親が未信者で反対を押し切って大學に行かずに正規開拓者(全時間布教する人)になった。
1990年代(平成初期)にはもはやほとんどなくなった「美談」を組織は最大限宣伝に利用します。
さすがに「ものみの塔」とかに載るようなことはありませんでしたが、北陸では数千人の大会で
紹介されました。
ですから、最初の3年ほどはエリートコースを歩みました。
やがて建設奉仕をめぐってわたしはエリートから「アム・ハー・アーレツ(律法を知らない呪われた民、侮蔑語)」扱いをされるようになります。
そんな中、王国会館(集会場)を48時間で建てる(!)というプロジェクトが米國から入ってきました。
QB(QuickBuild、速成建設)というやつです。
日本を幾つかの建設の区域に分けてRBC(RegionalBuildingeComittee)という組織が仕切り、
巡回区といった布教のための組織から完全に独立していました。
RBC北陸は新潟、富山、石川、福井の会衆をテリトリーにしていました。
委員会メンバーはまぁ、その当時のその地域の幹部です。
当時は急激に信者が増加し、王国会館が少なく、あっても古いものが多かったので、
北陸のような田舎でさえ毎月1棟、時には2棟建てていました。
設計、用地借入交渉、資材買い付け、施工を一手に引き受けていました。
建設はすべて信者の無報酬、そう、ただ働きで建てます。
すさまじいでしょ?この酷使。
今思えば、資材購入などの利権はあったんだろうなぁと思いますよ。
で、基礎工事は1カ月ほどかかり、ツーバイフォー工法と在来工法の混ざった独特の木造建築で、
壁や屋根のトラスは1週間ほどで現地で組み、
木曜日の朝、壁起こしから始まって、
日曜日の午前中に完成して、最初の集会を開くまでを日本では4日間、72時間程度で行っていました。
そもそも信者の絶対数が少ない北陸では建設業の信者も少なく、
職人の信者もせいぜい2,3日来れるのが精一杯です。
前工事と呼ばれる基礎・木工事等は開拓者が呼ばれてやります。
一応開拓者でしたので、お声がかかり、前工事の惨状を目の当たりにします。