「センスがない」には、まだ早い?デザインを18年つづけて思うこと。

「センスがない」には、まだ早い?デザインを18年つづけて思うこと。

記事
デザイン・イラスト
デザイナーになったばかりのアシスタントだった頃、
スナック菓子のパッケージの提案で、
「中身をいい感じにバラバラに並べる」という仕事を頼まれました。
揃えると「キレイすぎる」。
崩すと「バラバラすぎる」。
「もう少し自然に」と言われても、その自然がわからない。
いや、わかんねーよ。と。
「先輩の指示が悪いんじゃないですかね?」
「感覚的すぎて伝えることを放棄してませんかね?」
たぶん、内心そんなことを思っていました。
我ながらバチ当たりなアシスタントでしたね。。。

あれから18年。

今も「センスってなんなんだろう」と聞かれると、ちゃんと説明できる自信はありません。
ただ、少なくとも当時の僕が思っていたような、
頭の中から突然キラキラしたものが出てくる能力ではなかったんだろうな、とは思っています。
いま僕がデザイナーをできていたり副業で先生ができているのは、
キラキラした才能というより、おびただしい量の失敗を積み重ねてきたからです。

スナック菓子を、うまく散らせない。。。

専門学校を卒業してデザインの仕事を始めた頃、
僕は「デザイナーにはセンスが必要なんだ!」と思っていました。
学校では、実践的なことばかりを教えてもらいました。
Photoshopはこう使う。文字はこう置く。写真はこう加工する。
今思えば本当に最低限の操作を習っていたにすぎないですね。

料理で言ったら、
包丁という道具があるよ!包丁は物を切るためのものだよ!鍋では煮ることができるし、フライパンでは炒めることができるよ!
そんな基本的ことを教わっただけの状態で、
「じゃあ冷蔵庫にある材料で炒め物を作ってみましょう!」
くらいのテンションで実践に移っていきました。
先生に作ったものを見せると、
「もう少し大きい方がいいんじゃない」
「緑より水色の方がいいかもね」
みたいなことを言われて、それを直す。
修正の理由も説明してくれていたのかもしれないけど、当時の僕にはかなりふわっとした「感想」に聞こえていました。
「これでいい!」
という確信のないまま、何度かキャッチボールをして完成する。
そしてまた違う炒め物を作る。
人によって30点だったり、60点だったり、90点だったりするものが、そのまま出荷されていく。
ちょっと言い方は悪いですけど、学校での課題はそんな感じでした。

それで実際にデザイン会社に入ってみると、急に話が細かくなったんですよね。
色の組み合わせだけでいくつかパターンを作ってみる。
見出しのサイズを変えて、どのくらいの差がちょうどいいのか検証する。
余白をルールを設定したうえで調整する。
色を3%くらいずつ変えて並べてみる。
当時の僕からすると、
「そこまでやるの?」
の連続でした。

そのとき僕に任されたのは、
スナック菓子のパッケージの商品ロゴのうしろに、中身のスナックがランダムに配置されている素材作りの仕事です。
ただ、それだけ。
パッケージのレイアウトでもなくパーツのひとつを作る仕事。

でも、できない。

何回作ってみてもらってもOKがもらえない。
僕が並べると「整列」してしまう。
「わざとっぽい」
「揃いすぎてる」
「キレイすぎる」
と言われる。
じゃあ!と思って適当に崩すと、
「まとまりがない」
「バラバラすぎる」
「キレイに見えない」
と言われる。

だから、
「もう少し自然に」と言われても、その自然がわからない。
いや、わかんねーよ。と。
「いい感じってなんなんだよ!?」
「先輩の指示が悪いんじゃないですかね!!?」
「伝えることを放棄してませんかね!!!?」
たぶん、内心そんなことを思っていました。
我ながらバチ当たりなアシスタントでしたね。。。

なので最初の頃は、本物のお菓子を買ってきて、机の上に紙を敷いて、そこに実際にバラバラっと撒いてみたり。
それを写真に撮って、その位置を参考にして画面に配置する。
我ながらいいアイデアだと思います。
わからないなら、観察すればいい。
我ながらいい視点だと思います。
まあうまくいかなかったのですが。。。

