第7回 ガラス細工の愛が砕けるとき

第7回 ガラス細工の愛が砕けるとき

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今の若い人たちには想像しにくいかもしれない。
『同棲時代』や『神田川』が流行する以前、「同棲」は世間から決して歓迎されるものではなかった。
むしろタブーだった。
親に知られれば大騒ぎになる。
勘当されることさえ珍しくない。
近所に知られれば陰口を叩かれる。
会社によっては信用問題と見なされることもあった。
結婚前に男女が一緒に暮らすことは、それほど大きな決断だったのである。
だからこそ、『同棲時代』は衝撃だった。
若い男女が堂々と一緒に暮らしている。
しかもそれを恥じることなく、自分たちの生き方として選んでいる。
当時の若者たちは、その姿に自由の匂いを感じた。
親の価値観ではない。
世間の価値観でもない。
自分たちで選ぶ人生。
それは新しい時代の象徴のようにも見えた。
しかし現実は、そんなに甘くはなかった。
例えば、家賃の支払いが迫る月末、財布の中にはわずかな小銭しか残っていない。電気代を払うか、食費に回すかで言い争いになる夜もあった。寒い冬、暖房をつけることをためらいながら、毛布にくるまって寄り添うしかない現実。愛しているはずなのに、些細なことで苛立ちが募り、沈黙が部屋を支配する瞬間もあった。
若さだけでは生きていけない。
愛情だけでは暮らしていけない。
生活にはお金が必要だった。
仕事も必要だった。
将来への責任も必要だった。
学生運動の夢が現実に敗れたように、恋愛もまた現実と向き合わなければならなかった。
『同棲時代』の主人公たちが抱えていたのは、まさにその問題だった。
好きだから一緒にいる。
だが、それだけでは未来は見えない。
結婚するのか。
別れるのか。
働くのか。
夢を追うのか。
若さゆえの自由は、同時に不安でもあった。
それはまるでガラス細工のようだった。
透明で美しい。
だが、少しの衝撃で砕けてしまう。
『神田川』に描かれた六畳一間の暮らしも同じである。
聴いていると幸せそうに見える。
しかし、その幸せは永遠ではない。
給料日前の不安。
将来への迷い。
社会との距離。
二人だけの世界には、やがて現実が入り込んでくる。
昭和40年代後半の若者たちは、そのことを薄々感じていた。
だから『同棲時代』に共感したのである。
そこには夢だけでなく、不安も描かれていたからだ。
そして多くの若者たちは、その後それぞれの人生へと歩いていった。
結婚した者もいただろう。
別れた者もいただろう。
家庭を築いた者もいれば、夢を追い続けた者もいた。
だが、あの時代に『同棲時代』や『神田川』に胸を熱くした人々は、きっと知っていたはずだ。
青春とは永遠ではないことを。
愛とは、ただ燃え上がるだけでは続かないことを。
それでも人は恋をする。
傷つくと分かっていても誰かを愛する。
だから青春は美しいのかもしれない。
半世紀を経た今、『同棲時代』を読み返すと、それは単なる恋愛漫画ではなく、若さそのものを描いた物語だったことに気づかされる。
眩しいほど純粋で、
危ういほど未熟で、
そして切ないほど美しい。
ガラス細工のような青春。
それが『同棲時代』という作品の本当の姿だったのではないだろうか。

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