきます。」
と肩を落としていました。

 でもね、柵の中にまで入っていくことはなくても、文化リスペクトが低ければ、日本人も中国人のことを悪く言えないですよ!!

 面白ければ、なんだっていい。売れればなんだっていい。
そんなことがつたわる「陰陽師ゼロ」をみて、衝撃を受けた私は、発信するひとの責務というものもあるなぁ、と改めて思ったんですよね。
 この映画は、俳優側も制作側にも、日本の文化発信という意識が薄くて、ただ、面白いエンタメを打ち上げるためのプロジェクトの実行意識しかなかったように思います。そして、若い人たちが誤解したり、日本らしきものが一人歩きして、世界にそのまま誤解が流れていってしまうこと、そして大人の日本人もそれが日本だと勘違いする大衆文化の怖さも感じました。

 本物にふくまれる味わいは、AIや機械が作ったものとは全然ちがうんだ、ということを知らないまま、若い世代が日本を誤認していく。
ほんまにやばいです。

 私の友人は、万単位の子供たちの心に、作品をとおして、数十年影響を与えてきたプロ作家です。そして、こどもたちにはできるだけ本物を伝えたい、と自らが描く作品の世界はどんな領域であっても、実際に業界に飛び込んで、弟子入り経験して、その世界の本物から話を聞いて、その知恵を受け取り、自分の作品にエンターテイメントをうまく織り交ぜながら物語化しています。

 若いうちはどうしてもプロとして認められたいから魂を売ったこともあるかもしれないから、パーフェクトじゃないけど、でも、仕事が安定するにつれて、単にたくさん売れればいい、じゃなくて、ちゃんと届けたいものをみつけ、ポリシーをもってやってきた、と彼女は言います。
きちんとした下地があり、勝手な独自路線ではないんですね。

やっぱり、彼女の作品は、とてもこころが優しくなる作品が多いです。
センセーショナルな過激さで売る漫画とは違います。
 彼女が平安を描きたいと考えてから、ひょんなことから私と再度接点ができて、お互いに驚いていたんですが、彼女のガイドは、その世界を専門特化すぎずに一般生活レベルにおとして語れる私を、彼女に京都を伝える適任として、繋いできたんだと思うんですよね。

 だからそれに応えて、今度取材旅行に来た時に、こっちも本当の平安・京都の重要スポットを巡る体験に連れていきたいと思っていて、自分の知識の下地を活かして、友人のためのスピリチュアル・ツアーを組んでるところなんです。本当の願掛けがきかれる京都最大のパワースポットに連れて行く!
 彼女の作品が大ヒットしたら、私のたてたスピリチュアルな仮説が「実証」されたと思ってください。w

 金峯山寺の住職が特別に目の前で見せてくれたんですけど、本物の修験者が結界を張るプロセスとか口上とか、実際の修験者、めちゃくちゃかっこいいですよ。ゲーム的な発想のCG映画とは全然、質が違いますよ。音や光なんかまぶさなくても、断然そっちのほうが迫力があるしね。
 京都在住だからこそ、得られるそういう資料も彼女には送ってますので作品の中で活かしてくれると思います。

世界中の子供たちに、少しでも京都の本物・日本を発信して欲しいです。
 ピカチュウのサイドの仕事は、外国人に日本を知ってもらうための文化ツアーですけど、これからの京都では、個人ガイドを雇って、日本人自身が日本人のための文化ツアーを体験するのが当たり前の時代がくるような気もしています。

そんときは、私、語る、語る、京都の奥深きスピリチュアル世界を、神職以上に、めっちゃ語るとおもいますね。わたし朱雀型ですからね。
 京都は、どんな切り口をもつか、によって、いくらでも応えてくれるものがあるんですよ。人生で知りたいなにかを持っている人たちには、非常に面白い都市です。教養をつける、ということは、自分の人生の判断を微妙に変えて行くことですから、パラレルワールドの次元を変えて行くことでもあります。
学ぶことで、意識が変われば、生きる未来の次元も違います。

 逆に、しっかり学ばなければ、同じところを堂々巡りです。
 最初定着しなくても、自分の意識の要素の中に、次元の高い意識がちょっとでもうまれたときにはじめて、それが基になって、共振する波動が引き寄せられ、そこに見合った高次元の波動がやっと飛び込んでくるようになるんですよ。そこで初めて現実が変わる。

 今の自分は理解できるレベルにないし、本質がわからないけれども、高い波動を帯びる芸術品に触れたり、知恵者と触れ合えば、自分の中にその意図がある限り、波動転写はちゃんとおきてきます。
そういうことをちょっとづつ繰り返すことで、自分の生きるパラレルを人は瞬間移動しているのです。朱に交われば赤くなるように。

何を見るか、何を読むか、何を味わうか、日々のその選択が未来を決めています。だから発信する人も、発信媒体を自分の掃溜めにしてはならない。波長に責任感がある程度、必要なんだと思います。
その素材を提供するわけなので、いいものを提供したい。

 とりあえずは、友人の作品がアニメ化の2作めになるように、呪の検証のためにも、一緒に京都の要所に願掛け行ってきます。

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