浮気がバレてなお、婚姻関係を維持できるか否かは、<自分の普段の行い × 相手の度量>の相乗効果だと思う。いわゆるシナジー。そして浮気に至る原因を手繰ると、日常の夫婦関係における積み重ねとも言えるのではないだろうか?
ただの女好き・男好きと言うこともあり得るが、ただの身勝手かもしれないし、相手への愛情の注ぎ方や示し方に問題があるかもしれない。いずれか一方に原因があるかもしれないが、ターニングポイントとなった蓄積はお互いに問題がある場合も多いにあり得るわけですな。
そもそも、なぜこんな書き出しになったのか・・・タイトルから導き出される導入を必死に考えていたら「浮気」と言うワードが天空から舞い降りてきて、キーボードを叩く私の指を動かしたのです。不思議なこともあるもんだ。
さてさて。
人間誰しも失敗をしがちです。
しかし、失敗から学び大きく成長できるのもまた事実です。
そして、失敗したら迷惑をかけた人に謝る。
これまた人としての道理であり、大切なことです。
しかし、謝ればなんでもOKってわけじゃないんですけど。
なんか、謝罪することが反省だと勘違いしている人もいます。
と言いたくなります。
そもそも謝罪とは「反省の気持ちを表す」ためのものではありますが、コミュニケーションツールとしての役割しかないと思います。相手の気持ちを落ち着かせたり、話を聞いてもらう糸口にしたり。しかし、ただそれだけです。
本来の反省とは「相手が納得できる状態」にまで持っていくことです。そのためには、
◉ 何が問題だったか?(理解度の提示)
◉ なぜこうなったか?(理由説明)
◉ 繰り返さないためには?(改善案の提示)
ではないでしょうか?
論理的に考えれば当然のことですが、感情で生きている人はなかなかこの思考に辿り着かないんですよね。
反省とは<自己の過去の言動についての可否、善悪などを考えること。自分の行為をかえりみること>と辞書にある通り、省みて次に活かすプロセスです。
謝っているだけでは過去を振り返って次に生かすことはできません。問題点を逃げずに直視して、その原因の行動や発言を振り返り、次に起こさないようにどう行動するか?を自分に問いかけて初めて反省に行き着きます。
そして、それを行動に移して実践することが本当の反省であり、周囲にその熱量や思いが伝わるってもんです。
ちなみに、反省を促す立場(要は怒ってる側)の人も、感情的にヒステリックに相手を責め立てるのも違います。それでは相手が萎縮してしまって、本来の反省を引き出すことができません。
(例:悪さをした子供に対して感情の赴くままに怒り、子供が謝ることしかできないシーン)
相手に考えさせて、振り返る余地を与えて、繰り返さないようにするために考えさせる。そのためには、相手が嘘をつかずに答えられるような問いかけ方、事実を述べられるようなアプローチが効果的です。いわば環境づくりですね。
『嘘をつくのが悪い』ではなく、嘘をつく必要がない環境を提供することが、結果として怒る側のストレスも軽減してくれます。
反省する側・反省を促す側いずれにせよ、自分が実践する全ての行動は未来を想像して、人間の行動心理を想像して進めるのが良い。それが今日のまとめ。