「自信がない」の奥で、私は何を守っていたのだろう?

「自信がない」の奥で、私は何を守っていたのだろう?

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人は誰しも、自分を守るために無意識にさまざまな感情に「蓋」をして
生きているのかもしれません。
私自身も、ずっとその蓋に気づかないまま過ごしてきました。

特に、何かの拍子に顔を出す「自信がない」という感情。
でも最近、気づいたのです。この「自信のなさ」もまた、傷つかない
ために自分が用意した“防衛装置”だったのだと。

このことに気づいたとき、真っ先に思い出す「黒歴史」があります。

中学2年生のとき、私は学校の英語暗唱大会でクラス代表に選ばれました。
本来なら光栄なことのはずなのに、私は「自信がない」と恐怖で
いっぱいになりました。
必死に練習すればいいものを、練習することからも逃げ続け、結局、
当日は仮病を使って学校を休んでしまったのです。

当時の私は、自分の何を守ろうとしていたのでしょう。

「できない自分」を人前に晒したくない。
私を選んでくれた先生をがっかりさせたくない。
背伸びしてできるふりをしている自分を見透かされたくない。

14歳の私は、「完璧でない自分を見せて愛されなくなること」から、
必死に自分を守ろうとしていたのだと思います。

大人になった今でも、ふと「自信がない」と弱気になり、
一歩引いてしまいそうになることがあります。

心の奥底で、まだ「できない自分」を丸ごと認めてあげられて
いないのかもしれません。

その根っこを辿っていくと、幼少期の母との関係に行き着きます。

母は優秀な7人の兄姉の中で育ち、
「私はひ弱で頭が悪く、不器用だから」と、
自分を卑下することが口癖の人でした。

その母の長女として生まれた私は、いつしか母のコンプレックスの
代償のように、理想の姿を求められていると感じて育ちました。

「お母さんが望むような優秀な私じゃない。でも、優秀なふりを
しないと、お母さんをがっかりさせてしまう」

相手の期待に応えようと「理想の自分」を演じれば演じるほど、
「これは本当の私じゃない」という思いが強くなり、自分自身を
信じることができなくなっていったのです。

でも、その奥には、
「できない自分を知られたくない」
「期待を裏切りたくない」
「失望されたくない」
という、もっと深い感情が隠れていたのです。
そして、その感情は私を責めるためにあったのではありません。
むしろ、
「傷つかないように、わたしを守っていた」
のだと思います。

そう考えると、「自信がない自分」を責める気持ちが少し変わってきます。
「どうして私は、こんなに自信がないんだろう」
ではなく、
「この自信のなさは、私の何を守ろうとしているんだろう?」
と、問いかけてみます。
すると、今まで「弱さ」だと思っていたものの奥に、
小さな自分が必死に守ってきたものが見えてきます。

私の中には今でも、中学2年生の私がいます。
何かに挑戦しようとすると、
「失敗したらどうするの?」
「できなかったら恥ずかしいよ」
「やめておいたほうがいいよ」
と、そっと私を止めようとします。

以前の私は、そんな自分を「弱い」と思っていました。
でも今は違います。

「あなたは、私を守ってくれていた愛なんだね」
そう声をかけてあげたいと思います。
そして、もう一つ伝えます。
「大丈夫。もう、できる私を演じなくてもいいよ。」
「できる私」も私。
「できない私」も私。
自信がある私も私。
自信がない私も私。

本当の自分を生きるというのは、
「自信のある自分になること」ではなく、
「自信のない自分も含めて、今の自分を信じてあげること」

それは自己愛なのかもしれません。


もしあなたにも、
「自信がなくて、一歩踏み出せない」
「いつも相手の期待に応えようとしてしまう」
「できない自分を見せるのが怖い」
そんなところがあるなら、
自分を責める前に、ちょっとだけ問いかけてみてください。
「私の心は、何を守ろうとしているんだろう?」

その答えの中に、
あなたが長い間、一生懸命守ってきた「小さな自分」がいるかもしれません。

そして、その小さな自分に、
「もう、そんなに頑張って守らなくても大丈夫だよ」
と言ってあげて下さい。
そこから、自分を信じることが始まるのかもしれません。

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