(306日目)フィードバックは自分との戦い。

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コラム
寒いっすね~。

体調の変化を感じたら、すぐに対処することが大切です。
風邪はひき始めが肝心と言いますけど、
理屈で考えたら至極当たり前だよな~と思う昨今。

いわゆる諸症状が出始めた段階って、
ウィルスも増殖しきっていなくて
身体も応戦できるレベルだと思うんですよね。

だからこそ、良質な武器(薬)を与えることによって
緒戦で相手を叩きのめす・・・と考えれば納得感がある。

ということで、体調不良が出やすいこの時期は
少しでも体調の変化に敏感に対応できる自分でいたい。

さてさて。

私は仕事柄、就活生にフィードバックする機会があります。
そして、このフィードバックという行為は
自分との戦いとも言えるよな~と思うわけです。

それはなぜか?

そもそもフィードバックとは、
・良かったところを褒める
・改善が必要な点を指摘する
これらを相手に対して行い
相手にとっての価値を提供することが目的だと考えます。

人のアラ・・・すなわち改善点を指摘するのは容易いです。
なぜなら人間というのは、相手の欠点には敏感に反応するから。

しかし、相手を褒める行為は大変に難しい。

『とても頑張ってましたね』
『よくできていましたよ』

こんな言葉を投げかけたところで、
相手の価値になるとは思えない。


薄っぺらい言葉は無意味。そう思います。
そこに具体性が伴っているか事こそが重要です。


<何が><どのように>評価できたのか?
これこそが相手にとって価値があるのではないでしょうか?

例えば彼女を褒めるシーンがあったとしましょうよ。
ただ「かわいいね」だけで済ますよりも
『トップスの色合いがすごく素敵でかわいいね』とか
『今日のリップはとても似合っていてかわいい』とか
具体的に褒めたほうが嬉しいはずです。知らんけど。

相手を褒めるには、それこそつぶさに観察しなければ気づきません。
そして、一般的な基準だけで物事を見てもダメだと思うのです。

社会一般的に「それアカンやろ」という態度の学生もいます。
しかし、それを補って余りあるポテンシャルや評価があれば
それはそれでOKだと思います。

皆が同じように横並びの礼儀正しさ・態度を持つ必要はないです。
しかし「態度もアレだし、ポテンシャルも努力も感じない」となれば
そこは正す指摘が必要ですけども。

要はバランスをもって判断できるかってことですな。


例を挙げます。
評価する相手が口下手でコミュ力が高くないとしましょう。
それだけを評価するならば
「あなたはコミュ力高めましょうね」の指摘で終わります。

しかしその相手が
誰かに一所懸命話しかけようとするシーンを見たならば、
『コミュニケーションが苦手にも関わらず、
 自分の殻を破ろうと頑張ってくれていたね。』と評価できます。

そして当人の努力や取り組みを見抜く評価こそが、
相手にとって価値のある評価となるのです。

なぜならば、
自分が壁を乗り越えようと取り組んだことが認められ、
評価されたことで『次に向けてさらに頑張ろう!』となれるからです。

逆に指摘する場合であっても、
『苦手意識を克服しようと努力していましたね。
 それに加えて、より自分の表情に抑揚をつけることで
 良いコミュニケーションが取れると思いますよ』
のような評価・助言が行えるわけです。

評価とはこうあるべきだと思います。

評価をもらえたことで
・自分の努力に無駄はなかった
・次に活かしてさらに頑張ってみよう
・さらに視野を広げてみよう
このようなマインドになる可能性が高まります。


評価をする人間は、
評価される人間よりも求められるハードルは上がります。
自分の一言が相手の人生に大きな影響を与えるからです。

そこには感情よりも、相手の未来を見据えた思考と
絶妙なバランス感覚をもって観察力も磨かなければなりません。

そこは「自我を抑え、正しい判断を行う」
自分との戦いの場でもあると思うのです。
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