第8回 青春を卒業した日

第8回 青春を卒業した日

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昭和50年代に入ると、日本は大きく変わり始めていた。
学生運動の熱気は完全に消え去り、『同棲時代』や『神田川』に胸を熱くした若者たちも、それぞれの人生を歩み始めていた。
就職し、結婚し、家庭を持つ。
それがごく自然な人生の流れだった。
私自身もそうだった。
結婚をし、子どもを授かり、日々の暮らしに追われるようになった。
学生時代や独身時代を懐かしむ気持ちは、不思議なくらい消えていた。
青春を忘れたわけではない。
だが、それ以上に大切なものができたのである。
家族だった。
生活だった。
明日の暮らしだった。
若い頃は、自分のことだけを考えていればよかった。
好きな人と会い、夢を語り、将来に悩む。
それも大切な時間だった。
しかし家庭を持つと世界が変わる。
子どもの熱が出れば病院へ走る。
給料日までの家計を考える。
少しでも良い暮らしをさせたいと働く。
人生の主役が自分から家族へ移っていくのである。
昭和50年代の日本には、そんな人々が大勢いた。
オイルショックを経験し、人々は安定の大切さを知った。
住宅ローンを組み、マイホームを夢見る。
車を買い、子どもを育てる。
それが新しい時代の幸せの形だった。
だから『同棲時代』のような世界は、少しずつ遠ざかっていった。
自由な恋愛への憧れよりも、家族を守る責任の方が大きくなったのである。
だが、それは決して夢を失ったということではない。
むしろ別の夢を見つけたと言った方が正しいだろう。
子どもの成長を喜ぶこと。
家族で食卓を囲むこと。
休日に出かけること。
そんな何気ない日常の中に、新しい幸せがあった。
振り返れば、『同棲時代』や『神田川』が描いた青春は、人生のほんの一瞬だった。
しかし、その一瞬があったからこそ、その後の人生も豊かなものになったのかもしれない。
若さゆえの迷い。
若さゆえの恋。
若さゆえの夢。
それらは過ぎ去った。
だが、その経験は確かに自分の中に残り続けている。
青春とは、戻りたい場所ではない。
人生という長い旅路の中で、一度だけ通り過ぎる駅のようなものだ。
そして多くの人は、その駅を過ぎると振り返ることなく前を向いて歩いていく。
昭和50年代を生きた私たちも、そうだった。
家庭を持ち、子どもを育て、働き続けた。
その日々は決して派手ではなかった。
しかし今思えば、あの何気ない毎日こそが、本当の幸せだったのかもしれない。
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