結局、その仕事は最後に先輩に引き取られて、かなり直してもらった記憶があります。
悲しかったし、悔しかったし、情けなかった。
当時の僕は、「センスのあるデザイナーなら頭の中で自然な配置を一発で思いつくんだろうな」と思っていました。
なので、
「僕にはセンスがないのかもしれない」
そう思うには、十分な出来事でした。

「これがセンスか」と思っていた

当時在籍していたのは美大出身のデザイナーしかいないデザイン制作会社でした。
この辺りの話は以前の記事でも書いたので詳しくは省きますが、僕より年次が下のデザイナーたちが、自分よりずっとセンスのあるデザイナーに見えました。
デザインがうまい。
案の幅も広い。
言葉にするのもうまい。
当然絵もめちゃめちゃうまい。
僕からすると、
「こりゃ育ちが違うわ」
という感じでした。
特に覚えているのが、新卒のデザイナーが作っていた短いコマアニメです。
女の子が街を歩いて、カフェラテを飲んで、おいしい、みたいな本当に短いもの。
でも、その女の子が「ウキウキ歩いている」という感じが、シンプルな線からちゃんと伝わってくるんですよね。
歩いている時の重さとか、弾み方とか、身体の動きとか。
見れば、
「あ、この人楽しそうだな」
と感じる。
当時の僕からすると、
「これがセンスか」
という感じでした。
僕が頑張って線を描いたら、たぶん普通に「歩いている人」になる。
その人が描くと「ウキウキ歩いている人」になる。
何が違うのかわからない。
しかもその子はコマアニメを初めて作ると言っていました。
「これがセンスか」と思わざるを得ませんでした。

「センス」を持っている。って?

今考えると、センスと呼んでいるものって「持ってる」とか「持っていない」とか、そんな簡単なものではないんですよね。
小さい頃から絵を描いていた人なら、
硬いものをどう描けば硬そうに見えるんだろう。
ふわふわしたものは、どう表現すればふわふわして見えるんだろう。
身体が動いてるように見えるにはどう描くんだろう。
どんな角度から描くと迫力が出るんだろう。
そういうことを、僕とは比べものにならないくらいの時間
見て、観察して、考えて、描いてきている。
本人が全部意識していたのかはわかりません。

でも、僕が「センス」というひとことで見ていたものの中には、途方もない量の観察と試行錯誤が入っていたんだと思います。

「かっこいいと思った」では土俵にも立てなかった

もうひとつ、当時かなり差を感じたのが、言葉でした。
僕は本当にデザインの説明ができなかった。
例えば、女性向けのナイトケア商品のデザインを作ったとします。
当時の僕は
「寝る前にいい時間が過ごせそうな感じにデザインしました。」
みたいなことを言っていたと思います。
でも周りのデザイナーは、
「夜のゆったりした時間に使う商品なので、くつろぎや余韻を感じられるような表現にしました。」
みたいなことを普通に言っていました。
同じようなことを言っているようで、全然違う。
「デザインの説明ってそうやってするんだ」
と思いました。

またあるとき、上司に自分のデザインを説明したら、
「何言ってるか全然わからない」
みたいなことを言われたことがあります。
「かっこいいといいと思ったから、かっこいいを作ったつもりです。なんて言えばいいですかね、かっこいいと今回はいいと思ったんです」
みたいな。早口言葉みたいですね。
誇張ではなく当時の僕は「デザインの説明」を求められたらそんな感じに答えていたと思います。
デザイナーじゃない人でももっと具体的な言葉が出てくると思うのですが。。。お恥ずかしい。

