(301日目)信じる者は掬われる。

記事
コラム
宗教ってどうなん?』そう思うのが私です。

とは言え、他人が信じているものを否定するワケでなく、
あくまで私が考える宗教観を書くだけなので悪しからず。


正直、宗教って良い面もあれば
悪い面もあると思うのね。

例えば、
信じることで心が洗われて
今までの自分の振る舞いを見直す。

そんなキッカケになるのも宗教でしょう。

しかし、宗教を信じることで
盲信してしまい周りのことが目に入らず
周囲に悪影響を与える存在になることも。


『信じる者は救われる』
宗教を語るときにパッと思いつくほど有名なフレーズですが
果たして本当にそうなのか?と疑ってみたい。

そもそも、
信じた人が必ずしも救われるわけでは無いでしょう。
もしそうならば、全世界全人口が信じてしまえば
世の中どれだけハッピーなことか。

もし私が宗教の勧誘を受けて入信したとします。
そして、どれだけ信じても救われないとしたら
『なんでなん?』と文句の一つも言いたくなります。

その時に先輩信者から言われるのは、
『まだ貴方の信心深さが足りない』
『現世ではなく来世での救いがある』
そんなことを言われるのは間違いない。

いや、そうじゃなくて。


いま救われたいから入信したのであって、
今救われないなら意味ないじゃん。
だいたい信心深さを何で量るん?
という数値化できない&他人が推し量ることのできないことを
勝手にジャッジしないでいただきたい。

結局のところ、結果が良ければ『信じたから良い結果になった』と言えるし、
結果に繋がらなかったら『まだまだ信仰が足りない』と言えてしまう。
そんな曖昧で、なんとでも理由づけされてしまうようなことに
時間・金・心を費やすことは無意味やん?と思うんですよね。

そもそも神様がいるのなら信じる・信じないに関わらず
分け隔てなく救えば良いん違うの?
そうじゃないなら『心の狭い神さんやな〜』と思う。

”自分を信じてくれる人”
”自分を好きでいてくれる人”
それだけを救う神さんなんて人間と変わらへんし。


だいたい宗教勧誘する行為そのものが?です。
信じるものを救いまくる宗教なら
勧誘するまでもなく口コミで人気になるはずです。

口コミ入信。

これ、いいんじゃない?


そもそも人間なんて
「自分が良い思いをしたら隠したくなる」のが本能やから。
(自分なら絶対言わない自信がある)

わざわざ勧誘するってことは裏があると考えた方がいい。
お金を得る目的かもしれないし、
洗脳する目的かもしれない。

良い顔して誘ってくる人間ほど疑ってみる。
それが自分を守る術。

宗教とマルチ商法は似ていると思う。
勧誘してくる人間は2種類に大別される。
実態を知っていて誘ってくる」か
それを信じて疑わず誘ってくる」のどちらか。

前者は詐欺そのものだし、
後者は盲信しているからこそ。


宗教も盲信を生むでしょ。
盲信とは「それしか見えなくなる」病。
一神教ならその神様しか信じずそれが全てだと思っちゃうし、
教義を都合よく解釈して人々を扇動することもできちゃう。


だいたい宗教は人々を救うと言っておきながら
世界は争いごとが絶えないワケで。
そもそも宗教が争いの種になることだって多いでしょ。

宗教は世界を平和にしてくれません。


ユダヤ教・イスラム教が聖地エルサレムを巡って争うわ、
キリスト教もカトリックとプロテスタントで戦争しちゃうわ。

何なら織田信長の延暦寺焼き討ちだって
信長悪い感じで教えられるけど
そもそも延暦寺側が武装勢力化して政治に影響及ぼしたのが原因やし。

信仰させといて侵攻したらあかんがな。


宗教って一見弱者を守るように見せておきながら
影響力を高めたい・広げたい!
自分たちが正義!
異なる考え方は全力で潰す!

そんな宗教は煩悩のギフトセット。

そう思ってしまう私は罪深いwww


何を信じるかはその人の自由。
しかし物事の本質を見極められず
判断を誤り続けてしまう人は
結局救われない人生になってしまう。

人は弱い。
だから何かに縋りたくなる。
何かを信じて救われようとする。

それが心の防衛本能なのだと思う。

だからこそ古くに宗教が生まれ、
信仰という概念が生まれたんだと思う。
それ自体は何の悪意もないはず。

しかし、
そして信じる人たちが集団を形成して
その中にリーダーが生まれて、
規模を拡大することを考えだしたときに
人間の汚い部分が見え出した。

だいたい集団化して良い試しはない。

政党・悪党・徒党。

集団を示す『党』という言葉に
良い意味はまったく持って無い。

信じる者は足元掬われることのないよう
気をつけて生きていきたいと思う今日この頃でした。
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