平日の夜、終わりの見えないチャットのやり取り。
相手の冷たい態度や不毛な衝突に「もうこの関係は限界だ」と頭では分かっているのに、なぜか自分から関係を断ち切れない。
「今まであんなにも困難があっても一緒にやってきたのに……」と、泥沼化した状況に足を取られたまま、身悶えするようにエネルギーを吸い取られ続けていませんか?
この「最低な条件のはずなのに変えられない」という息苦しい現象は、あなたの意志が弱いからでも、性格のせいでもありません。すべては「構造と脳のバグ(システムエラー)」によって引き起こされています。
1.スパルタの成り立ちとペルシャ戦争の影
古代ギリシャの壮絶な歴史から、人間の終わらない執着のメカニズムを見てみましょう。
アテネとスパルタは、かつてペルシャ戦争(紀元前492年〜紀元前449年、約50年間にわたる戦い)という巨大な外敵を前に手を取り合っていました。
しかし、その脅威が去った後、今度は「どちらがギリシャの覇権を握るか」を巡って激突。これがペロポネソス戦争(紀元前431年〜紀元前404年、約27年間にわたる総力戦)です。
特にスパルタは、征服によって軍事的に勢力を拡大した国家で市民の10倍の奴隷数(ヘロタイ)によるしばしばの反乱の恐怖から、市民全員を生まれたときから軍事パーツとしてガチガチに管理する特殊な成り立ちを持っていました。
(アテネが2/3の奴隷数)
現代風にいうとギャングのような組織図で、王すら暴走しないように二王制という特殊な統治体制で、徹底的な個人の抑制、究極の平等をベースとしていました。これは近代でいえば共産主義的側面でペロポネソス戦争は東西冷戦ともいえる体制的対立構図です。
2.アテネのシケリア遠征という引き返せない泥沼
戦争の中盤、圧倒的な富と食料を求め、かつスパルタの補給路を断つため、アテネは本拠地から遠く離れたシケリア(現在のイタリア・シチリア島)への遠征を企てました。
アテネからシチリアの主要都市シュラクサイまでの直線距離は約800〜900kmに及びます。
当時の主な移動手段であった三段櫂船などの軍船では、沿岸を縫うように数日から1週間以上、大艦隊の移動や補給・天候待ちを含めれば到達に数週間から1ヶ月以上もかかる過酷な道のりでした。
本来なら途中で不利とみて撤退すべき局面であったにもかかわらず、アテネ軍は「ここまで多くの兵士と戦費を失ったのだから、今引き下がったら今までの犠牲が無駄になる」という執着に囚われました。
その結果、全盛期のアテネはシケリアで軍を壊滅させ、滅亡への道を歩むことになりました。
かつての巨大な国家や優秀な都市ですら、歴史の渦中で「ここまで投資したのだから引き下がれない」という罠に囚われ、共倒れへの道を歩んでしまいました。
この「歴史の巨大なエラー」は、私たちが日常の人間関係や恋愛、仕事の腐れ縁でやってしまう行動と完全に一致しています。
なぜ人間の脳は、これほどまでに合理的な損切りができないのでしょうか?
その謎を解き明かす鍵が、行動経済学に隠されています。
次回の経済学編では、この「引き返せない心理」の正体に迫っていきます。
※歴史の雑学:
アテネは約2,500平方キロメートル(現代の東京都とほぼ同じくらいの面積)。総人口は約15万〜25万人
スパルタは約8,500平方キロメートル(現代の静岡県東部〜中部くらい)。
人口規模: 総人口は約15万〜20万人。
対してアケメネス朝ペルシャ(当時の超大国)は
領地の広さ: 現在のイラン、イラク、トルコ、エジプト、中東全域からインダス川(インド西部)にまで及ぶ、地中海世界からアジアをまたにかける超巨大帝国。
人口規模: 推定で数千万単位(当時の世界人口の数分の一を占める圧倒的な規模)。
巨人相手に小人同士が戦いを挑むような構図です。
またスパルタについて
アテネと同じく男性は30歳で家庭をもつ一人前になるわけですが内容が全く異なります
アテネ:7歳で学校へいき、文学・音楽・体育を学ぶ
スパルタ:7歳で親元を離れ集団生活開始、12歳で兵士としての訓練開始
というくらい違います。
また結婚自体は20歳くらいでしますが、さっそく妻と別居し完全に軍人として主力になっていきます。
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