そんなことがあって「さすがにこの言葉の表現力ではまずいんじゃないか?」とデザインの本だけではなく、話し方の本や、伝えるための技術について書かれた本も読むようになりました。
読んで、やってみて、またその上司に説明して実践してみる。
何回か繰り返しているうちに、「何言ってるかわからない」と言われなくなった。
そのときに、
「ちょっと説明ができるようになってきたかもしれない」
と感じたのを覚えています。
デザインをするために、デザイン以外の勉強をしている。
当時は少し変な感じがしました。
でも今は、「デザイナー」に必要な能力ってデザイン以外に100個くらいあるんじゃないかと思っています。

キレイに作れるだけではダメだった

僕の場合、技術は比較的先に身につきました。
Photoshopが好きだった。
見た目は整えられる。
「こういうのを作って」と言われれば、技術的には大抵なんとかできる。
でも、
「見た目を作れる」
と、
「依頼に対して的確なものを作れる」
は、全然違いました。
昔、女性向けのボディクリームのパッケージを作ったことがあります。
香りが特徴の商品で、お客さんからも水彩っぽい柔らかい参考が出ていた。
たぶん、香る感じとか柔らかさとか、そういうものが求められていたんだと思います。
でも当時の僕は、スタイリッシュでかっこいいものが好きだった。
だから、そっちに持っていってしまった。
見た目としては、それなりにキレイだったと思います。
でも、自分でもどこか違和感がある。
そのまま上司に見せたら、
「今回、これでいいんだっけ?」
と言われました。
そりゃそうだよな、と。いまでは思います。

自分が激辛料理が好きだからといって、お客さんも激辛料理が好きだとは限らないですよね。
当たり前の話なんですけど。
若い頃は、意外とこれをやってしまっていました。
自分が好きなもの。
自分が作れるもの。
自分が「かっこいい」と思うもの。
そこに依頼を引っ張ってきてしまう。
得意な土俵に持ち込んでいいときもあると思います。
でも、持ち込んではいけないときもある。
相手が食べたいものをちゃんと作れる。
今の僕は、それができないといいデザイナーではないと思っています。

いいデザイナーって、何なんだろう

デザインを始めたばかりの頃の僕は、
キレイなものを作れる人。
かっこいいものを作れる人。
そういう人が、いいデザイナーなんだと思っていました。
今は少し違います。
僕が今、「この人、いいデザイナーだな」と感じるのは、
まずヒアリングが上手な人です。
お客さんが何を作りたいのか。
誰に届けたいのか。
何を大事にしているのか。
お客さんが言葉にできていないものを、会話の中から拾っていく。
「今回の商品って、こういう存在なんじゃないですか」
「ということは、こういう考え方もあるんじゃないですか」
「だとしら、こう見えた方がいいんじゃないですか」
みたいに、どんどん話を引き出していく。
商品やブランド自体がまだふわふわしているなら、
「この商品はこういうものだから、こうあるべきなんじゃないでしょうか」
という柱を立ててあげる。
そして、それをちゃんと形にする。
僕は、そういう人を見ると「いいデザイナーだな」と思います。

もちろん、キレイなものを作れることも大事です。
でも、それだけではない。
聞く力。
言葉にする力。
先回りする力。
参考を探す力。
見せる力。
仕事と自分の好みを切り分ける力。
その商品がどうあるべきか考える力。
細かく分けると、本当にいろいろある。

昔の僕は、その中でも一番目立つ「キレイに作る力」を見て、
それを丸ごと「センス」と呼んでいたのかもしれません。
でもデザイナーの仕事には、山がひとつしかないわけじゃなかった。
それに気づいてから、「自分にセンスがあるか、ないか」は、昔ほど気にならなくなりました。

同じパスタでも、ちょっとおいしく見えるのは?

見せ方も、デザイナーの力のひとつだと思います。
同じ味のパスタでも、100円ショップのプラスチック皿に盛って出すのと、
表参道のおしゃれなレストランで、大きなお皿の真ん中に少しだけ盛られているのでは、期待が違います。
皿のフチが幅広くて、ソースが少し添えてあって、スパイスがぱらっと散らされている。
水だって普通のプラスチックのコップではなくて、ワイングラスみたいなものに入っている。
ピッチャーではなくワインボトルだったであろうボトルに入れてある。
味とは関係ない要素が違うだけなのに、なんだかおいしそうに見えますよね。

デザインの提案も似ています。

ただ作ったデザインをスライドに貼って見せるのか。
実際の看板やパッケージに入った状態まで作って見せるのか。
提案資料そのものをキレイに作る人もいる。
そういうものまで含めて、
「どう見られるか」
を考えている。
場合によっては、自分自身の見られ方まで含まれると思います。
服屋さんに行って、Tシャツの襟がヨレヨレで、スニーカーもボロボロの店員さんから、
「これ、お客さんに似合いますよ」
と言われても、ちょっと説得力が弱い。
別にデザイナー全員がおしゃれであるべき、という話ではないです。
ただ人って、そういう周辺の情報からも判断するよね、というだけです。
作品そのもの以外にも、説得力をつくっているものがたくさんある。
それも先輩たちの仕事を見ながら知りました。

たぶん、失敗の数が多いから

じゃあ今の僕に、センスがあるのか。
そう聞かれると、正直よくわかりません。
少なくとも、デザイナーになる前に僕が想像していたような、
考えなくても手が動いて、美しいものが生まれる。
頭の中に突然インスピレーションが降りてくる。
そんなキラキラしたものは、僕にはあまりないと思っています。
僕が持っているのは、もっと地味な経験からくるものです。
たぶん、失敗の数が多いんですよね。

「これはやるとうまくいかない」
という経験を、ひと一倍多く持っています。
こっちの道は前に行った。
その先に崖があるのも知っている。
これは前にズレた。
ここは確認せず進めて痛い目を見た。
この見せ方だと伝わらなかった。
このくらいで完成だと思って出したら、全然詰めが足りなかった。
そういう経験が、たくさんある。
失敗する方法をたくさん知っているから、失敗しない道を選びやすい。
一見「インスピレーションが降りてくる」ように見えるかもしれません。
ですが僕の場合のデザインの「センス」と呼ばれるものは失敗の経験からくるものだと思っています。

もちろん、失敗から覚える人だけではありません。
正解をたくさん見て、正解をたくさん作って、そこから身につける人もいる。
タイプはいろいろです。
ただ、外から「センス」に見えているものの裏には、何かしらの蓄積があるんじゃないかなと思っています。

センスがある人ほど、めちゃくちゃ作っていた!?

昔、一緒に仕事をしたデザイナーで、
「この人、センスあるな」
と僕から見て思う人がいました。
名前で指名されるような人です。
さぞセンスがあるんだろうな。
目を閉じて顎に手を当ててうんうんうなづいて、
そんなことをしているうちにアイデアが降りてくるんだろうな。と。

実際その人の仕事を横で見たときに、ちょっと驚きました。
全然、一発で作っていない。
提出するのは3案だったと思います。
でも、その3案を作る前に、本人とアシスタントと3人で手分けして何日も資料を集めていました。
競合商品だけではなく、海外の商品やそのターゲットが好きそうなものだったり、いろんなものを集める。
そこから、
A案、B案、C案、
どころではなく、AからZくらいまで方向性を考える。
手描きのラフを作って、アシスタントと一緒に形にする。
作って、絞る。
また作る。
また絞る。
細かい数までは覚えていないですが、大袈裟ではなくて本当に100案近く作っていたんじゃないかなと思います。
僕たちがお店で見るのは、その3案のなかから選ばれ、
さらに作って絞って磨きあげた1案だけです。
だから、一見
「こんなの思いつくなんて、さすがセンスあるな」
になる。
でも、その3案になるまでに、ものすごい量を作っている。
塩を作るみたいに、煮詰めて、濃くして、最後に結晶だけを残していく。
センスの塊だと思っていた人は、実際はそういう仕事の仕方をしていました。
それを横で見てから、僕は「センス」という言葉を、昔ほど神秘的なものとして見なくなった気がします。

3ヶ月、3枚で決めるには早い

副業でデザイン相談をしていると、
「私、デザインのセンスがないんです。うまくデザインできないんです。」
と言われることがあります。
かなりよく聞く言葉です。

そういうとき、僕はまずこんなふうなことを聞きます。
「デザインを始めてどのくらいですか?」
「完成させたものって、何点くらいありますか?」
すると、
「3ヶ月です」
とか、
「いままでにバナーを3枚作りました」
みたいな返事が返ってくることがある。

それを聞くと、
「できないのもおかしくないんじゃないかな」
と思います。
卵焼きだって、初めからキレイに作れないじゃないですか。
たまたま最初の1回でうまくできることはあるかもしれない。
でも、10回連続で同じように作れますか、となると別の話です。
卵を割るだけでも、最初は殻が入ったりする。
テニスだって、初めてラケットを持った日に、自分が狙ったところへ、狙った強さで何度も返せる人はそんなにいないと思います。
何日も打って、繰り返して少しずつ身体で覚えていく。
デザインだけ、
「初めて作ったけどうまくできなかった。私はセンスがない」
となるのは、ちょっと判定が早すぎるんじゃないかなと思います。

僕自身、最初の3年くらいは、
「今回はたまたまうまくいったな」
ということが結構ありました。
毎回安定して、自分なりの合格点まで持っていける感覚は、もっと後です。
僕のレベルが上がるのが遅かったという自覚もありますが。。。
でも、毎日何時間も仕事として向き合ったのにそれくらいかかってしまった。

仕事から帰ってきて2時間かけて頑張ってバナーを作った人が、
「デザインが全然うまくできない」
と言っていたら、
いや、その2時間を作っただけでもすごいですよ!と素直に思います。
大人って時間ないですからね。。。
仕事もあるし、家のこともある。
ご飯も食べなきゃいけないし、お風呂に入らなきゃいけない、明日も朝早い。
趣味だってやりたい。
そんな中で2時間使って、人生で初めてやることをしている。
そりゃ大変ですよ。
でも大変だからといって、すぐできるようになるとは思わない方がいいかもしれません。

カレーだって、最初は時間がかかる

カレーって、簡単な料理の代表みたいに言われるますけど、初めて作る人からすると結構大変です。ルーでつくるタイプのことですのであしからず。
スーパーに行って、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、肉とルーを買う。
お米もいる。
4人前だと玉ねぎは何個必要なんだ?といちいちルーの箱を確認する。
やっとこさ買ってきたら今度は調理。
じゃがいもって、ごつごつしてるけどどうやって皮をむくんだ?
芽は取るのか?
玉ねぎはどこまでむけばいいんだ?
「くし切り」ってなんだ?
「ひと口大」って、誰の一口なんだ?
米を研ぐって、何回水を替えるんだ?
ひとつひとつ調べながら作っていたら、「30分で完成」なんて書かれていても全然無理かもしれない。
でも何回か作っていると、
野菜の個数だってだいたい。
調理するにも調べなくていいことが増えていく。
玉ねぎを先にレンジで温めておくと水気が飛んで早く飴色になる、とか。
自分はじゃがいも小さめが好きだな、とか。
前回焦がしたから、今回は火を弱めでじっくりにしよう、とか。
そうやって、カレーを作るというひとつの行為が少しずつ洗練されていく。

デザインも、たぶん似ています。

男性向けのかっこいいものを作る。
女性向けの化粧品を作る。
子ども向けのカラフルで楽しいものを作る。
学校案内みたいな真面目なものを作る。
最初はバラバラだった経験が、あるときからつながってくる。
「こういうときは、こうするといい」
が増えていく。
本で読んで知っていたことが、
「ああ、これのことか」
と実感に変わる。
それを何回も繰り返して、ようやく「デザインができる」に近づいていった気がします。

「いい参考」を持ってきているのに

相談を受けていると、もうひとつよくあることがあります。
参考にしているデザイン自体は、すごくいい。
でも、完成したものを見ると、その参考の良さが入っていない。
余白がいい参考なのか。
文字の強弱がいいのか。
背景と文字のコントラストがいいのか。
情報の整理がいいのか。
そこを本人が言葉にできていないから、「いいと思ったもの」を自分のデザインに持ってこれない。

これは僕自身もそうでした。
だから、
「なんでこのデザイン、いいと思ったんだろう」
を考える。
「かっこいい」
で止めない。
なんでかっこいいんだろう。
色?
文字?
光?
背景?
余白?
もっと言えば、自分が何を表現したくて、その参考の何が自分の仮説に近いのか。
そこまで考えられるようになると、参考の見方がかなり変わります。

言葉を知らないと、うまく表現ができないですよね。
「かっこいい」ということだって
スマート。
美しい。
洗練されている。
雰囲気がある。
凛としている。
潔い。
繊細。
とか。いろいろ表現があると思います。

そういう言葉を知っていくことで、今まで「なんかいい」で終わっていたものを少しずつ分解できるようになる。
昔の僕が「いい感じってなんだよ」と思っていたものも、今なら少しは説明できます。

先輩が頭の中に住み始める

僕が自分で合格点まで持っていけるようになったな、と感じ始めたのは、自分の責任で最後まで納品するようになってからだった気がします。
それまでは上司がいました。
自分で60点くらいまで作って、
「まあ、1回先輩に見てもらうか」
ができる。
それ自体は悪いことではありません。
むしろアシスタントなら、早く見てもらった方がいいときもある。
自分では60点だと思っていても、先輩からしたら30点かもしれない、
60点を80点にするのに2時間粘っても
先輩からしたら35点かもしれない、
それだったら2時間粘るより早めに聞いた方がお互いにとっていいこともありますよね。
ただ、その考えを言い訳にして僕はかなり先輩に甘えていたと思います。

最後の詰めを、
「まあ、直してもらえばいいか」
にしていた。
それが、自分ひとりでお客さんに出すようになると、急に逃げ道がなくなります。
「このまま出していいのかな?」
と不安なる。
すると、
「あの先輩なら、ここなんて言うかな」
「前にこういうとき、何を直されたっけ」
と考えるようになる。
不思議なもので、先輩たちがだんだん頭の中に住み始めるんですよね。。。

伝えたいものがちゃんと大きいか。
関係あるものがちゃんと近くにあるか。
同じ属性のものに、同じルールが使われているか。
かなり地味です。
でも、なんかうまくいってないときって、そこを直すだけで結構よくなったりします。
18年やって結局、
「揃えるだけでもキレイにみえるんですよね」
みたいなことを言っている。
地味な話かもしれません。
でも、デザインをよくするってそんなものなのかもしれません。

センスって、地味なものかも

「センスは知識からはじまる」という名著があります。
くまモンをつくった水野学さんの書いた本です。
僕も、その本に書かれていることにかなり考え方が近いです。
(畏れ多いですが;)
センスって、生まれたときからその人の頭の中に入っている何か、というより
見たもの。
考えたもの。
作ったもの。
うまくいったもの。
失敗したもの。
人から言われたこと。
本で読んだこと。
自分なりに解釈したこと。
そういうものをつなぎ合わせて、その時により良さそうなものを選ぶ力なんじゃないかなと思っています。

もちろん、生まれ持った差はない、とは言いません。
育つ環境だって違うし、身体能力だって違う。
トップオブトップの世界に行けば、僕にはわからないような差も存在しているんだと思いますが。
漫画で言えば、「鬼滅の刃」とか「HUNTER × HUNTER」みたいに、ものすごく多くの人の心を掴む作品を作る人を見ると、
「何かあるよな」
とは思います。
でも、漫画家って、その2人だけではないですよね。
デザイナーも同じです。
世の中にデザイナーって何万人いるんだ、という話です。
全員が全員、子どもの頃から「この子には特別な才能があります」と言われてきた人たちなのか。
たぶん、そうではない。
少なくとも、僕の周りにいる、現場で仕事をして、お客さんに必要とされているデザイナーたちを見ていると、そう思います。
もちろん、僕自身が見えている範囲の話ですが。
名前だけで仕事が来るような、トップのクリエイティブディレクターには、僕の見えていない世界があると思います。
でも、18年現場にいて僕に見えている範囲では、
「センスがないから無理」
とそんなに簡単に決めなくてもいいんじゃないかな、と思います。

じゃあ、誰でもなれるのか

ここまで書くと、
「じゃあ回数をこなせば誰でもいいデザイナーになれるんですね」
となりそうですが、僕はそこまで単純には思っていません。
ただ作ればいい、という話でもない。
1回作ったら、
なんでうまくいったんだろう。
なんでダメだったんだろう。
なぜお客さんはここを気にしたんだろう。
何を見落としたんだろう。
次はどうすればいいんだろう。
そうやって咀嚼することが必要だと思います。

デザインは、自分だけで正解を決めるものでもない。
お客さんがいる。
買う人がいる。
使う人がいる。
人から評価されて初めてわかることも多い。
だから、作った回数と同じくらい、
「考えた回数」
も大事なんだと思います。
そして、そのためには、やっぱり多少「楽しい」とか「好き」が必要なんじゃないかなと思います。

失敗するのって普通に嫌じゃないですか。
お客さんにボツにされたら落ち込む。
先輩に全直しされれば悔しい。
僕も不貞腐れていました。
でも、その中に少しでも、
「へえ、そういうことあるんだ」
「なんでなんだろう」
「次はこうしてみよう」
が見つけられる人は、続くと思います。

続くと、
作る回数が増える。
考える回数が増える。
失敗も増える。
成功も増える。
結果として、少しずつうまくなる。
結局、「楽しい」とか「好き」大事なのかもしれません。

あのころの僕にひとこと

もし、スナック菓子をうまく散らせなくて、先輩に全直しされていたころの僕に声をかけるなら、
「不貞腐れるなよ」
ですかね。
初めてなんだから、できるわけないじゃない。
仕方ないよ、と。
あと、
先輩の指示は間違ってないよ。
君に「いい感じ」を実行するだけの経験と観察力が足りないだけだよ。
とも言いたい。先輩のせいにしてはいけない。バチが当たるよ。
コンビニに行けば、いくらでも参考が並んでいるぞ、と。

たぶん当時の僕は、
「センスがある人は、何も見なくてもできる」
と思っていたんでしょうね。
でも今の僕は、かなり見ます。
調べます。
比べます。
観察します。
考えます。
失敗したものも思い出します。
そのうえで作ります。

それが傍から見たら、
「18年やってるだけあって、センスありますね」
に見えることもあるのかもしれません。
でも僕の中では、そんなにキラキラしたものではないんですよね。
失敗したことを覚えているだけだったりする。
前に怒られたから、今回は先に確認しておこう、とか。
前回ズレたから、今回はもう1回ターゲットを確認しよう、とか。
このまま出したら先輩なら何て言うかな、とか。
そういう小さいものが、かなりの量、頭の中に入っている。
それを「センス」と呼ぶなら、
まあ、少しはあるのかもしれません。
でも、デザイナーになる前に僕が想像していたものとは、だいぶ違いました。

「センスがない」には、まだ早い

だから今、
「自分にはセンスがない気がする」
と思っている人がいたら、
3ヶ月なのか。
3年なのか。
何枚作ったのか。
何回人に見せたのか。
何回失敗したのか。
何回、「なんでだろう」と考えたのか。
そのあたりを一度考えてみてもいいかもしれません。

僕みたいに、スナック菓子を自然に散らすことすらできなかった人間でも、一応18年デザイナーをやっています。
副業では、デザインの相談も1,500件以上受けるようになりました。
なので、
「あれ、この人、思っていたより全然「センスのあるデザイナー」じゃないんだな」
くらいに思ってくれても、全然かまいません。

「じゃあわたしも、もうちょっとやってみようかな」
と思ってもらえたら、その方がうれしいです。
少なくとも僕は、スナック菓子をうまく散らせなかったあの頃に「センスがない」と決めなくてよかった。

だから、今そう思っている人も。
決めるには、まだちょっと早いんじゃないかな?と思います。



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